2,000年4月、寺本黒田法律事務所(T&K)は僅差で日本最大の法律事務所になった。その上辺の華やかさとは異なり、T&Kの財政は逼迫し、寺本及び黒田の二大パートナーの専制も災いして、改革に着手することもままならない状態であった。
その頃、世界的な映画監督である唐島清は、自らが脚本を書き監督をした映画のストーリーが米国のメジャーに盗用されていることを知り、怒りの記者会見を開き映画製作の差止を示唆した。この米国の映画会社はメディア王マリックが所有していたが、マリックは、この映画を製作するにつき法律的な問題はない、という意見書を書いた世界最大の法律事務所サイモン・ヘイスティング&ゴールドマン(SH&G)の責任を追及した。マリックの企業グループは、SH&Gの最大のクライアントであり、SH&Gは窮地に立たされた。SH&Gは自らの失態を挽回するために、まず唐島監督相手に訴訟を起こした。しかし、マリックはSH&Gに対して、3ヶ月以内に問題を解決することを厳命していたため、訴訟は早期解決のためには有効な手段ではなかった。
SH&Gは唐島監督の弁護を担当しているT&Kの買収を企てた。