2000年4月1日に、「外国弁護士による法律事務の取扱いに関する特別措置法(外弁法)」の改正法が施行され、外国の弁護士が日本の弁護士を雇用できるようになった。その結果、外国の法律事務所による日本の法律事務所の買収が可能になった。

 

― 2000年 4月 ―




 赤い土と褐色の岩が地平線まで続くアリゾナの大地に、あの要塞が出現したのは6ヵ月前のことである。タイヤの直径が2メートル近くあるダンプトラックが昼夜を分かたず大きな花崗岩のブロックを運び込み、巨大なクレーン車がそれを積み上げ城壁を作っていった。

 要塞はアステカの階段ピラミッドを模したもので、3つの方形の階層からなっている。地面に接した層は垂直に近い壁が15メートル程の高さまで伸びている。その上にはより傾斜の緩いふたつの階層があり、石段で頂上まで登れるようになっている。

 米国の大手映画会社、ハーキュリーズピクチャーズが、この地に要塞とそれを囲む20戸余りのレンガ作りの家からなる町を作り始めたのは2年以上前のことだ。映画撮影のためとは言いながら、いずれも居住可能な建物だった。1200万個のレンガが運び込まれ、一番近くの町と撮影現場を結ぶ20キロのアスファルト舗装の道路が建設資材を運ぶために作られた。300人が宿泊できる飯場や、上下水道も作られた。

 

 ソフィア・メイズは要塞の頂上辺りに立っていた。頂上には四角錐の形をしたレンガ造の構築物があり、その側面の壁が破られ、大きな穴が空いていた。穴は2メートルほどの深さで、下には厚いクッションが敷かれていた。ソフィアは松明を持ってその穴の中に飛び込むことになっていた。穴の中は弾薬庫という設定で、次のシーンは要塞の大爆破である。

 ソフィアは、この大作「インビンシブル・フォートレス(無敵の要塞)」の主演女優である。まだ22歳のソフィアが、この大役を射止めたのはほとんどがヒューバート・マリックのおかげだった。彼はマリック・コミュニケーションズ・グループの総師で、マリック・ホールディングという持株会社を通じて世界の主要な新聞社125社と34のテレビネットワークを支配している。メジャーの一角であるハーキュリーズピクチャーズも数年前に買収した。

 下着のモデルをしていたソフィアがマリックと知り合ったのは2年前のことで、それからはシンデレラストーリーだった。そして今、ソフィアは人々を見下ろす場所にいた。要塞の前面には、1000人以上のエキストラが19世紀前半のメキシコ正規軍の服装をして、アリゾナの強烈な太陽の下に立っていた。そのまわりでは300人余りのスタッフが見守っていた。監督は大きな櫓(やぐら)の上に乗り、雲の動きを見ていた。要塞の下の階にはハリウッドを代表する男優三人が、騎兵隊やカウボーイの衣装でライフルを持って立っていた。

 カメラはソフィアを中心に捉えることになっていた。ソフィアが石段を15メートル駆け登って頂上の穴の中に飛び込む、それが今日のシーンである。3台のカメラが使われ、1台は正面から、1台はクレーンの上から、そして残る1台はレール上を動く「フィッシャー・ドーリー」という移動車からソフィアの動きに合わせ撮影するようになっていた。

 

 要塞の前面にいるエキストラの背後にはスタッフ用のテントがあり、更にその後方に大きなトレーラーが止まっていた。トレーラーの脇にはプロレスラーのような体格の男が5人、トレーラーが作る影で太陽を避けていた。

 トレーラーのドアが開き、サファリジャケットにサングラスの男が降りてきた。涼んでいた5人の男は電流に打たれたかのように飛び上がり、サファリジャケットの男を取り囲んで周囲に目を光らせた。ヒューバート・マリックである。

 

 マリックは中肉中背の筋肉質の体をしているが、2メートル近いボディーガードに囲まれると、その姿は分厚い肉の塊に埋没したかのように思えた。しかし、マリックの強烈な存在は、不可視なブラックホールがその質量により周囲の空間を歪ませて存在を示すように、大気に重い波動を伝え、足元の草木を震わせているかのごとく見えた。

 マリックは5人の大男が存在していないかのように、黙って双眼鏡で要塞の頂上辺りを長い間見ていた。

 

 監督スタンリー・ブラックの「シーン31、カット8!」の声がマイクを通して聞こえ、現場は水を打ったように静まり返った。「アクション!」の声とともに戦闘の最後の場面が動き出した。いたる所で爆薬が炸裂し、銃声が響き、壁から人が転げ落ちた。硝煙の中、ソフィアは松明を持って石段を駆け上がった。栄光への階段だった。




 午後2時の法廷を終えてオフィスに戻ってきた滝川希花(きか)は、自分のデスクの上に置かれている何枚かの電話メモの中に、パートナー(経営者弁護士)君原哲也からのメモを見つけた。

「本日18時からの唐島監督との会議に出て下さい。詳細はKIに聞いて」

 KIとは伊藤絋二のことで、彼と希花は背中合わせに机をおき、部屋をシェアしていた。希花はノートパソコンで英文のメモを書いている伊藤に聞いた。

「この唐島監督って、あの唐島清監督のこと?」

「そうですよ」

 唐島監督は、黒澤明に次ぐ日本の生んだ世界的な大監督である。

「唐島監督が事務所に来るなんて初めてじゃないの?」

「あれ、知らなかったんですか?2週間ほど前に事務所に来られて、そのときは皆大騒ぎでしたよ」

「そうか……私はそのとき大阪に出張していたんだ。それで、新しい映画の話なの?」

「いえ、盗作なんですよ。唐島監督が日東映画で作ったあの『天守閣』が盗作されたっていうんですよ」

「誰がそんなことをしたの?」

「アメリカのメジャーの一つ、ハーキュリーズピクチャーズです」

「あのハーキュリーズピクチャーズが……そんなことがあるのかしら?」

「いや、唐島監督が持ってきた映画のシノプシス(あらすじ)を見たら、西部劇にはしていますけど筋書きは全く同じなんです。唐島監督はすごく怒っていて、製作の差し止めをするというので、君原先生がハーキュリーズピクチャーズに手紙を書くことになったんです」

「分かった。でも、その前に修習生のお相手をしなくちゃ。これも伊藤先生と一緒じゃない?」

希花が手帳を見ながら言った。

「そうです。どうやら先生の秘書が呼びに来たようですよ」

 希花の秘書が、5人の司法修習生が8番会議室で待っていると伝えた。希花のいる法律事務所は司法修習生のいわゆる見学コースになっている。

 

 司法修習とは、司法試験に受かったのち一年半の期間、裁判官、検察官および弁護士としての実務を積むことをいう。最初と最後の3ヶ月間、修習生は埼玉県和光市の司法研修所で過ごすが、その間の12ヶ月間を、それぞれの配属先の裁判所、検察庁および弁護士会で研修を受ける。今はまだ4月で、修習が始まったばかりなので、修習生は和光の研修所から都内の事務所に見学に来る。

 このような事務所訪問の目的は、一種の就職活動といえるが、希花の事務所のような大きな渉外事務所に就職を希望する修習生はそれほど多くない。ところが、現実には同じ年度の修習生の約8割が事務所見学に訪れる。修習生のうち、裁判官や検事に任官するものは、就職後法律事務所を見学するチャンスはあまりないため、修習生の時代に法律事務所を見ておきたいと思う。弁護士の志願者にとっても、大きな渉外事務所を見るチャンスはあまりないため、渉外事務所の訪問に参加する。特に司法修習が始まってから3ヶ月間にわたる前期の研修期間中の事務所訪問は、就職を意識しない、いわば遊び半分の事務所見学が多い。希花の事務所は、このような事務所見学にも誠実に対応するため評判で、会議室での事務所概要の説明と事務所内のツアーのあと、5000円から7000円見当の予算での会食に修習生を招待していた。

 

 希花と伊藤が下の階にある会議室に降りていきドアを開けると、修習生が5人、緊張した面持ちで待っていた。

「お待たせしました」と希花が言った。

 伊藤が事務所で製本した事務所概要を一冊ずつ修習生の前に置き、「皆さん、事務所訪問は初めてですか?」と聞いた。

「ほとんどの者が初めてですが、一番はじにいる彼は2度目です」と、とりまとめ役らしい、多少年をくった修習生が言った。

「分かりました」と伊藤は言い、事務所概要の冊子を開き説明を始めた。

「ご承知とは思いますが、寺本黒田法律事務所は−これからT&Kと呼ばせていただきますが−、いわゆる渉外法律事務所として知られています。ショウガイというのは切った張ったのことではなくて、外と関わるという意味です」と言って、伊藤は修習生の反応を見たが、誰も笑わなかった。

「国際法律事務所という言い方もあり、外国との国際取引関係を扱っています。とは言いましても、実際には国内の案件も多く、当事務所の弁護士の中には、ほとんど国内の訴訟事件のみを担当している者もおります。従いまして、当事務所は、現在では渉外事務所というよりも総合法律事務所というべきかもしれません」

