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(2000年6月6日に中国ラジオ映画テレビ総局主催で行われた
「放送と知的所有権フォーラム」における講演のレジュメです。)

乗 杉  純  

I 国際共同製作概説

1.国際共同製作とは何か

(1)日本ではこの言葉は曖昧に使われている。製作会社、製作者(プロデューサー)、監督、俳優、スタッフ等の多国籍性。

(2)製作資金の多国籍性が必須の要件である。しかし、単なる投資のための資金提供では不充分である。すなわち、プロデューサーの業務が多国籍的に行われる必要がある。
一般のビジネスで出資の他に取締役を出すのと同様である。

(3)もっとも、プロデューサーが複数いる必要はかならずしもなく、「戦場のメリークリスマス」のように監督がプロデューサーの機能を兼ね備えている場合もある。

(4)製作資金については、リスクの伴わない資金提供は、共同製作の要素として不充分である。「乱」は当初negative pickupの条件だったので、フランス側は映画が完成しないことのリスクを負担していなかった。これは映画の売買の予約になる。pre-saleのように映画完成前に資金の交付がある場合にも、ネガが引渡されない場合にその返還義務がある場合には、ローンと同じで投資とはいえない。

2.国際共同製作契約の基本条項

(1)資金については、各当事者からどのように資金が提供されるかを決めなくてはいけない。双方が投資の場合には一つの銀行口座に期日を定めて決まった金額を集めるということが行われる。「戦場のメリークリスマス」ではそのためにL/Cが開かれた。第三者である銀行に対等な資金提供を保証させることが必要だった。

(2)「乱」の場合には、negative pickupであったので、独立の現像所(independent laboratory)が日本側からネガを受け取ってこれが契約の条件に合致しているという証明書を出したときにフランス側から金が支払われることになっていた。フランス側が一方的にネガに欠陥があると言って受取らない事態を防ぐ。

(3)投資された資金は回収されなければならないので、回収(recoupment)についての規定が必要となる。回収は映画を活用(exploit)して得られたプロデューサーの取り分の純収入(producer's net receipt)から行われるので、producer's net receiptの定義が必要となる。プリント、宣伝費、税金等をグロス収入から控除したもの。

(4)回収は、全世界からの収入を一つのポットに入れて行う事は少なく、配給権に対応して、世界をテリトリーに分けることが行われる。「乱」では日本とその他の世界というように分けられた。「戦場のメリークリスマス」の場合には、(i)イギリス及びフランス、(ii)日本、及び(iii)その他の世界というように分けられた。多くの場合それぞれの投資家は自分のテリトリーの収入から優先して回収し、回収の終わった後の収入が各当事者に配分されることになる。

(5)製作については、双方からプロデューサーを出すのか、それとも一方から出すのかが決められる。いずれの場合にも、プロデューサーの権限についての取決めが行われる。
必ずしもプロデューサーという名称がなくてもいい。

(6)著作権を誰が持つかが決められる。共有の場合その割合と収入配分の割合とは必ずしも一致しない。 

(7)保険について定められる。「乱」の場合には個別のリスク(黒澤明、仲代達矢等の死亡、執務不能)について保険がかけられ、「戦場のメリークリスマス」については、完成保険(completion bond)が掛けられた。

(8)その他会計報告、クレジット、タイアップ等について定められる。

(9)紛争解決規定が大事である。映画の共同製作は、ビジネスのジョイントベンチャーと比べて、非合理的な要素(プロデューサー、監督、俳優間の人間関係、芸術的な問題に関する意見の食違い、外部的要因による製作の遅れ、予算オーバー等)が多いので紛争が起きやすい。「乱」では国際商業会議所(International Chamber of Commerce)の仲裁による事とし、仲裁の場所は日本側が仲裁を申立てた場合にはパリとし、フランス側が申立てた場合には東京とした。これによって申立てをしようとする者により多くの負担がかかることになり、紛争を話合いで解決する契機となる。


II 映画「乱」(Ran)について

1 .「乱」とは

(1)シェークスピアの「リア王」のストーリーを借り、黒澤、小国、井手が脚本を書き、舞台を日本の戦国時代としたもので、仲代達矢が主演。

(2)黒澤監督は「影武者」(1980年東宝/黒澤プロダクション提携作品)以前から「乱」を作りたがっていたが、日本国内では資金を提供する者がおらず、海外に資金を求めていた。1982年になりフランスのGaumont S.A.が全額出資する事になり、プロデューサーとしてシルバーマン(Silberman)が指名された。私は黒澤監督の弁護士として黒澤監督とGreenwich(シルバーマンの会社)との間の監督に関する契約、脚本に関する契約等を作成したが、1983年4月にフランス政府の資金規制によりフランの持出しが出来ないことになった。ここで黒澤監督は別な方面から資金を求めなければならなくなった。

(3)1983年9月になって日本のヘラルド映画が資金提供することになり、Greenwich も海外配給権と引き換えに資金提供することになった。このときの条件が上述のnegative pickupであり、Greenwichはネガが引渡されるまで資金を提供する必要はなかった。共同製作契約は1983年1月に締結されたが、その後3回修正され、最終的にはGreenwichからの大部分の金がネガの提供以前に支払われることとなった。

(4)「乱」の交渉では、金をめぐる問題が大きな部分を占めた。当初、Greenwichはヘラルドが映画の全製作資金を賄える事を証明するように要求し、そのためにヘラルドのメインバンクはその旨の証明書を発行することになった。反対にヘラルドは、Greenwichの提供する資金についてGreenwichの銀行が信用状を発行することを要求した。

