平成16年12月28日

平成16年12月24日「武蔵」事件判決について

弁護士 乗 杉  純

1.原告らは、「七人の侍」と「武蔵」が基本的なストーリー、11箇所のシーン(別紙1)、役者(西田敏行と志村喬、寺田進と宮口精二)及び霧や豪雨の表現、の各項目について類似していると主張した。判決は、これに対して、いずれも一部の共通点が認められるが、相違点もあり、結局、「七人の侍」の表現上の本質的な特徴を「武蔵」から感得することはできない、と述べた。上記各要素が有機的に結合して両作品を類似なものにしている、という主張に対しても、表現上の本質的な特徴を感得することはできない、と述べた。

 
2.「七人の侍」は上映時間約3時間27分の劇場用長編映画で、「武蔵」は放映時間約55分の大河ドラマの第1回放映分である。原告らが盗作であると主張している部分は上記55分のうち約25分である。当然のことながら、3時間27分の内容が25分の時間で表現できるわけはなく、変更が必要になる。また、「武蔵」には吉川英治の原作に従ったストーリーがあるので、そこに「七人の侍」のエピソードを盛りこむためには当然様々なアレンジが必要となる。判決がいう、類似していない部分とはその多くが25分という時間と宮本武蔵の原作のそれぞれの制約によって生じている。ではなぜ被告らはこのような厳しい制約のもとに「七人の侍」の多くのエピソード及びストーリーを「武蔵」の中に取り込もうとしたのか。
 

3.宮本武蔵は何回も映画化されており、NHKにとっても昭和59年の水曜時代劇「宮本武蔵」(全45回)以来2度目の映像化である。このように新鮮味のうすれた題材の場合には、注目を集める要素が必要となる。特に第1回放映分は登場人物の紹介に多くの時間を使うため、ドラマチックな要素が少なく、特別な工夫を要する。
 

4.「武蔵」の第1回放映の直前の新聞にはテレビ番組欄に「武蔵」の内容が紹介されたが、そこには「『七人の侍』風アクション」とか「武蔵らと野武士との映画『七人の侍』を思わせれるような死闘」という表現が使われた。確かに「武蔵」は「七人の侍」を想起させる多くのエピソード、描写、配役及び基本的なストーリーを有していたが、それは「七人の侍」を象徴する要素をその思想や芸術性とは無関係に取り込んだものであって、芸術とは程遠いものであった。
 

5.被告らは、訴訟においては上記の各類似点(ストーリー、エピソード、描写、配役)のいずれもについて「七人の侍」とは無関係に他の出典から思いついたと主張した。ちなみに、NHKの板谷放送局長は平成15年1月22日の定例会見で、「法的な意味で道をはずれているとは思わないが、(「七人の侍」から)ヒントを得たりアイデアを借りたりということはあるだろう」と話している。被告らが、独自に類似であるとされる部分を思いついたという話が偽りであることは、「武蔵」の制作経緯から明らかである。訴訟において明らかになったのだが、前記11の類似点のうち第6項の「半兵衛(西田敏行)が朱実(内山理名)の腰の鈴を引きちぎりそれを投げ、追松(寺田進)が刀ではらう隙をついて取り押える」シーンと第11項の「武蔵(市川新之助)が地面に突き立てた抜身を抜く」シーンはいずれも鎌田敏夫氏の作った脚本にはなく、現場で殺陣の林邦史朗氏とNHKの演出担当者が討議の上入れたとのことである。即ち、被告らは、基本的ストーリーと9つの類似点を持つ脚本に更に2つの類似点を現場で加えたということである。この最後の2つの点についても、被告らは、「七人の侍」とは無関係に思いついたと主張しているが、時代劇に精通したNHKの演出者等がこの最後の2つの点を「七人の侍」と無関係に取り入れたということはありえない。
 

6.判決は、上記のような被告らの模倣の動機については全く触れず、たまたま一部が似てしまったかのように述べている。そして、上記の制約から似せきれなかった部分について、それらが異なっていることから結論として盗作ではないと言っている。興味深いのは、判決が、「七人の侍」の「高邁な人間的テーマや豊かな表現による高い芸術的要素」が「武蔵」にないことを非類似の一つの理由としていることである。これは、同じ真似をしても愚作であれば盗作にはならないという奇妙な論理である。
 

7.「武蔵」の中の「七人の侍」風の部分が3時間27分の映画「七人の侍」と同等の内容及び芸術性を有することはありえない。これは、黒澤明をもってしても不可能なことである。しかしながら、一部分の模倣であっても盗作が成立することは判例上明らかであり、本件は「七人の侍」の象徴的なシーンが模倣されているので、時間の長短は問題ではない。これは、映画の短い予告編が映画全体を想起させるのと同じことである。被告らの行為は、自らの売れない商品に有名ブランドを象徴する形、色彩、模様、ロゴ等を取り込み、有名ブランド品風にして売り出すに等しい。そのような改変が被告らの商品の内容・品質を向上させなかったからといって、それが許されるわけはない。