 このあと事務所概要に書かれている業務の内容を説明する予定だったが、修習生がつまらなそうな顔をしているので、伊藤はもっと興味を引くような話題を提供しなければいけないと思った。

「当事務所の業務内容につきましては、ここに書いてあることをお読みいただければお分かりだと思いますが、この他にもいろいろな案件を扱っています。例えば、映画の国際共同製作の契約も何件かやっておりまして、唐島監督の最新作は日本とオーストラリアとの合作でしたが、この契約はうちのパートナーの君原が作りました。それだけではなく、君原はこの映画にエキストラとして出演もしています。実は、あと1時間ほどで唐島監督がこの事務所に来られることになっています」

 希花は、よけいなことを言うんじゃないよ、というようにテーブルの下で伊藤の足を蹴った。修習生は話の続きを聞きたがっているようだったが、伊藤は事務所概要の頁をめくり先を急いだ。

「次の頁を見ていただきますと、当事務所の弁護士の経歴が載っております。当事務所には、現在69名の日本人弁護士がおりまして、たぶん現時点では日本一の規模だと思います。そのうち18名がパートナー、つまり事務所の経営をしている弁護士で、残りの51名がアソシエイトと言われ、パートナーの下で働く弁護士です。他に外国人の弁護士が5人います」

 弁護士の数ばかり多くてもしょうがないのに、と希花は思った。T&Kは、ずっと3番手か4番手につけていたのだが、ここ2、3年上位の事務所が、分裂したり、多数の弁護士が脱退したりしてその差が縮まり、さらに今年T&Kが何故か7人もの新人弁護士を採用したために僅差で1位になったのだ。伊藤の説明は続いた。

「T&Kは1981年に設立された比較的新しい事務所です。創立パートナーの寺本と黒田は研修所の同期で、以前はある準会員系の渉外事務所に所属していました」

 

 準会員というのは、司法試験に合格して弁護士会に所属している者を正会員とすれば、それに準ずる資格を持った弁護士という意味である。太平洋戦争が終わったあとのいわゆる極東裁判で日本の戦犯を弁護したのは主として米国の弁護士であった。これらの弁護士をはじめとして敗戦直後の日本には多数の外国人弁護士が常駐し、進駐軍の軍人、軍属等の外国人の絡む法律問題を扱っていた。このような外国人弁護士から、日本における活動を正式に認める制度を設けてほしいという要望が出され、1949年に制定された弁護士法はその7条で外国弁護士の制度を設け、一定の条件を充たす外国人弁護士には日本の弁護士と同等の資格を与えた。この外国弁護士が核となり、日本人の弁護士を雇って発展させていったのが、いわゆる準会員系の渉外法律事務所である。70年代までは準会員系の事務所が渉外事務所の主流であり、実質的に外国人の支配する事務所が日本の国際取引案件の大部分を扱っていた。70年代後半から準会員系の事務所から独立した日本人弁護士の経営する法律事務所が徐々に力を得、今日では渉外事務所のベストテンから準会員系事務所はほとんど落ちてしまった。

 準会員として日本で活動できる外国弁護士を生み出した弁護士法第7条は1955年に削除され、その当時68名いた外国弁護士は徐々に減っていった。外国弁護士が次に注目されたのは70年代半ばからで、先ず米国、次にECからサービス産業自由化の一環として、外国弁護士の活動を認めるよう要求が出され、紆余曲折の末、86年に「外国弁護士による法律事務の取扱いに関する特別措置法(外弁法)」が制定された。外弁法により日本での活動が認められた外国弁護士は外国法事務弁護士と呼ばれるが、その権限は欧米からの圧力で拡大していった。最後まで残った大きな要求事項が日本弁護士の雇用であったが、その砦も2000年には明け渡されることになった。




 その日寺本次郎は朝から不機嫌だった。誰でもそうなのかもしれないが、月曜日は頭に膜がかかったようで考えがまとまらない。朝鏡を見ると、瞼が厚ぼったく垂れ下がって、三白眼ぎみの目をいっそう陰険に見せていた。寺本は、若い頃は美青年といってもいいほどの容姿だったのに、いつの頃からか鏡に映る自分の姿が、テレビドラマなどに出てくるいやみで傲慢なインテリのように見えてきた。切れ長の一重瞼の目、肉の薄い高い鼻、薄い唇、頬のこけた顎のとがった顔の輪郭、すべてが酷薄な印象を与えていた。顔の印象の変化とともに、寺本の人に接する態度も変わっていき、昔はそれなりに人付き合いのいい寛容な性格だと思っていたが、最近は周囲を睥睨し威圧するのに快感を感じるようになってきた。

 寺本の部屋は黒田の部屋とともに、他のパートナーの2倍の広さのある角部屋だった。T&Kは虎ノ門の超高層ビルの25階と26階を占めていた。寺本の部屋からは新宿の超高層街まで遮るものなく見渡せ、寺本は刻々と変わっていく東京の空の色を見るのが好きだった。そのように高いところから大都会を見下ろしていると、弁護士としての自分が頂点に近いところに来ているのかなと思ったりした。しかし、同時に、もう自分にはこれ以上昇っていく力はなく、これからは下降するばかりだ、という淋しい気持ちにも襲われた。50を過ぎる頃から体力もめっきりなくなり、むかし月間400時間のビラブル(請求可能時間)を記録したことなど嘘のようだ。

 渉外事務所ではタイムチャージといって、かかった時間に弁護士ごとの単価を掛けて報酬金額を計算するが、事務所にいる時間を全部請求できるわけではない。所内会議や事務所の運営のために使う時間をクライアントに請求することはできない。400時間のビラブルは驚異的な数字なのだ。

 黒田英雄と語らって、日本一のローファームを作ろうと共同事務所を創設してからもう20年近く経つが、その目標も一応達成し、心の中には大きな空洞が広がっていた。最近は事務所経営にもあまり関心がなくなり、マネジングパートナーのポジションは黒田に譲り、パートナー会議も何かと理由をつけて欠席することが多くなった。そうはいっても仕事だけに専念していることはできず、面倒な問題は向こうから飛び込んでくる。寺本は机の上に広げたファイルと、直立不動で立っているパートナーの白石の顔を交互に見ながら不愉快な気分を募らせていた。

 

 白石はなぜ寺本に呼ばれたのか分かっていた。もともと寺本と黒田には好かれておらず、パートナーになれたのが不思議なほどの白石だったが、バブルの頃はパートナーを増やすというのが至上命令で、よほどのことがなければパートナーになれた。それが不況になると仕事が減り、パートナー間での仕事の取り合いが生じ、寺本と黒田はここ数ヶ月言いがかりのような理由をつけて、白石に任せていた仕事を取り上げていった。

「この前たまたまパーティーでユニティの法務部長と会ったんだけどね、彼は先生の仕事に必ずしも満足してないようなんだよ。高くて遅くてミスが多い……ダメ弁護士の三冠王のようなことを言われてしまって、それはないだろうと思ったけれど……。このファイルを見ていると全く理由がないというわけでもないね」

 白石は、身長は170センチ弱だが、体重は90キロ以上あって、大層な汗っかきだった。寺本の前に立っていると緊張のあまり汗が噴き出してきて、それが目に入りまるで叱られて涙を流しているようで嫌だった。白石は幼稚舎からの慶応ボーイで大学院まで行った。小さい頃から肥満体で動作が鈍かったので何度かいじめの対象になったが、今回の一連の出来事もそのたぐいのように感じていた。

 寺本は他人の仕事のミスを見つけることにおいては天才といえた。白石が書いた1頁半の英文の意見書の中に、3つの文章上のミスと商法の条文の引用の誤りを発見するのに3分とかからなかった。寺本は、さらにビリングファイル(請求ファイル)を見て、この短い意見書を書くのに白石が5.2時間もかけたことを知り、ネチネチと責めた。

「とにかく、クライアントは先生には仕事をしてもらいたくないと言っているんだよ。クライアントを失ってしまったらもともこもないから、しばらくユニティの件は全部私が預かります」

「お言葉ですが……ユニティがなくなると私は本当に仕事がなくなって…黒田先生にお返しした仕事もありまして……」

「仕事というのは自分で取ってくるもんじゃないの?みんなすごく努力しているんですよ。いろんなパーティーに出たり、クライアントやポテンシャルクライアントと毎晩飲みに行ったり。先生は夜は早いようだけどそのあと何をしてるの?」

「酒はあまり飲めないので……それなりに友達と会うようには努めているんですが……」

白石はいわゆるお坊っちゃんだったので、クライアントを取るなどという品のない行為にどうしても馴染めなかった。毎晩飲みに行ってクライアントを増やしている弁護士はいたが、そんなことをするために弁護士になったのではない、というのが白石の気持だった。

