_ シリーズの三作目だが、第一作のみ観ていた。この作品は前二作の知識がなくても楽しめると思う。
_ パディントンはロンドンの駅の名前で、そこに捨てられていたクマがパディントンと名付けられてブラウン一家と暮らしている。パディントンはきれいな英語を話す。英語と言っても、British English だ。昔、千駄ヶ谷のプールで泳いでいたとき、近くで大声で話している若い外国人がいたので、You speak British と言ったら、冷たい口調で We speak English と言われた。
_ 英語だけ取ってもイギリスとアメリカは関東と関西ぐらい違う。
_ パディントン駅は、名前は憶えているが、実際そこから乗車したことがあったか定かではない。ロンドンに行ったのは、留学の後ヨーロッパ各国を旅行したときと、「戦場のメリークリスマス」の出張のときだけだ。前者はユーレイルパスでスコットランドまで列車で行ったのでパディントン駅を利用したかもしれない。
_ 「戦場のメリークリスマス」のときは、10日間ロンドンにいたが、ほとんどホテルと法律事務所の往復だった。一回だけ弁護士仲間で外食したことがあったが、たしか中華料理屋に行ったと思う。当時は、ロンドンで美味しい食事は中華とインド料理だけだと言われていた。
_ 中国で、10年前に中断した未完成の映画を完成させようと活動を再開した監督以下がコロナの為にさらなる中断を余儀なくされる話。
_ 中国のコロナ対策は徹底していて大変だという感想は持ったが、映画自体は退屈で、眠くなった。
_ 個人的には、コロナの記憶は薄れていて、当時どう考えていたのかさだかでない。少なくとも「ステイホーム」が嫌だとは思はなかった。
_ 今日の、朝日新聞の夕刊に載っていたエッセイに千早茜という作家が同じような感想を述べていた。その人は、できることなら家にずっといたい、という人で、会合に誘われても、「予定はないが家にいたい。少なくとも週四日は家から出たくない」と言って断りたいとのこと。
_ 私も同様で、なぜ人々が飲み会だなんだと集まりたいのかわからない。職業人が定年になり、暇になるとそのような誘いが多くなる。私は、仕事をしている間は、クライアントを獲得するためには嫌な人付き合いもする必要があるという強迫観念で、そのような会合に出ていた。
_ 仕事を増やすという理由がなくなると、そのような会合には極力行かないようにしている。しかし、あからさまに、出たくない、というのは難しい。そのような言葉は、相手に対する敵意を意味し、社会から排除される結果になる。それでも結構だが。
_ そもそも、何のために人は集まるのか。情報交換のためであれば、昨今はSNSなどで必要な情報は集まる。実際に、集まって話す内容はくだらない、自慢話、他人の悪口、どうでもいい回顧談などで、時間の無駄でしかない。
_ 飲み会などで、一人で話を独占して悦に入っているやつが必ずいるが、どういう頭の構造をしているのだろうか。そんな話誰も聞きたくないのが何故わからない。
_ ヒューマントラストシネマ渋谷の午前10時30分の回で観た。上映開始から100分ぐらいたったところで、突然火災警報が鳴り、画面が停止し、やがて明かりがついた。ビルの3階で火災報知器が誤作動したとの説明があった。それから10分ほどで、上映が再開したが、無声映画になっている。音声がないまま10分ほど上映したがまた停止し、上映はできないと説明があり、「特別ご入場券」が配られ、全員退場した。
_ 従って、この映画の批評はできないが、観たところまでの感想とすれば、よくある青春ものというところか。舞台は、関西大学で、2年生の、友達が少ない男女が知り合い、男とバイトが一緒の女を加えた3人の間の淡い恋愛感情を描く。
_ あとでネタバレのレビューを見ると、そのあと、事件が起きるとのこと。しかし、そのような劇的な展開がなくても、いいのではないかとも思える。
_ ちょっと偏差値が高い私立大学の学生の日常はあんなものだろう。時代にしても、現代ではなく、半世紀前の話にしてもおかしくはない。
_ 私は大学2年のとき、この映画のように友達が少ない女子学生を口説こうと思って、文学の話をした(彼女は文学部だった)。オリエントという喫茶店で待ち合わせて、サンテグジュペリの「南方郵便機」について話した。彼女はサンテグジュペリのファンだった。結局数回会っただけで交際は発展しなかった。やがて彼女は海外留学し、連絡は途絶えた。
_ 10年後偶然彼女と再会した。その時の話をしたが、彼女は学生時代は恋愛には全く関心がなかったとのこと。