_ よくわからない映画。
_ 沖縄のガマ(退避壕)で語り部が、沖縄戦での悲劇について語る場面が印象的で、反戦映画かと思えるが、それは映画の一部で、あとの大部分はどのようなメッセージを伝えたいのか不明。
_ 冒頭は、主人公の女性が、朝起きて、トイレに行き、カーテンを開け、鍋に湯を沸かし、小松菜を洗い、茎と葉を分けて切り、玉ねぎをスライスして鍋に入れ、時間をおいて小松菜を入れる。料理番組ではないので何を伝えたいのかわからない。
_ 後半、同じ女性が、長々と、ヨガのような体操をする場面があるが、これも分からない。
_ 映画にはメッセージは必要ではないが、それでも伝えたい何かがないと作品にはならない。
_ でも、退屈することなく観た。音響がよく、特に、上空を飛行するジェット機の音はすさまじく、印象に残っている。
_ スペインのペドロ・アルモドバル監督作品。
_ 小説家であるマーサは、昔の親友イングリッドが末期がんであることを知り、見舞いに行ったが、あることを頼まれる。それは、自分は治療を拒否して死にたいと思うが、その時、マーサに隣の部屋にいてほしいというもの。二人は、森の中の瀟洒な家で最後の時間を過ごすことになる。
_ マーサも戦場ジャーナリストだったイングリッドも、裕福なようで、森の中の家は小さなホテルのようでプールまである。都会での生活も美術品に囲まれ、ゴージャスだ。
_ ここで描かれている死は、市井のみじめったらしいそれではなく、人生のフィナーレなのだ。イングリッドは自ら手に入れた毒薬で死ぬが、死に顔は眠っているようだった。実際はそんなわけはないだろう。これは、リアリティのない、あらまほしき死だ。
_ おかしな話だが、我々は、現代の死が、苦痛を長引かせる拷問のようなものだと知っている。医療の進歩がそれをもたらしている。しかし、自分だけはそのような一般的な苦痛に満ちた死ではなく、眠るような死に値すると思っている。
_ 誰もが、死を免れない。そして、現代の死は、9割が苦痛に満ちたものだ。そして、その苦痛から逃れようとしたときには、すでに自殺する体力がなくなっている。
_ そのようなみじめな最期を回避するためには、体力気力があるうちに死ぬべきなのだ。思想家西部邁は2018年に自殺したが、老齢で身体の自由が利かなくなっていて、自分の弟子二人に手伝ってもらって入水自殺を遂げた。二人は自殺ほう助で逮捕され執行猶予付きの判決を受けた。
_ 死は、人間に与えられた最後の自由のはずだ。
_ つまらなかった。
_ このドラマは好きで、大部分観ていて、2回観たものもある。2回目も面白い。
_ だから、今回もそのレベルを維持すればそこそこ面白い映画ができたはずなのだ。
_ 映画界でよく言われることだが、低予算で秀作を作る監督に何億もの製作資金を与えると失敗作を作ると。
_ 今回は、ドラマの初の劇映画化で、テレビ東京の60周年記念作品で、松重豊の初監督作品だ。当然力が入って、ストーリーを派手にして、海外ロケを増やし、人気俳優を共演させる。それが、全部裏目に出た。
_ 興行成績は悪いようだ。松重は、この映画に出資もしているとのことだ。これから大変だろう。
_ この映画がヒットしないことは映画関係者でなくても予想できたはずだ。しかし、松重は、興収10億行かなければこのシリーズから抜けると宣言した。誰か裏に松重を惑わせた人間がいそうだ。