「まあいいや。先生には先生の考えがあるでしょうから。でも、自分のライフスタイルを貫くというのならその結果も甘受すべきで、人の犠牲の上に自分の人生を楽しむなんていうことは考えてほしくないんだよね」

 白石の鼻から、汗とも涙とも鼻水ともつかぬものが落ちて、絨毯に染み込んだ。




 25階の会議室では司法修習生への説明が続いていた。伊藤弁護士による事務所概要の説明は終わり、修習生からの個別の質問に答える形で進められていた。

「パートナー間の報酬配分はどのようにしておられるのですか?」

 唯一渉外志望らしい東大出の若手の男子修習生が尋ねた。

「当事務所はユニークな方式をとっています」と希花が言った。

 このような質問に対しては伊藤は答えられないので、シニアアソシエイトの希花が対応するのだ。

「ある仕事を、1人のパートナーが1人のアソシエイトを使ってしたとします。当事務所は原則としてタイムチャージで請求をしますから、パートナーの時間×そのレートとアソシエイトの時間×そのレートの合計が請求金額になります。この金額全額をクライアントが払ってくれたとしますと、その15%をクライアントを紹介したパートナーが取ります。残りの85%は実際に仕事をしたパートナーが取ります。仕事をしたパートナーとクライアントを紹介したパートナーが同一人物であれば100%をその人が取ります。これがいわゆるシニアパートナーの場合の配分方式です。もう一つジュニアパートナーというクラスのパートナーがいまして、ジュニアパートナーの場合は自分の働いた時間×自分のレート×3分の1が収入になります。つまり、ジュニアパートナーの場合はアソシエイトを使ってもその分は自分の収入にはならないのです」と希花は一気に説明した。

 

 この次の経費負担の方式が面倒なので、いつもどのように説明していいか迷ってしまう。

「経費負担については、とても詳細な取り決めがあり、私もその全部を知っているわけではありません。ご承知のように共同事務所の場合の経費負担についてはいろいろな方式があり、パートナーが4人いれば4等分するというような簡単なものから、各パートナーの収入に応じて割り振るもの、各パートナーについて何らかの方法で毎年割合を決めて負担させるもの、等いろいろあります。

 当事務所は、経費というのはそれぞれの人が人や物を使った割合で負担すべきではないかという思想に基づき、CR率というものを導入しています。CRというのはコントローリングレシオの略で、つまり支配率のことです。例えば、人についてみると、あるパートナーがあるアソシエイトの請求可能時間の3分の1を使って収入を得たとすると、その3分の1の時間に対応するアソシエイトの給料やボーナスはそのパートナーが負担すべきということになります。

 次に物に対する支配ですが、例えば家賃を例に取ってみます。家賃というのは、言ってみれば、フロアスペースを各人がどれだけ占有しているかということになりますから、人に対する支配率の大きい人の方がより多くの面積を占有していることになります。例えばあるパートナーが専属の秘書を1人抱え、アソシエイト1人の時間の3分の1を使ったとするとその人は自分自身を加えて2.33人を支配していたということになります。このような割合を各パートナー、この場合はシニアパートナーですが、について出せば全体の面積についての各シニアパートナーの支配率が出ることになり、それで家賃を割ればいいのです。本当はもっとすごく複雑なようなのですが、基本的な考え方はこれで間違っていないと思います」

 このCR率というのは君原が考案したものだと聞いているが、当の君原に聞いてみても現在どのように運用されているかは複雑すぎて分からないという答が返ってくる。

 

「分かりました。次に仕事の配分ですが、ある依頼者から来た仕事をどの弁護士がやるのかはどのように決めるのでしょうか?」と、また例の修習生が聞いた。

「仕事の配分については特別な方式はありません」

 嫌な質問をしてくる奴だな、と希花は思った。

「仕事の依頼は多くの場合その依頼者と関係の深いパートナーのところに来ますが、そのような依頼を受けたパートナーは自らその仕事をするか、自分の専門でない案件の場合や忙しくて対応できない場合には、他のパートナーに回します。アソシエイトがそのような依頼をクライアントから受けた場合だけは、アサインメント委員会という組織がパートナーによって作られており、そこでどのパートナーが監督するかが決まります」

「そうすると仕事に偏りが出てくることはないのですか?たくさんの仕事の依頼が来るパートナーとそうでないパートナーがいるのではないかと思うのですが」

「そこら辺は今パートナー間でも考えているようなのですが、今のところパートナー同士が話し合うことで問題なくいっているようです」

とは説明したが、これがこの事務所の一番の問題であると、希花は君原から聞いていた。去年3人のパートナーが辞めたが、その理由はいずれも十分な仕事が回ってこず経費が払いきれなくてやめたのだと聞いている。また、仕事量だけはたくさんあっても、回収のできない仕事ばかり押しつけられて巨額の不良債権を抱えて辞めていったパートナーもいるそうだ。希花もそろそろパートナーの声がかかる時期になっていたが、このことを考えると果たしてパートナーになるのが有利なのか疑問に思えてくる。大きな渉外事務所でアソシエイトが自分のクライアントを獲得するのは容易ではない。事務所の規模や名声に惹かれてくるクライアントは、事務所を代表するトップのパートナーのところに仕事を依頼するのが常だ。

 

「滝川先生は上智大学ですよね。私もそうなんです。先生の後輩になるんです」と、細目で顔の大きな女性修習生が言った。

「全然違うじゃない。同じ大学とは思えない。まるで豚と真珠よ」と、隣のこれまた田舎っぽい女性修習生が混ぜ返した。

「豚と真珠ってなによ。私が豚だってこと」と最初の修習生が言った。

「でも滝川先生ってきれいよね。そこらの弁護士役をしている女優なんかよりよっぽどきれいですよ。それでいて現役合格で、アメリカに留学して、ニューヨークの司法試験も受かっちゃって、男の人からもてて仕方がないんじゃないんですか?」

 初対面なのにやけに慣れ慣れしい修習生だなと希花は思った。

「そんなことはないですよ。男の人なんか怖がって近寄って来ないですよ」

「いえそんなことはないですよ……」と伊藤が口を挟んだ。

「私なんぞも事務所訪問をした際に最初に滝川先生……いや滝川が華やかに現れたので、ついふらふらとこの事務所に入ってしまったくちなんですよ」

 へえ……知らなかった、と希花は思った。でも、修習生のリクルートなんて案外そんなことで結果が左右されているのかもしれない。自分も最初の事務所訪問で君原に会った時に一瞬胸がときめいたのを覚えている。君原は一般的に言えばハンサムの部類には入らないかもしれないが、希花の好きなハードボイルド小説の主人公のようなニヒルな雰囲気を漂わせており、法律事務所という公序良俗が支配する世界にはそぐわないものを持っていた。のちに、君原が全共闘華やかなりし時代にあるセクトのリーダーとして活躍していたことを知り、それなりに納得したのだが、君原には、俗に言う全共闘世代の懐古趣味とは異なり、まだ戦場にいるような緊張感があった。




 希花と伊藤が修習生の事務所内の案内を他のアソシエイトに任せて部屋に戻ると、君原の秘書からのメモがあった。唐島監督ともう1名が少し早く見えたので君原は先に会議に入っている、と書かれていた。2人が12番会議室に入ると、テーブルの向こう側の、窓側に唐島監督と黒っぽいスーツを着た女性が座り、君原が反対側に座り、英文の手紙を示しながら唐島監督になにやら説明していた。

 君原は2人が来たのに気がつくと、立ち上がり、「今日から滝川弁護士に参加してもらうことになりました」と唐島監督に向かって言った。

「滝川は去年の秋米国留学から帰国したばかりでして、米国ではニューヨーク大学ロースクールでエンターテイメントローを専攻していました。その後、ロサンゼルスで映画の関係の仕事をしている法律事務所で1年間研修してきましたので、今回の案件にはうってつけだと思います」

 希花が名刺を差し出すと、唐島監督も椅子から立ち上がった。唐島監督はとても大きな人だった。長身で体格のいい君原よりもまだ1回り大きいという感じだった。もう70代半ばになっているはずだったが、日焼けした顔はつやつやと光っていて、大きな肉の厚い手の中で希花の名刺は小さな紙切れのように見えた。

「唐島です。私は名刺を持ち歩かないのですよ」と唐島監督はニコニコしながら言った。

「唐島プロダクションの田代です」と、唐島監督の隣りに座っていた女性が名刺を差し出した。 

「田代さんは唐島先生の姪ごさんで、アメリカで映画のプロデューサーの勉強をしてこられた才媛なんだよ」と君原が希花に説明した。

 田代は目鼻立ちのはっきりした南欧系の顔をしていた。服装は黒を中心とした地味な色合いでまとめていたが、趣味の良さがうかがわれた。

「唐島先生、滝川に説明する時間がありませんでしたので、ここで前回の会議の内容とそれからの出来事について、かいつまんで説明してよろしいでしょうか?」

 唐島は頷いた。

 

