西野流呼吸法は、いわゆる気功法の一流派である。私は昨年8月、渋谷に東京本部を置く西野塾に入会し、半年が経った。西野流呼吸法は西野バレエ団の西野晧三が西洋のバレエ、日本の合気道及び中国の拳法を合わせて考案したといわれている。ちなみに西野は50歳を過ぎてから合気道に志し、師範になっている。西野塾の稽古は1回約2時間で、前半を基本、後半を対気に当てている。西野流の特徴は後半の対気であり、これは1対1で気を交流させた場合、強い気が弱い気を飛ばすという原理に基づいている。実際の稽古では指導員が前に立ち、塾生が一人一人指導員と手の甲を合わせ気を交流させる。そして、指導員が強い気を発すると、塾生は自分の意思とは関係なく強い力で後退りしていく。前に走るよりも早いスピードで後ろに走る者もあり、後方の壁に立て掛けたマットに当たって跳ね返り、前方に走っていく者もいる。大声を上げる者もいれば、笑いだす者もおり、手を振り回す者もいる。はたから見れば狂気の世界であり、最初はとんでもないところに来てしまったと思った。しかしその私も、3カ月くらいたつと自然に飛ぶようになり、今では対気が楽しくてしょうがない。対気の感覚を言葉で表現することは難しいが、体の中に強い電気的なエネルギーが流れ込み、それが足の筋肉を勝手に動かすとでもいったらいいだろうか。

 対気は本来勝負ごとではなく、気を交流させることを目的としている。しかしながら、塾生の間では気の強さを張り合うところがあり、それが単なる健康法とは違った西野流の魅力になっているのかもしれない。今は、塾生が多くなり過ぎたためになくなったが、昨年暮れまでは塾生が一堂に会して西野の話とデモンストレーションを見る機会があった。そのデモンストレーションの際に、1度、西野の遠当(とおあて)の秘術の実演を見た。西野は4人の指導員を数メートル離れて立たせ、彼らに向けて軽く手を上げた。すると4人は一様に頭を押さえ、もんどりうって倒れ、七転八倒し、硬直して動かなくなってしまった。信じられない光景ではあったが、今では人間には不可思議な力が存在しているのだと思うようになった。

 西野流の力については興味深い話がいろいろあるが、ここではその精神的な意義について考えてみたい。西野流の基本の稽古の中で、一種のイメージ・トレーニングによって、自己と外界との境をなくすということがたびたび行われる。そもそも気というものは、個体の中に閉じこもっているものではなく、それが訓練によって解放されれば、他人の気ともつながり、樹木から発せられる気をも感ずることができるようになり、大気に満ち溢れている気を取り込むこともできる。このようにして自己と外界との境界が取りはずされ、私は世界に溢れているエネルギーの中に溶け込むことができるようになる。残念ながら6カ月ではそこまでの感覚は得られないが、自分にとっての一つの思想的な方向性としては、非常に興味深いものがある。

 私は以前にも書いたように、三島由起夫に強い関心をもっており、彼の思想が人類の一つの到達点ではないかと思っている。しかしながら、三島思想は袋小路の思想であり、自己を切り裂くことによってしか完結しない。「太陽と鉄」において述べているように、三島にとって肥大した自我というものが最大の問題であり、これは程度の差こそあれ、近代人にとっては共通の問題であろう。これは私にとっても、20歳の頃に自意識とは何かという問題を考えるようになって以来、考え続けていた課題であった。私にとっては、肉体によって拘束された存在をなぜ「私」と意識せざるをえず、なぜ私が他の人や動物や花や木であってはならないのか、というのが大きな疑問であった。それが可能ならば私にとって限界はなく、大宇宙にさえなることができ、死はなく悠久の生命を生きることができるだろう。三島が最後の段階で、このような可能性について考えていたかどうかは定かでないが、晩年彼は輪廻転生について論じ、霊界についても強い関心を示していた。

 私は三島を乗り越えることができずに、三島の死んだ年齢に近づいていくことに不安を感じていた。しかし今は西野流という異なった肉体の思想によって、生きることが面白いと感じるようになっている。まだほんの入り口ではあるが、今までに知った世界の何倍もの未知の世界が目の前に開けているような気がする。


(これは1991年4月に書きました。現在週3回道場に通っています。)