 

武蔵」及び「七人の侍」対照目録
分数
(注1)
内容
チャプター
(注2)
シーン
(注3)
分数
(注4)
内容
1
7:25
〜8:30
武蔵が朱実を追いかけつかまえようとするが胸に触れて女であることがわかり狼狽する。(注5) 1-10-63 74 0:48
〜2:37
勝四郎が志乃を追いかけつかまえようとするが胸に触れて女であることがわかり狼狽する。
2
29:15 お甲が薪で侍に打ちかかりテストする。(注6) 1-4-24 32 0:11
〜2:00
勝四郎が薪で(脚本の袋竹刀が演出で薪に変えられている)侍に打ちかかりテストする。
3
29:40
〜29:45
村外れの道を侍が何人か通り過ぎる。(注7) 1-2-7 10 0:00
〜0:44
人通りの多い往来を侍が何人も通り過ぎる。この部分は演出で変えられている。
4
30:26 又八が脇差の鞘で薪を払う。 1-4-24 32 1:01 浪人が刀の鞘で薪を払う。この部分は演出で鉄扇が刀の鞘に変えられている。
5
31:30 半兵衛、気配を察して立ち止まり、「真剣で勝負しようというのは何か訳でもあるのかな」という。 1-5-28 38 0:36
〜0:44
五郎兵衛、気配を察して立ち止まり、「はははは…・ご冗談を」と言う。この部分演出で台詞が変更された。
6
31:58
〜32:04
半兵衛、朱実の腰の鈴をひきちぎりそれを投げて追松が刀で払う隙をついて取り押さえる。(注8) 1-3-16 24 1:02
〜1:37
子供を人質に取っている盗賊に勘兵衛はにぎり飯を投げ、その隙をついて盗賊を切る。
7
34:40
〜34:48
武蔵が家の前に柵を作ることを提案するが、半兵衛は「いつもと違うと思われる」と言って反対する。(注9) 1-10-56 71 0:45
〜0:52
七郎次の指揮の下百姓達が丸木で柵を作っている。
8
41:11
〜41:37
野武士の集団が刀を振り回しながら喚声をあげて押し寄せる。(注10) 2-12-62 193 0:00 野武士の集団が刀を振り回しながら喚声をあげて押し寄せる。
9
42:30
〜43:20
武蔵達が騎乗の野武士達に刀や槍で切りかかる。 2-12-66, 67 197,198 チャプター66,67全体 勘兵衛達が騎乗の野武士に刀や槍で切りかかる。
10
53:05
〜56:30
豪雨の中の戦い。 2-20-93
〜2-21-96
260
〜277
チャプター93, 94, 95全体とチャプター96の0:00
〜4:18
豪雨の中の戦い。
11
54:08
〜54:24
武蔵、地面に突き立てた抜身を抜く。 2-19-91 258 0:29
〜0:46
菊千代、武者狩りの獲物の中から刀を選り出して鞘を抜いて地面に突き立てる。
2-20-95 265 0:20
〜0:25
刀が折れた菊千代、地面に突き立てた抜身を抜く。
注1) 「武蔵」のテープの経過分数
注2) 「七人の侍」のDVDのチャプター等の番号(例:1-10-63は前編10(防備の準備)のチャプター63)
注3) 「七人の侍」の脚本及びDVDのシーン番号
注4) 当該チャプターの経過分数
注5) この部分原作では「野武士か?とは、すぐ思ったことだったが、意外にもそれはまだやっと13、4歳にしかなるまいと思われる小娘であって…」となっている。「七人の侍」ではこの部分は志乃が髪を切って男のなりをしていたため必要なエピソードだったが、「武蔵」では全く必要がない。
注6) 「七人の侍」の場合にはお甲の役は勝四郎であり勘兵衛が控えていたので安心ではあったが、朱実とお甲二人で侍をテストするというのはいかにも無茶である。
注7) 町中でもないのに何故侍が頻繁に通るのか不思議である。
注8) にぎり飯を投げれば受けとめるために隙ができるが、何故刀で鈴を切らなければならないのか。剣の達人とは到底思えない。
注9) これは「七人の侍」が村を柵で囲って要塞化したことを念頭においている。そもそも、「武蔵」で野武士に狙われていた家には高い塀があったので、その上柵を作ることは不必要であった。これも「七人の侍」と関係づけるためのみに必要なセリフだと言える。
注10) この前のシーンで家の主人は「毎年何度も盗賊どもに襲われていますんじゃ」と言っている。そのような関係であれば野武士たちが集団で抜き身を振り回しながら威嚇するように押し寄せてくるのは奇異だ。それに野武士たちは侍がいることをまだ知らず、家には男1人女2人しかいないと思っているのだ。「七人の侍」で野武士たちが威嚇しながら突進してくるのはそれまでに村の他の場所で撃退されているからで、自然な反応である。ここでも「武蔵」は無理な盗用をしている。