「ちょうど2週間前になりますか、監督が来られてお話を伺ったのは。アメリカのメジャーの一つであるハーキュリーズピクチャーズが『インビンシブル・フォートレス』という映画を製作中で、それが唐島監督の『天守閣』の盗作ではないかというお話でした。田代さんがその映画のシノプシスを取り寄せてチェックしたところ、時代劇から西部劇に置き換えられてはいましたが、ストーリーから登場人物までほとんどが一致するということでした。その会議のあと、私はハーキュリーズピクチャーズの代表者に宛てて、その事実を伝え説明を求めるファックスを送りました。そのファックスに対する回答が数日前ハーキュリーズピクチャーズの代理人であるサイモン・ヘイスティング&ゴールドマンから郵送で届きました。先方の弁護士の説明によると、ハーキュリーズピクチャーズは『天守閣』のリメイク権を正当に取得しているということでした。『天守閣』が製作されたのはもう40年ぐらい前になりますけれども、その数年後に製作会社である日東映画株式会社が米国のイオナピクチャーズという会社に『天守閣』のリメイク権を与え、ハーキュリーズピクチャーズはそのイオナピクチャーズの承継人だということでした。彼らはその日東とイオナピクチャーズとの間の契約書の写しと権利の承継に関する書類の写しを同封してきました」

 君原は、アメリカの法律事務所から送られてきた書類を封筒から出し、テーブルの上に並べた。

「これがその問題の契約書です。契約の日付が1965年3月17日になっています。その内容は日東が『天守閣』のストーリーおよびキャラクターを含めたすべての内容につき権利を持っていて、イオナピクチャーズに対して『天守閣』をベースにした劇場用またはテレビ用の映画を本数に制限なく製作する権利を永久に与えるというものでした。要するに制限のないリメイク権を与えているということになるのです。この契約が有効であってハーキュリーズピクチャーズがその権利を承継取得しているのであれば、ハーキュリーズピクチャーズは『天守閣』のリメイクを何本でも作ることができるわけなのです。問題はこの契約の有効性です」

 

 君原はファイルの中から判例集のコピーを取り出した。

「本件とよく似た判例があるのです。それは東京地方裁判所の昭和53年2月27日の判決で、俗に『七人の侍脚本映画化権事件』と言われているものです。伊藤君、この事件について分かりやすく説明してもらえますか?」

 伊藤はワープロで打ったメモを見ながら説明を始めた。

「映画『七人の侍』というのは勿論黒澤明監督の作品です。この作品は昭和29年に東宝によって製作されていますが、昭和35年にこの作品に基づいた『荒野の七人』という西部劇が米国で製作されています。これに先立つ2年ほど前ですが、東宝はアメリカのアルシオナ・プロダクションズ・インクという会社との間で『七人の侍』の再映画化を許諾する契約を締結しています。『荒野の七人』はこの会社から再映画化権を譲り受けたMGMが製作したのです。『七人の侍』は黒澤明、小国英雄と橋本忍の3人が脚本を書いていますが、これらの脚本家はアメリカで『荒野の七人』が製作されたことを知り、再映画化を許諾できるのは脚本家である自分たちであり、東宝にはそのような権利がないと主張して東宝に対してその事実を確認するための訴えを提起したのです」

「リメイクと再映画化は同じ意味です」と君原が口を挟んだ。

「要するに、同じストーリーの映画を新たに作ることです。同じストーリーといっても完全に同一である必要はなく、アメリカの判例をみると、粗筋が似ていればそれだけでリメイクと言うようです。

 再映画化をする場合には権利者の許諾を得る必要があります。普通この権利者は脚本家です。なぜなら、ストーリーというのは脚本家が創作するものだからです」

 伊藤が説明を続けた。

「東京地方裁判所の判決は、簡単に言えば、脚本を映画化する権利は脚本家が持っていて、脚本家と映画会社との間の映画化の契約、つまり最初の映画を作る契約ですね、これは1本の映画のみを作ることを許諾していて、さらにそれをリメイクする場合には新たに脚本家から許諾を得なければいけない、というものでした」

 伊藤は東京地裁判決が何故このような結論に至ったかについて説明した。判決によれば、その当時は映画会社が脚本家から映画化権を買い取るに必要な脚本料を支払う経済力がなく、脚本料は一般的に1本の映画を製作するための脚本使用料と考えられ、その1本の製作が終れば映画化権は脚本家に戻るという慣行があった。『天守閣』は『七人の侍』の6年後に製作されたが、判決の表現からはこのような慣行がかなりの期間存在していたことが窺われた。

 

 伊藤は説明しながら、依頼者から何の反応も返ってこないことに気付いた。

「要するに僕の許可を得なければ映画は作れないってことだよね。訴訟すればこちらが勝つということだよね」と唐島監督が難解な説明にしびれを切らして言った。

「一応そういえますが……2つ問題があります」と、君原が伊藤にかわって答えた。

「一つは、この東京地裁判決に対して東宝は控訴をしていませんから、高裁で反対の結論になった可能性もあるということです。判決書を読んでみますとかなり際どいケースだったかなという気もしますので、同じ事実関係でも裁判所によっては反対の結論を出す可能性があるわけです。次に、今回ハーキュリーズピクチャーズの映画製作を止めるためにはアメリカで訴訟を起こす必要があります。その場合にはアメリカの裁判所がどういう判断をするか、日本の先例をどれだけ尊重するか、このあたりは何とも言えないと思います」と君原が言った。

「勝つ可能性というのは、じゃあ何%ぐらいあるのかね」

「60か70かというところですか」

「そうか……でも黙ってみているわけにはいかないんだよ。僕に相談なく日東とアメリカの方で勝手なことをやられるというのは非常に不愉快なんだ。それに、今度の映画の監督のスタンリー・ブラックというのは僕は大っ嫌いなんだ。昔彼の映画を見たことがあるが、途中で映画館を出たいと思ったぐらいだ。人間というものを全然分かっていないんだよね。全然勉強していないんだ。もっと本を読まなければいけないんだ。僕なんかドストエフスキーを何十回も読んだんだよ……」

「アメリカで訴訟を起こしたらどうなるんでしょう」と田代が口を挟んだ。

「映画製作の差し止めと損害賠償請求の訴えを起こすことはできると思います。判決が出るまでには時間がかかりますので、日本の仮処分のようなプレリミナリイ・インジャンクションという仮の差し止めを求めることもできます」と君原は答えた。

「アメリカでの訴訟のお金とか時間はどうなるんでしょうか」

「大事務所に頼むと弁護士料が高くなるでしょうけど、あのグリーンバーグ弁護士がいいんじゃないですか。あの去年だか、脚本のライセンス契約をやってもらった弁護士ですよ。彼は1人で事務所をやっていますから費用的には安くなると思います。時間としては判決が出るまでにはやはり2年くらいかかるかもしれませんが、プレリミナリイ・インジャンクションであれば1〜2ヶ月で結論が出ると思います」

「じゃあそれをやった方がいいんじゃないかしら?」と田代が唐島監督の方を向いて言った。

「ただ、『ディスカバリイ(開示手続)』という手続がありますので、アメリカでの訴訟というのはそう簡単ではないんです。特に日本人のような英語が苦手な国民にとっては。滝川さん、アメリカの訴訟を見てきてどうですか?」と君原が聞いた。

「アメリカの事務所で研修をしておりました時に、その事務所の依頼者の日本企業がアメリカで訴訟に捲き込まれたんです。日本の裁判の場合は、1〜2ヶ月に1回法廷が開かれ、それまでに準備をしていけばいいのですが、アメリカの場合には、裁判が始まる前に原告と被告の弁護士がお互いに相手方の持っている資料を全部出させようとするんです。それがディスカバリイという手続きなんです。

 その時はまず『インテロガトリイズ』という質問書がきて、何十項目にもわたって細かい質問に答えさせられました。次に『リクエスト・フォー・プロダクション・オブ・ドキュメンツ』、つまり文書提出請求がきて非常におおざっぱに特定された性格の文書を全部提出しなければいけないんです。例えば、ある契約に関係のある社内文書全部とか。この社内文書というのもとても網羅的で、手書きのメモのようなものも出さなければいけないんです。このような要求に正直に対応しないで、後日嘘をついたことが分かると、それだけで裁判に負けてしまうのです」

 希花は、ロスの事務所で徹夜で資料を整理していたのは、ちょうど去年の今頃だったなと思いながら話を続けた。

「あと『デポジション』という証言録取の手続があり、これが裁判所での証人尋問のような形で、相手方の情報を持っていそうな人に質問をして必要な答えを引き出すのです。その時は相手方の弁護士が日本に行って依頼者の部長や取締役の証言録取をしました」

