_ 東電OL事件とオウム事件を下敷きに慶応女子高校らしき高校を舞台にした桐野夏生の小説。3分の1ほどは真面目に読んだが、全く人間が描けていないと思いあとは読み飛ばした。
_ 作品評をする気もないが、東電OLを利用していることについては文句を言いたい。この小説では当該OLは佐藤和恵という名前を与えられており、おぞましい存在として描かれている。著者は故人の人権をなんと考えているのだろう。
_ 「宴のあと」事件で東京地裁は「私生活上の事実のみでなく事実らしく受け取られるおそれのあることがら」を公開することもプライバシーの侵害になると判じている。作品の芸術性が当然に違法性を阻却するわけではない。「宴のあと」事件の有田八郎は元外務大臣で東京都知事選の候補でもあったので公的な人物として私生活が公表されることがやむをえないともいえた。これに反し東電OLは私人であり犯罪の被害者だった。三島由起夫は有田を悪意をもって描いたのではなく、むしろ読者は有田に好感を持つようになったはずだ。それでも裁判所は三島に損害賠償を命じた。
_ 桐野夏生は、この作品を当該OLの母親がどのような気持で読むと考えたのか、考えなかったのか。作家というのは因果な商売だ。
_ 本谷有希子原作の映画。原作小説はたまたま読んでいたのだが、気に入らなくて、映画を観る気は無かった。でも、映画評がいいので観てもいいかなと思った。そろそろ上映が終わるという一昨日、渋谷シネパレスのレイトショーでやっと観た。
_ つまらない原作でも素晴らしい映画が出来るということを発見した。
_ 原作の何が気に入らないかというと、リアリティーが欠けていると思ったのだ。私は、SFやファンタジーが好きなので、荒唐無稽なものが嫌いなわけではない。しかし、舞台が火星であれ竜宮城であれ、人間の行動には一定の法則がある。それを逸脱する行動を描くときは説明が必要だ。
_ この作品には、女優になりたいが挫折するジコチューで傲慢な姉とその姉の生を赤裸々に描いた漫画で成功するMだが本当は残酷な妹が登場する。二人の葛藤のエピソードの中に、姉が自分を売り込もうとある映画監督に手紙を出したが、郵便局でバイトをしている妹がその手紙を手に入れ、映画監督になりすまして返事を書くというものがある。姉は監督と文通していると信じて、自分がスターへの道を歩んでいると錯覚する。
_ こんな話を信じろと言っても無理だろう。ずっと田舎に住んでいる18才の少女が、映画監督のふりが出来るか。それも、だます相手が、成功していないにしろ東京の映画業界の表も裏も知っている女なのだ。こんなウソを書かれると腹が立つ。
_ では、映画はこれをどう処理したか。妹は漫画雑誌の大賞を受賞して東京に出て行くその日に、姉が監督に出したつもりの手紙の封筒を見せる。そこで姉は何が起きたかを悟る。それ以上の説明はない。
_ 小説であれば、読者はここで本を置いて、そんなことが可能かと考える。しかし、映画はそのような勝手を観客に許さず、すぐ次の場面に移っていく。展開が速いのだ。この作品の監督吉田大八は、小説の欠陥を一瞬の映像に閉じ込めている。
_ 文章も然りだ。下手な文章も映画になれば消えてしまう。上手い演技があれば、多少難のあるセリフも気にならない。物語の筋に無理があってもゆるせてしまう。この映画の役者は主役の佐藤江梨子をはじめみな熱演している。サトエリは地で行っているのではないかと思えるほどはまっている。
_ 撮影監督は「下妻物語」と同じ人で、山の中の田舎の風景がきれいだった。内容が強烈なので何回も観たいとは思わないが、忘れられない映画の一つになるだろう。
_ ブラッド・ピット主演のアクション。東京から京都に向かう新幹線に世界中から9人の殺し屋が集まる。
_ 伊坂幸太郎の原作だそうだが、ストーリーが理解しにくかった。殺し屋の関係、動機など最後にまとめて説明されるが、それまではチンプンカンプン。新幹線の描写、日本人のステレオタイプな描き方、なんだか。
_ 平日の昼の上映だったが、観客はパラパラ。中高年の男性が目立つ。