キーボードに触ったことはないと言ったけれども、実はワープロは少しはやったことがある。それは、あのお弁当箱に遡ることまた2〜3年の大昔で、桝田江尻法律事務所のパートナーであり情報機器に強かった矢澤さんがシャープのワープロがいいよと言って勧めてくれたやつを買った。その当時のワープロというのは本体とプリンターが分かれていてそれを接続するのだけでも結構一仕事だった。ちょうど正月休みの前に届いたので、休み中に必死になってマニュアルを読んで何とか打てるようになった。それを使って事務所内の秘密文書(たいした秘密ではないが)をいくつか打ったが、結局使わなくなってしまい、秘密文書も手書きで書くようになってしまった。あのワープロとプリンターも今はどっかにいってしまった。では何故またパソコンをやろうと思ったかというと、それは独立しようと思ったからだ。あさひ法律事務所にいたときには、40人の弁護士に60人のスタッフという体制だったから、自分の専属スタッフが休んだからといって自分自身でパソコンを操作しなければならないということではなかった。誰かが手紙くらいは打ってくれるのだ。独立するとなるとそうはいかない。スタッフが休んだときに緊急の通信をしなければならないとなったら、自分でパソコンを使うしかない。そのような必要に迫られてパソコンを勉強しようと思った。これだけだとあまりにも消極的な感じがするので、積極的な理由も多少つけ加えると、パソコンに興味が無かったわけではない。
私は情報機器というものには結構興味があった。電子手帳なども何回か買って結局余り使えなかったが、電子辞典というやつは前から使っていた。ところで、一番小さな情報機器というのは何だか知っているかな。それはデジタルの腕時計だ。私が今使っているカシオのデータパンクというのは、ヨドバシカメラで6,000円ぐらいで買ったものだけど、150件の電話/FAX、スケジュール、ワールドタイム、計算機能、アラーム、タイマーそれにストップウォッチが入っている。その上時間だって結構合う。世のビジネスマンがこのように便利な情報機器を使わずに、見かけだけの何万円か十何万円かする外国製のアナログ腕時計をしているというのは信じがたいことだ。
話が横道にそれたが、そんなわけで私は一応は情報機器に興味があったわけだ。情報というのは武器であって、現代において武装するというのは情報を使いこなすことなのだ。私は昔大薮春彦の小説が好きで、彼の小説の主人公が強靭な肉体はもとより多様な銃火器で武装して戦っていく姿がとても好きだった。私も一時は空手を習い、エアーライフルの練習をしたりしたが、いずれも挫折した。冷静になって考えてみると、現代社会で空手や銃を持って戦う人間というのはごく少数であって、実際の戦いはもっと別な戦場で行われている。その戦場はいわば情報空間とでも言うべき場所であって、そこでは情報の量とその扱い方が死命を制するのだ。人間の肉体がいくら鍛えても戦車にはかなわないように、人間の頭脳が蓄えることのできる情報には限りがあり、またその検索スピードもコンピュータにはかなわない。私の夢見ていたのは、小さなコンピュータに私のこれまで入手した情報のすべて(これは仕事に関するものに限らない)を蓄積しそれを自在に検索し呼び出すということだった。さらには、自分の蓄えた情報の中に答えがなければ、外にある情報源からそのような答えを簡単に入手することができれば最高だった。それを今の世の中で実現するとすれば、コンピュータを核としたデータベースと通信ということになる。
以上は多分にロマンチックな夢であるが、事務所を独立するに際して考えたもっと現実的な構想としてはネットワークがあった。弁護士というのはもちろん一人でも仕事はできるが、その情報量及び多様な事案に対応する能力というのはやはり限定されてしまう。大事務所というのは、その点知識を共有し守備範囲を広くするという意味においては有効的な対応方法ではある。しかしながら、あさひ法律事務所等において経験したことは、知識の量としてはあるのだろうけれども、その効率的な運用はなされず、やたらにアドミニストレーションに時間と金がかかることだった。この弊害を克服し、一人の弁護士事務所であっても大事務所に対抗できる情報量と能力を持つためには、ネットワークが必要だと考えたのだ。私の考えるネットワークというのは、まず個々の小事務所が、自分の有するデータを容易に検索できるような形でのデータベースとして保存し、それを通信を介して他の法律事務所と融通し合うということだった。もちろん、事務所間の連絡手段としては、電子メールが使われ、さらにはテレビ電話も導入されるべきだと思った。このような構想のもとに、L・NETという法律事務所間のネットワークが企画され、私は自ら商標出願さえした。しかしながら、弁護士というのは保守的な生き物であるようで、結局今日に至るまで電子メールによる通信すらできていない。結局、FAXや電話による通信で目下のところ用が足りているということなのかもしれない。