「私も日本で何回か依頼者の手伝いをしたことがありますが、あれは半分嫌がらせではないかと思いましたね。特に日本の依頼者にとっては相手方の弁護士からきた分厚い文書がいったい何を求めているのかを理解するだけでも大層な時間と労力を要します。失礼ですが、唐島プロダクションの場合には、一つには人手がないことと、もう一つは文書の管理が必ずしも完璧ではないということで問題があると思います」と君原が言った。

「そうなんですよ。文書なんてどこに何があるかまったく分かりません。監督はそういうことにはまったく疎いので、今まで何人かの人にプロダクションの経営を任せていたんですけど、みんな監督を利用して甘い汁を吸って逃げてしまうというような有様で、何がどうなっているのか全然分からないんです。監督はハンコも預けっぱなしでしたから、全然知らない契約書が作られていたこともありましたし、多額のお金が会社の名前で借りられてどこかにいってしまったということもありました。だから30年前に何があったかなんて、今の唐島プロダクションにいる人は誰も分からないんです」と田代が言った。

「こちらが当然持っているはずの文書を出さないということは印象としてはまずいですね。裁判所は故意に隠しているというように解釈する可能性もありますし。あ、もう一つ、アメリカで訴訟を起こす場合の問題として陪審制の問題があります。今回は、こちらが望まなくても相手が望めば陪審員による裁判が行われます。陪審制はいいところもあるんですが、結果が読みにくいということは言えます。特に一方が外国人の裁判の場合には外国人が不利になるのではないかという恐れがあります。

 いずれにしてもアメリカで訴訟を起こすというのはもう少し待った方がいいと思います。まず、『七人の侍』の判決については連中は知らないでしょうから、それについて直ぐファックスを送りたいと思います。先方の法律事務所としてはびっくりするでしょうから、当然何らかの反応があると思います。こちらが行動を起こすのはそれからでいいのではないですか」と君原は言った。

「実は、記者会見をしようと思っているんですが、いかがでしょうか?」と田代が君原に聞いた。

「記者会見ですか?」

「ええ、何か監督が怒っているということが一部の新聞や雑誌に知れてしまって、間違った記事が載るよりも正しい情報を記者会見の形で伝えた方がいいんじゃないか、と思ったのです。それでもう会場も予約して新聞・雑誌・テレビに連絡しちゃってるんです」

「そうですか……もう少し待ってほしかったところなんですけど……まあ、あまり刺激的なことを言わないようにすればいいでしょう。で、いつなんですか?」

「あさって。ホテルオークラでやるんです」

「そうですか」

「実は先生にも出ていただきたいんですけど、いかがでしょうか?監督と私だけだとまずいことを言ってしまうかもしれないので……」

「何時からですか」

「2時から4時までです」




 希花は記者会見の会場の一番後ろの隅の席に座っていた。唐島プロダクションの人によると、新聞・雑誌から40人ぐらいの記者が来るということだったが、すでに、もうその倍ぐらいの人が来ているように見える。テレビカメラも何台か入り、随分おおごとになってしまったという感じがする。何人か外国人記者の姿も見える。

 壇上には唐島監督を中央に、向かって右に田代、左に君原が座っていた。プロダクション側から記者達にこれまでのいきさつについての説明があり、唐島監督の話が始まった。

「僕はこういう映画を撮っていることはまったく知らなかったんですね。それで、聞いてびっくりしてしまって、だって僕の『天守閣』とそっくりなんですよ」

 フラッシュが焚かれ、シャッター音がひびいた。

「そこでこちらの君原弁護士に聞いてもらったんですけれど、すると何か日東がアメリカの会社に勝手に映画を作っていいと言っていたらしいんですよ。これはおかしいので、だって映画化を許可できるのは脚本家だけなんですから。えぇっと……『七人の侍』のえぇっと東京えぇ……」

「東京地裁判決です、1978年の」

「ここはあなたに説明してもらった方がいいな」と唐島監督は君原の方を向いて言った。君原はここで東京地裁判決の意味について長々と話をしたが、記者達にどれだけ理解されたかは明らかではない。君原の話が終わり唐島監督が話し出した。

「とにかくそんなわけで、日東が勝手なことをやったので困っているんですよ。いずれにしても僕にはダメだという権利があるんだから、はっきり言ってやろうと思っています。場合によっちゃあ止めろと言うかもしれない」

「製作を差し止めるということですか?」記者の一人が質問した。

「そうだね。しょうがないじゃない」

「あの映画は100億円の大作で、もうクランクアップ寸前だという話ですけど」

「そんなのは僕の知ったことじゃないよ。人に断りなしに勝手なことをするからいけないんだよ」

 唐島監督の声が1オクターブ高くなった。

「アメリカで訴訟を起こすということですか?」

「そうだね。仮差し止めとかいうので止めることも考えている」

 君原は困った顔をしていたが、黙っていた。

「ついでに言うとね、僕はあの監督が嫌いなんだよ。人間について分かっていないんだよね。ドストエフスキーを読むべきなんだ。ドストエフスキーを……」

 

 この記者会見は、次の日のスポーツ新聞の芸能欄に大きく載った。一般紙の社会面にもそれなりの大きさで載った。テレビでもワイドショウが記者会見の録画を流した。日本では、このニュースは3日も経たないうちにほとんど忘れ去られたが、アメリカにはこのニュースをもっと深刻に受け止める人々がいた。




 サイモン・ヘイスティング&ゴールドマン−SH&Gと呼ばれている−はニューヨークのミッドタウンにある52階建てのビルの24階から45階を占めていた。SH&Gは世界の32都市に事務所を持ち、2000人を超える弁護士を擁する世界最大の法律事務所である。

 カール・ミルドレッドはエンターテイメント部門がある32階から事務所の最高幹部が部屋を持つ45階へと急いでいた。4時の約束の時間にあと1分しかない。エレベーターは40階で一度乗り換えなければならないので1、2分遅れてしまう。ミルドレッドは、マネジング・パートナーのリチャード・キングが、約束の時間に3分遅れたパートナーを即座に解雇したという、伝説のようになっている話を思い出した。

 1分半遅れで45階に着いたミルドレッドは、リチャード・キング・マネジング・パートナーと金文字で書かれた厚くて重い扉をノックし恐る恐る部屋に入った。キングの部屋からはハドソン川とその向こうのニュージャージーが見渡せるはずだったが、窓には厚めのレースのカーテンが二重に掛けられていて、晴れた日でも窓の外が厚い雲に覆われているような錯覚を起こさせた。部屋は広かったが、トップのパートナーの部屋としては簡素で、必要最小限のものしか置かれていなかった。大きなデスクの前には、応接セットがガラスの丸テーブルを挟んで置かれ、そのテーブルの上には何種類もの新聞と新聞のコピーが重ねて置かれていた。現物の新聞はニューヨークで手に入るニューヨークタイムズ、ヘラドトリビューンやワシントン・ポストで、コピーは主に西海岸の新聞のコピーだった。

「ちょっと遅れてしまい大変失礼しました。資料の整理をするのにちょっと手間取ってしまいましたので……」

「いいんだよ、カール、まあ座りたまえ」

 ミルドレッドは、あまり新聞の山の方を見ないようにしながら、黒い大きな鞄に詰められていた資料をテーブルの上に出した。

「カール、唐島監督が言っている判決のことは調べてくれたかい?」

「昨晩、東京オフィスに連絡し、今朝レポートが上がってきました」

「結論は?」

「一応言われている判決はあったのですが、地裁の判決で、1件だけですし、先例としての価値はそれ程ないと思います……」

「われわれはそれを見落としていたというわけだね。カール……君があのオピニオンレターにサインしたんだったね。君はその中であの日東とイオナピクチャーズとの間の契約が有効で拘束力があって、ハーキュリーズピクチャーズがあの日本映画のリメイクを作るになんの支障もない、と断言したんじゃなかったっけ……」

 オピニオンレターとは日本でいえば意見書のことである。しかし、その重さは全く違う。

 日本の会社は、弁護士の意見書を参考としてしか見ないし、その内容が誤っていても弁護士の責任を追及することはめったにない。それに反して、アメリカの法律事務所の出すオピニオンレターは法律保証書のようなもので、その内容に誤りがあり、それを信頼して取引をした依頼者が損害を被った場合には、法律事務所が全損害を賠償する必要がある。本件について言えば、SH&Gは日東からリメイク権をもらえば十分だと言ったが、その実唐島監督の承諾が必要だったことが判明した。その結果ハーキュリーズピクチャーズが映画の製作を中止することを余儀なくされれば、SH&Gはそれによって生ずる全損害を賠償しなくてはならないのである。

 