(5)契約交渉は映画が完成し公開されてからも続き、3年以上の長きにわたったが、その間何度も交渉決裂の危機があった。それが最終的な対立までいかなかったのは上述の仲裁条項があったからだと思う。シルバーマンは最初パリの商事裁判所での裁判を主張していたが、結局仲裁で合意ができた。パリの商事裁判所が管轄権を持っていたならば、シルバーマンは容易に訴訟を起こしていたであろう。


III 映画「戦場のメリークリスマス」
(Merry Christmas Mr. Lawrence)について

1.「戦場のメリークリスマス」とは 

(1)南ア連邦の作家Sir Laurens Van der Postの "The Seed and the Sower"を原作とし、第2次世界大戦末期のジャワ山中の日本軍の俘虜収容所における日本軍将校と俘虜である英国等の軍人とのドラマである。出演は、デビッド・ボウイ(David Bowie)、トム・コンティ(Tom Conti)、坂本龍一、ビートたけし等。

(2)大島渚が、原作者との間に原作の使用権に関するオプション・アグリーメントを締結しており、資金提供者を探していたが国内では得られなかった。1982年になりニュージーランドから金が出ることになり、日本側が半額(大島の自己資金、配給権者である松竹及びテレビ放映権を買ったテレビ朝日の金を含む)製作できるようになった。大島は新進プロデューサーであった英国人Jeremy Thomas(後に"ラストエンペラー"のプロデュースをした)をプロデューサーとして起用した。原作、ボウイ等の出演者等も大島が決めたもので、実際は大島がプロデューサー的機能を果たしていた。

2. ニュージーランドの資金

(1)ニュージーランドからの資金は投資銀行であるBroadbankが集めた個人投資家からの金であった。ニュージーランドのその当時の税法では、映画に対する優遇税制が定められており、映画に対する投資により大きな税額控除が得られた。その特典を得るためには様々な条件があり、そのうちの一つは映画がニュージーランド領内で撮影されることであった。そのために、この映画の大部分は赤道直下のニュージーランド領の島であるラロトンガで撮影された。映画製作によってニュージーランド国内の経済が活性化することが要求された。

(2)ニュージーランドの優遇税制を活用するために、ニュージーランドの大きな法律事務所と会計事務所が計画を練り、複雑な投資のスキームを作った。タックス・ヘイブンであるJersey Channel Islandsに2つの会社作られ、それらの会社を通して、ニュージーランドに設立されたMr. Lawrence Production Co.に対して資金及び役務が提供された。

(3)完成した映画は英国のNational Film Trustee Company Ltd.("NFTC")に信託譲渡され、NFTCが全世界で映画を活用し、投資家に配当を支払った。

3.その他の条件

(1)保険はCompletion Bondが掛けられた。これは、製作者が映画を完成できなくなった場合には、保険会社が自ら製作に介入し、監督を変えるなどして映画を完成させるというシステムである。

(2)契約書の作成はロンドンのジェレミー・トーマスの弁護士の事務所で行われ、そこにニュージーランドの弁護士と私が参加して10日間で41種類の契約書を作った。

4. 銀行と現像所の役割

 当事者が約束しただけでは疑心暗鬼になる。独立の第三者がネガをチェックし、その証明書(lab letter)に基づき銀行が金を自動的に払うシステムが必要。


IV 映画に関するその他の問題

1.「七人の侍の事件判決」(1978年)とその後

(1)「七人の侍事件」とは、黒澤明監督作品「七人の侍」(1954年製作)の再映画化権を製作会社である東宝が脚本家に無断でアメリカの会社に譲渡してしまったことに対して、黒澤明と3名の脚本家が東京地方裁判所に提訴したものである。裁判所は、映画の再映画化権は製作会社ではなくて脚本家が保有していると判断し、東宝の譲渡は無効であるといった。

(2)米国のメジャーMGMは "The Magnificent Seven"を1960年に製作した。Yul Brynner, Steve McQueen等が出演したこの映画には東宝の「七人の侍」のリメークである旨のクレジットが付されていた。

(3)1991年になり、東宝の無断譲渡した再映画化権を譲受けたと称するMGMは、ロサンゼルスの裁判所に東宝、黒澤プロダクション及び黒澤明ら3人の脚本家を相手方とする再映画化権をMGMが有していることの確認を求める訴訟を提起した。黒澤サイドはこれに対して東京でMGM及び東宝を相手方とする訴訟を起こし、ロサンゼルスと東京において同じ紛争が別々に審議されることになった。この紛争は1993年に和解で解決した。

(4)我々は日本で勝訴の判決が確定すれば、米国の判決が日本で執行できなくなることを利用しようとした。米国は容易に裁判管轄を認める(long-arm statute)ので注意が必要。国際合作の場合は相手国の訴訟制度を知っておく必要がある。

2.アニメ映画の再映画化

(1)フィンランドの著名な挿絵付き童話が日本でアニメテレビ映画化された。この時の契約は簡単なもので、原作に基づきテレビ映画を製作する権利(その本数及び放映回数)と商品化権(merchandising right)が定められただけのものだった。

(2)後日、別な会社が同じ原作に基づきテレビアニメ映画を製作しようとしたときに、元のテレビアニメ映画の製作者がクレームをつけた。その主張は、アニメは、原作に対して二次的著作物であり、その権利は自分たちが持っており、それと類似のアニメ映画を第三者が作る事を自分達は阻止できるということであった。

(3)二次的著作物の著作権者が、原作の著作権者の権利とは独立の権利を2次的著作物に対して持つ事は明らかである。しかし、その範囲はどこまでなのか。再映画化権について定めをしておかないと紛争になる恐れがある。アニメの場合には、互いに動画であるということだけで似せようとしないでも似てしまう。

以上  

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