話は前後するが、私は独立を決意したときからこの情報武装に全力を傾注しなければいけないと考えた。それまで全く知識が無かったのでどうやって知識を得ようかとそれをまず考えた。本屋に行ったが、何を読んでいいかも分からず、結局雑誌を買って読むことにした。今考えるとこれがよかったのだと思うが、コンピュータについては単行本というのは余り役に立たない。コンピュータの進歩は日進月歩というのも控え目なぐらいに激しいものであって、本になって出る頃にはだいたいそこに盛られている情報というのは陳腐化している。でも、本でも面白いものは何冊かあって、山根一眞の「マルチメディア版情報の仕事術」というのは面白かった。ちょうどこの本の上巻が出た頃が私が情報武装にやっきになっていた頃であって、新幹線の中からノートパソコンに携帯電話をつないで電子メールを送るなどという実験には大変興奮したものだ。というような訳で、何も分からないままに雑誌を1mぐらい読んで何とか言葉だけはおおよそ分かるようになった。新事務所用のデスクパソコンとしてはその当時人気を博していたCOMPAQのPRESARIO CDS 520を入れることにした。それが入るまでに通信をやりたかったので、OASYSのPOCKET 3を買った。これを使ってNIFTYにオンラインサインアップした。というと格好いいけれども、サインアップするのに1時間以上時間がかかった。でも、短時間のうちにPOCKET 3からアナログ携帯電話を使ってNIFTYにアクセスすることができるようになったのはたいしたものだと自画自賛していた。OASYSのPOCKET 3というのは超軽量でワープロと通信のためにはこれで十分というような情報機器だったけれど、今では使っていない。
1994年の12月24日、つまりクリスマスイブに新事務所に移った。そこでPRESARIOを使って自分の考えていた情報化オフィスを作ろうといろいろやってみた。まず、在宅勤務の和文ワープロの山川さん(彼女は十数年の和文ワープロ歴を持っている)の家に同じPRESARIOを入れてファイル転送ができるようにした。さらに、東京情報機器の半田さんにお願いしてマイクロカセットレコーダーに吹き込んだ音声を倍速で山川さんのところに送れるように電話をセットしてもらった。このような道具は市販されていないようだ。ここまでは何とかできたのだけれども、何せコンピュータに強い人間が一人もいない事務所だったのでいろいろと困ったことがでてきた。そんなある日、あさひ法律事務所に勤務していたソーンクエスト氏(ニューヨークの法律事務所の弁護士)と昼食をとることになった。彼は私の情報化の努力に大変興味を示してくれて、「我々のような年を食った人間が何をやってもそれは効果が余りないのであって、いわゆるコンピュータ・ウィザード(コンピュータの魔術師)というような若者に任せるべきだ」という助言をしてくれた。そこで私は考えた。早稲田大学の教育学部英語英文科の教授に松坂ヒロシという男がいる。彼は昔はNHKラジオの英語講座で結構有名だった男であるが、私は彼と早稲田大学の英会話クラブであるESAで一緒だったのだ。気楽な中だからすぐ電話して「お宅の生徒にコンピュータがすごくできてアルバイトしてくれるような人がいないかね」と聞いた。松坂から数日後に電話がかかってきて「理工系がいいかとも思ったんだが、英語の院生でとてもコンピュータに強いというのがいるんだけれどどうだろうか」と言った。私は特に反対する理由もなかったので「いいよ」と言った。数日後に、吉本君が神妙な顔で現れた。その時はちゃんとネクタイをしてきていた。1ヶ月くらいたって、「別にそんな窮屈な格好をする必要はないんだよ」と言ったら突然めいっぱいラフな格好になって、ついでに茶髪になり、ピアスをしてきた。とても羨ましく思った。それはともかく、彼は私のいわゆる「武装化」にとっては欠くべからざる人間であり、特にデータベース作りにおいては最適任者ではないかと思う。私が1ヶ月ほど前に買ったDynaBookSS-R575にはアクセスを使った法律文書のデータベースが入っている。これはまだ完成したものではないがフロッピーディスク70枚分ぐらいに相当する英文のファイルを検索できるようになっている。キーワードを25ぐらい選んであり、それらとならAND検索ができる。その他にどんな単語でも検索はできる。Pentiumだからやたら早く、全部のファイルを検索するのに5〜6秒しかかからない。この他に英文及び和文の住所録、フロッピーに入っていない紙の形で存在している契約書及び法律情報のリストなどがデータベースとして入っている。 この他に意見書のリスト及びレストラン、ホテルのリストを入れようかと思っている。このDynaBook一つ持てばどこに出張に行っても大丈夫だと思うのだが、出張がないので試す機会がない。このデータベース作りは、あさひ法律事務所のアソシエートである押野さん(彼は富士通に3年間勤めていた)が教えてくれたアイディアなのだが、あさひ法律事務所では未だこのような作業に着手していないようである。情報化社会における決断と実行というものは難しいものである。 以 上 |