「まったく申し訳ありません。アソシエイトが東京オフィスから日本法上の問題はないとの確認を得たものだとばっかり思っていましたので……」

「そのアソシエイトは?」

「今朝解雇を言い渡しました」

「もちろんサインしたのは君だから、アソシエイトを首にしたからといってなんの言い訳にも謝罪にもならないわけだけれどね。クライアントに対してどうするかという話だよ」

「随分怒っておられるんでしょうね」

「昨日ヒューバート・マリックご本人から電話があったよ。すごい奴だよ、マリックっていうのは。笑いながら、間違いは誰にでもあるさ、気にするなよ、と言いながら、3ヶ月以内に解決しなければこっちから全部仕事を引き上げるというのだよ。私は昔からマリックを知っているが、彼が粗相をした犬をゴルフのクラブで殴り殺すのを見たことがある。その時もマリックは笑っていた。気違いのように笑っていた」

 ミルドレッドは恐怖に震えた。

「3ヶ月以内に解決しなければ仕事を引き上げるっていうんですか……」

「どういうことだか分かるね。去年の実績でわれわれの売上の23%はマリックのグループからのものだ。それがいっぺんになくなればわれわれは潰れる。まあ、潰れないまでも大変なことになるだろう。弁護士の3割か4割かは解雇だ。損害賠償だけだったら保険でカバーできるが、仕事を引き上げられるのは困る。本当に困る……」

 マリック・グループは全世界での法律案件をSH&Gに依頼しており、SH&Gはマリック・グループの成長とともに急成長を遂げ、ここ数年で世界の法律事務所のベストテンの下位から1位に躍り出た。

「しかし本当にそこまでするんでしょうか?」とミルドレッドは言った。

「最近うちの事務所は何回かへまをやっているからな。単なるおどしではないよ。うちのライバルだったらどこでもマリックの仕事はやりたいだろうし。それに、君は知っているかどうか、この映画はマリックにとっては特別な映画なんだよ」

「1億ドルの予算ですから、滅多にはない超大作ですね」

「それだけじゃないよ。主演女優のソフィア・メイズが問題なんだよ。彼女がマリックの愛人だっていうのは知ってるかい?」

「本当ですか?」

「おおやけにはなっていないけどね、知ってる人間は知ってるよ。あるタブロイド紙が記事にしようとしたんだけど、マリックがそれをもみ消した。かなり手荒な方法でね」

 アソシエイトが作った手紙をろくに読まないでサインをするのはいけないことかも知れないけれど、どのパートナーも実際にはやっている。あの時、ミルドレッドは一応契約書を読んでレターの原稿も見て何も問題はないと思っていた。それがこんな大事件になるとは、ミルドレッドの想像を超えたことだった。35才の彼は、将来を嘱望されたパートナーで、ニュージャージーにプール付の家を買ったばかりだった。もし本当にマリックの言うようになるなら、ミルドレッドの過失は疑いようがないわけだから、損害を被ったSH&Gから巨額の損害賠償を請求され彼は破産するだろう。アソシエイト時代に子供と遊ぶ時間もないほど仕事をして、過酷な競争に勝ってパートナーになったのに、あの努力は一体何だったんだろう。ミルドレッドは暗澹たる気持ちになっていた。

「そんなにがっくりすることはないよ」とキングが言った。

「しかし、3ヶ月で解決するというのは、ほとんど不可能です。訴訟は3ヶ月では決着がつきませんし、和解をするにしても時間がありません。それに、唐島監督というのはとても頑固な人のようで、金で解決がつくとも思えません」

「作戦を立ててみようじゃないか。敵はどう出てくるだろうか。訴訟を起こすと言っているんだから、たぶんハーキュリーズピクチャーズがあるカリフォルニアの裁判所に訴訟を提起するだろう。それがいつになるか分からない。それを待っているよりも、むしろこちらの方から攻勢に出て行くべきだろう。幸い、唐島監督もこっちの映画の悪口をたくさん言ってくれているから、こちらが映画化権を持っていることの確認に加えて、営業妨害と名誉毀損による損害賠償の請求も付け加えればいい。1000万ドルぐらい請求してやれば向こうも少しはびっくりするだろう。しかしこれだけで向こうが折れてくると思うのは楽観的すぎるだろうがね」

 リチャード・キングはまだ48才だった。彼がこの2000人の弁護士集団のトップに立ったのはひとえに、粘り強さと、時として強引とも思える攻撃がうまく噛み合ってきたからだろう。キングにとっての世界は戦場であり、法律は武器だった。キングの扱ったM&A(企業の買収合併)の中で何人かの経営者が自殺したが、それは戦場では当たり前のことであった。事務所内の権力抗争においても、キングは何人かの先を走っていたパートナーを罠に掛け引きずり降ろした。そのうち1人は今刑務所に入っている。これも、仕方のないことだ。弱く、愚かな人間は、それにふさわしい生き方をしていくのだ。今回の試練も頭を使えば必ず切り抜けられるはずだ。頭脳の戦いでキングは人に負ける気はしなかった。フットボールの選手のようにいかつい体をしていたが ― 大学時代は実際に名クォーターバックだった ― キングの頭脳は機械のように感情に惑わされることなく、一つ一つの情報を分析し整理し、その情報の一かけら一かけらを剃刀の刃のように鋭く研ぎ、敵の急所を突く武器に変えることができた。

「唐島監督は頑固者か。あの記者会見には弁護士が同席したと書いてあったな。カール、なんという弁護士か調べてあるかい」

「君原という弁護士です。東京大学を出てコロンビア大学ロースクールに留学しています。寺本黒田法律事務所のパートナーで……」

「寺本黒田か。寺本とは昔契約交渉の相手方で会ったことがあるよ。日本では大きい方の事務所だったよね」

「60人ぐらいですね。日本には今60人前後の事務所が4つありますが、そのうちの一つです」

「唐島監督は大監督かもしれないが、法律問題については寺本黒田法律事務所に頼らざるを得ないだろう。唐島監督を買収できなければ寺本黒田を買収するというのはどうかね。買収というのは文字どおり乗っ取ることだよ。60人規模の弁護士事務所の買収はわれわれは何回もやったことがあるし、それが仮にその国の最大の事務所だって一つも特別なことはないさ」

「しかし、会社と違いますからTOB(公開買付)をかけるわけにはいきませんし、交渉には時間が掛かるのではないですか?」

「普通はそうだ。1年かそこらは掛かるだろう。でも今回われわれは3ヶ月しか時間を与えられていない。特別な方法を使うしかない」

「特別な方法とは?」

「それはもう少し調べなければ分からない。だが、どんな組織にも弱点はあるもので、それをつけば3ヶ月というのは十分な期間かも知れない」

「われわれの日本事務所を使えばそれなりの情報は集まると思いますが、そんなものでいいんでしょうか?」

「もちろんダメだ。人を送り込むのだ。私はいい人間を知っている。クリスティーヌ川上という女性だ。国籍は韓国だが、英語と日本語と韓国語をネイティブのように話す。最近のM&Aの交渉で彼女の取ってきてくれた情報が大変役に立ったのだ。彼女を紹介してくれたのはマーシャル&野村の野村弁護士だ。マーシャル&野村は、ニューヨークをベースにした中規模の事務所で日系の野村弁護士が実質的に支配している。野村はアメリカと日本の間の政治家がからむあぶない案件を得意としていて、クリスティーヌ川上をスパイのように使っているのだよ」

「そんな人間がいるとは知りませんでした。しかしどうやって送り込むんですか?」

「マーシャル&野村は寺本黒田と仲が良かったはずだ。われわれは野村に対しては強い影響力を持っている。われわれから回す仕事がなければ彼らはとうに潰れていたはずだよ。もっとも回している仕事は筋の悪い仕事が多いけどね」

「マーシャル&野村をどうやって使うんですか?」

「例えば、クリスティーヌ川上をマーシャル&野村の人間だという形にして、寺本黒田に送り込んでもらう。秘書としてのトレーニングが必要だとか……秘書というのは変かな。オフィス・マネジメントというのはどうかな?マーシャル&野村は日系のクライアントが多いわけだし、それに適したオフィス・マネジメントを日本で学ぶというのは変ではないだろう」




「西城さんいる?」と黒田英雄の大きな声が響いた。

「は〜い」と西城が甲高い声で答えた。

 西城夏子は黒田のグループのジュニア・セクレタリーで、名前の通り南国的な肌と大きな黒い眼を持った23才だった。仕事はあまりできなかったが、胸が大きく男好きのするタイプだったので、黒田には気に入られていた。

 西城が黒田の部屋に入っていくと、黒田はちょっと声を低めて言った。

「今日いつもの虎ノ門のマッサージに行ったらさ、パンツをはいてくるのを忘れちまったんだ。あそこ、宮下女史も使っているんだよ。運悪くはち合わせして、気が動転したんだろうな。なんか股のところがごそごそして気持ち悪いんだよ。悪いけどデパートかなんかでパンツを買ってきてくれないかな?」

 西城は「きゃあ」というふうに大袈裟に驚いて見せたが、久しぶりに与えられた大事な仕事だったので喜んで引き受けた。

「BVDのブリーフでさ、紺のMサイズがいいんだ」

 西城が部屋を出ていくと、すぐ黒田の秘書の川崎が入ってきた。

「何ですか、若い女性にあんなことを頼むなんて。すぐ事務所中に知れ渡りますよ。西城さんは特に口が軽いんだから」

「聞こえていたのか」

「当たり前でしょ。先生の声は小声にしたって大きいんだから。

それから今日のことですけど、赤坂プリンスを予約しておきましたから。例の名前で」

「分かった」

「いつも言いますけど、2人で外で食事をしたりしてはダメですよ。必ずルームサービスを取るの」

「分かっているよ」

「相手が相手だし、先生も大事務所のネームパートナー(事務所名の中に名前を出しているパートナー)なんだから、写真週刊誌なんかに知られたら大変ですからね」

「大丈夫。大丈夫。俺はこう見えても慎重なんだから」

 黒田は3ヶ月ほど前から30代後半の女優とつきあっていた。春木ゆかというひと昔前にかなり人気のあった肉体派女優だ。彼女は有名な作曲家と結婚して引退していたが、最近はテレビを中心に活動を再開している。彼女が黒田のところへ来たのは古くからのクライアントである某社長夫人の紹介によるものだったが、春木ゆかの相談事というのは夫との離婚の話だった。結局離婚にまでは至らずに、ほとんど別居のような状態が続いているという話だったが、黒田にとってはかえって好都合で、めくるめくようなアバンチュールを楽しんでいる最中であった。

 黒田は身長もあまりなく小太りで、顔もタヌキに似てとてもハンサムとは言えなかったが、何故か女にはもてた。黒田は、渉外のほとんどのトップの弁護士が東大出である中で珍しく中央大学を出て、アメリカでの留学先もあまり名を聞かない地方の大学だったが、勘の良さはピカ一で、法律的な根拠はともかく、彼の指示に従ってクライアントが損をしたことは滅多になかった。この勘の良さは女性関係においてもそれなりに活かされ、秘書になった女性とは必ず関係を持ち、女性のクライアントとも友達以上の関係になり、3年に1度は騒動を起こしていたが、その都度うまく切り抜けていた。  

 

 寺本と黒田は何から何まで正反対で、それが彼らの仲を長続きさせているのかも知れない。名門の出である寺本に対して、黒田の父親は今でも錦糸町の駅の近くで小さな自転車屋を経営していた。仕事の面でも、寺本は細心すぎて大局を捉える力が足りなかったのに比べて、黒田はおおざっぱであったが、結論は概ね正しかった。事務所の20年近い歴史において、前半は寺本がほとんどを支えていたようなものだったが、後半は黒田の力が伸びてきた。黒田は外債発行の仕事という金脈を掘り当て、秘書や弁護士資格は持っていないが限られた分野では弁護士以上に役に立つパラリーガル(法律補助職)の労働力を使って大金を稼ぐことができるようになった。そしてその余った時間を事務所経営に振り向け、前からの持論であった世代を越えた悠久の存在であるローファームの構築に乗り出した。黒田は、日本の法律事務所は特定の個人の力に依存しすぎていると考えていた。大事務所でも、中心となっている弁護士がいなくなれば空中分解しそうな所が多かった。黒田は構成員である個々の弁護士から独立した組織としての法律事務所を作ろうと思い、事務所運営のために委員会制度を採用し、所内規則を整備した。

 寺本は、それまでは自分の個人事務所であるかの如く、仕事にも事務所経営にも八面六臂の活躍をしていたが、黒田が元気づくとそれに反比例するように気力が衰えていった。寺本からすれば、努力を重ねてきた人間と人生を楽しんできた人間が、山でいえば同じ高さまで登っているということが、許しがたい不公平に思えた。

 2人の性格の差は、2人が西の端と東の端にオフィスを構える26階の真ん中に立ってみればすぐ分かる。西の端の黒田のオフィスは黒田の大きな声とそれに応える何人もいる女性秘書達の笑い声でさんざめいていた。それに比べ、東の端の寺本のオフィスは、マイクロカセットレコーダーを右手に持って、部屋の中を歩き回りながら手紙を吹き込んでいる寺本の低い声が聞こえる他は、パソコンのキーを叩く音がうるさく思えるほどに静かであった。




黒田は赤坂プリンスホテルに電話をして部屋にいる春木ゆかにつないでもらい、部屋番号を確かめた。今日はゆかが先にチェックインすることになっていたのだ。車を降り、ガラスを多用したエントランスを過ぎ、左手にホテルのフロントを見ながら奥のエレベーターホールへ向かった。黒田は、自分でチェックインしなくて済むのは助かる、と思った。このホテルのロビーはやたらと明るく、人通りも多いので、ホテルの宿泊カードに名前を書いているときに誰かから声を掛けられるのではないかと、落ち着かない気持になるのだった。

エレベーターを35階で降り、廊下を左の方に突き当たりまでいくと、目的の部屋があった。ブザーを押すとすぐドアが開き、ゆかがいた。いつもなら、ゆかは黒田の顔を見て派手に喜ぶのだが、今日は緊張した表情で黒田を迎え入れた。黒田は部屋に入るとすぐ異変に気がついた。きついタバコの臭いがする。ゆかはタバコを吸わない。

 部屋には男が2人いた。1人はダブルベッドに横になりショートホープを吸っていた。もう1人は窓際に椅子を運び夜景を見ていたようだったが、振り返って黒田を見つめていた。

(どうしたんだ……誰なんだ、こいつらは……)

 黒田は一瞬のうちにいろいろな可能性を考えた。この連中は、部屋に付いているバスが壊れたので直しに来たホテルの従業員だろうか?ゆかが連れてきた新しいクライアントだろうか?それとも4人で麻雀をやりたがっているゆかの友達だろうか?

「あれが」と言って、ゆかはダブルベッドに横になっている男を指した。「私の夫の金井祐太朗です」

「は、初めまして」と思わず黒田は言ってしまった。

「金井です。よろしく」と男はベッドの上に起き上がって言った。黒田は、この男の顔を週刊誌で何度か見たのを思い出した。

「こちらが、弁護士の赤尻先生です」とゆかがまた言った。

「赤尻先生は、私が引き起こすゴタゴタをいつも綺麗に片付けてくれるんですよ」と金井は言った。

 黒田は思い出した。金井は芸能界ではフィクサーと呼ばれている男だった。芸能界での大きなもめごとの裏には必ず金井がいる、という記事をどこかで読んだことがあった。芸能界のもめごとというからには、やくざも絡むのだろうから、恐い人に違いない。

「私が連れてきたんじゃないのよ。無理矢理ついてきたんだから……」とダブルベッドの脇にしゃがみ込んでいたゆかが立ち上がって涙声で言った。

「ご主人とは別れたということじゃなかったのか?」と黒田は言った。

「いや、とんでもない。芸能界のおしどり夫婦って言われているのを知りませんか?もっとも、忙しくてあまり会う暇はないけど」と金井が言った。

「いや。それで、今日はどういうお話なんでしょうか。私に、どうせよとおっしゃるんですか?」と黒田は狼狽しながら言った。

「黒田先生。私は先生の後輩なんですよ」。突然、赤尻が口を挟んだ。

「私は先生の1年後輩なんですよ。1、2年の頃は先生がいつも答案練習会で最高点を取るのを見てどんな人だろうと思っていました……顔は知らなかったんですよ」

 

 赤尻は派手な縦のストライプの入った茶色のスーツに黄色いネクタイをしていた。時計は文字盤の周りをルビーが花びらのように取り囲んだこの上なく派手なもので、金縁のメガネにもいくつも宝石がはめ込まれていた。

「私が3年の時に先生が現役で合格して、合格体験談の時に初めて先生の名前と顔が一致したんですよ。それから先生は答案を採点する側に回って、私の拙い答案も見てくれました。ある時は ― 基本書に戻れ、これでは一生合格しないぞ ― と書いてくれましたね。いや、あれでよかったんですよ。私は反省して、難しい演習ものはやめて、もう一度基本書を読みなおしましたよ。それでもなかなか受かりませんでしたけどね」

 黒田は、やくざの弁護士を絵に描いたような、この男が何を狙っているのか読めなかった。

「下の方から壇の上で答案の講評をしている先生を見ていると、奇妙な気持ちになるんですよね。自分は虫けらのような人間で先生のような優れた人間には何をされても構わないのだと。マゾヒスティックな気分……そうかも知れませんね。受験生と合格者っていうのは天と地ほどの差がありますからね。夢まで見るんですよ。私が犬になって先生の足を舐めている夢を。ひぃひぃひぃ」と赤尻は痙攣するように笑った。

「いやぁ……私が少しでもお役に立てたのなら嬉しいけれど。それはともかく、今日はどうすればいいのかな……」と黒田は聞いた。

「いや、先生みたいな偉い先生とこうやって、お近くで話ができるのが嬉しいんですよ。それもよりによってこういう状況でね。ひぃひぃひぃ」と赤尻はよだれを垂らしながら笑った。

「弁護士同士なんだから、理性的に話ができるよね。私は、金井先生の夫としての権利を侵害した、これは間違いのないことだ。しかし、私がいなくなればお2人は元に戻るわけだし、婚姻関係が破綻したというような問題ではないし……。裁判所が500万円以上の損害賠償額を認める場合というのはよほどひどい場合だけですよね……ねぇ赤尻先生」

「昔、黒田先生は答案の講評の時にこんなことを言われた。絶対的な正義などはない。正義というのは当事者の力関係で決まってくるものだ。そうでしたよね、黒田先生」と赤尻はいたぶるような眼で黒田を見た。

「黒田先生は偉い先生だ。名誉、名声と傷つくものをたくさん持っておられる。芸能人と違って、週刊誌に載ったからって客が来るわけじゃない。むしろ、まともな客は離れていくかも知れない」

「何だか脅迫されているみたいだなぁ」と黒田は卑屈な笑いを浮かべて言った。

「それに、確か先生は弁護士会の副会長選に出るんじゃなかったですかね?」

「そうだ。私は……何も副会長になりたいなどと思ったことはないんだよ。立場上仕方がないんだ。応援してくれてる人達がいるから、どうしても勝たねばならない」

「そうなると正義の値段はおのずと決まってきますよね。こんなところでどうですか?」と赤尻は左手を開き右手の人差し指を立て、6の数字を表した。

「うむ。分かった。600万円出そうじゃないか。それですべてを納めてくれるなら」

「一桁違うよ」と赤尻が別人のようなドスの利いた声で言った。

「えっ!6000万……6000万円払えっていうのか」

「期限は2週間。もちろんキャッシュだよ」


10



 サイモン・ヘイスティング&ゴールドマン(SH&G)のロサンゼルス事務所では、夜を徹して作業が続けられていた。午前4時を回っていたが、センチュリー・シティにある事務所の明かりは煌々と照り、書類を抱えたパートナーやアソシエイトがせわしく動き回っていた。ニューヨークのキング弁護士からロサンゼルス事務所の訴訟部門の部長、マイケル・モートンに電話があり、3日以内に唐島監督および唐島プロダクションに対して訴訟を起こせ、という要請があった。今日がその3日目だった。マイケル・モートンは、パートナー4人、アソシエイト7人、パラリーガル8人でチームを編成した。このチームは3日間事務所の仮設ベッドで仮眠を取る他ほとんど寝ていなかった。

 米国の訴訟における訴状は、日本のように簡単に請求の趣旨と請求の原因を書いたものではなく、およそ考えられるすべての請求(クレーム)を列挙し、その根拠となる事実を綿々と書き連ねる。そのような訴状を作成するためには、可能な限り多くの資料を集め、それらを分析し、論理的に矛盾がないように、あらゆる請求を網羅していかなければならない。訴訟チームがまず行ったのは情報の収集だった。

 マイケル・モートンは東京事務所に電話を掛け、『天守閣』のリメイクに関するあらゆる書類を製作会社である日東映画株式会社から入手するようにと指示した。日東の社長にはすでにキングからのファックスが入っており、そのファックスにはハーキュリーズピクチャーズの製作している「インビンシブル・フォートレス」の製作・配給が唐島監督により差し止められた場合には、ハーキュリーズピクチャーズは日東に対して100億円以上の損害賠償を請求する、と書かれていた。日東は、『天守閣』のリメイクに関するすべての権利を持っていると称してイオナピクチャーズにリメイク権を許諾し、ハーキュリーズピクチャーズはイオナの承継人であるから、日東はハーキュリーズピクチャーズを騙したことになる、という理屈である。日東が脚本家である唐島監督の同意を得ることなく『天守閣』のリメイク権を売却したのは事実であるから、このような訴訟を起こされた場合には日東には勝ち目はない。これは日東にとって企業存亡の危機であった。

 SH&Gの東京事務所の弁護士3名は日東の応接室に4時間も待たされていた。その間、日東の社長ら幹部は、顧問弁護士を呼び、ハーキュリーズピクチャーズの要請にどのように答えたらいいか協議をしていた。キング弁護士の要求は、日東がその日の日本時間の午後6時までに書類を引き渡すことに合意しない場合には、ハーキュリーズピクチャーズは日東に対して訴訟を起こす、というものだった。日東の弁護士は自分が目を通していない書類を相手方に引き渡すわけにはいかない、と頑張ったが、最後に社長が自分の責任で書類を渡す、と決断した。SH&Gの東京事務所の弁護士達は、倉庫から持ってこられたその当時のものとおぼしき埃をかぶった段ボール箱いっぱいの書類を車に乗せ事務所に持ち帰った。次の日の朝6時までに事務所の8人の弁護士全員が手分けをして書類を整理し、関係のありそうなものを選び出した。それらの書類はすぐにロサンゼルス事務所にクーリエで送られた。

 ロサンゼルス事務所では何人もの弁護士が別な調査をしていた。日東から権利を譲り受けたイオナピクチャーズはとうに消滅しており、イオナピクチャーズからどのような経路でハーキュリーズピクチャーズがリメイク権を取得したかが問題であった。調査の結果、その契約はイオナピクチャーズから営業譲渡の一部としてある会社に移転し、その会社がまた別な会社に吸収合併され、更にその会社の親会社がハーキュリーズピクチャーズに吸収合併されることで実質的にリメイク権がハーキュリーズピクチャーズに来たということだった。しかし、それを証拠によって裏付けることは30年余りの時間の経過もあって困難を極め、未だ一部の書類が揃わなかった。もちろん、訴状の段階ですべての証拠が揃っている必要はないのだから、このストーリーに従って訴状の事実(ファクツ)の部分は書き始められていた。

 午前4時過ぎだったが、事務所の食堂にはケータリング会社が運び込んだホットサンドイッチ、ハンバーガー、スープなどの軽食が並べられていた。パートナーもアソシエイトもパラリーガルも、食堂の隅に置かれたホットプレートの上にある大きなコーヒーポットから熱いコーヒーを紙コップに注ぎ、好きな食べ物を取って椅子に座った。午後には訴状が完成するという見通しが立ったので、昨日までの緊張した雰囲気はなかった。何故この仕事にそれほどの緊急性があるのかについては誰も説明を受けていなかったが、仕事自体の意義よりも、全身全霊を打ち込んで仕事をしているという心地よさにみんなは浸っていた。午前4時半のロサンゼルスに、こんな気持ちでコーヒーを飲んでいる奴はそうはいないよ、と見交わす目が誇らしげに語っていた。銃を手にして戦っている連中と同じように、俺達は法律を武器にして戦っているのだ、そんな戦士の連帯感のようなものがあった。


11



 T&Kは毎年春にパートナー合宿を行っていた。今年は多少遅れて4月22日の土曜日から23日の日曜日にかけて熱海で行われることになった。パートナー合宿の主要な議題の一つは、各パートナーの経費負担率を決めることであり、そのためには前年度の各パートナーの決算が確定していることが必要だった。今年のパートナー合宿には海外出張をしている1人を除いて全パートナーが出席し、それに事務長および経理を担当している税理士の2人を加えた総勢19人が熱海へ向かった。大半の者が東京駅からこだまのグリーン車に乗り、君原は白石の隣の席になった。

 白石は君原に一言挨拶すると、目を閉じて不快そうに椅子の背を倒した。昨日話した時には、白石は合宿には出ないとだだをこねていたが、君原が、行かないと何を決められるか分からない、と言って無理やりに来させた。今日何が起こるかは、想像するまでもないことだったので、白石の態度も当然のことだった。

 

 白石は1週間ほど前に辞表を提出した。白石が干されているということは、他のパートナーも分かっていたので、辞める理由については聞くまでもなかった。しかし、他のパートナーにとって意外だったのは、白石が辞められるということだった。つまり、パートナーが辞めるということは、普通、他の法律事務所にパートナーとして迎えられるか、または自分で法律事務所を作るということだった。何れの場合にも、その辞めるパートナーが自らのクライアントを持っていない限り無理な話だった。自分で事務所を始める場合にはこれは当然のことだが、他の事務所に入る場合にも、自立できないパートナーを入れてくれるようなところはなかった。日本経済の長引く不況は、バブル時代には羽振りの良かった渉外法律事務所をも直撃し、仕事は激減していた。バブルの頃には、仕事さえできればクライアントなどいなくとも大手の事務所は歓迎してくれた。今は、法律事務所にもリストラの嵐が吹き荒れている。

 白石はにっちもさっちもいかない状況に置かれていた。仕事は取り上げられ、収入はほとんどなくなっていたが、経費だけは毎月掛かってくる。仕事を取ってくればいいと他のパートナーは言ったが、白石は仕事がどこに行けば取ってこれるのか皆目見当がつかなかった。外資系企業への就職の可能性も模索したが、採用を考えているところさえ見当たらなかった。1ヶ月ほど、ああでもないこうでもないと悩んだ末、これまで困った時に必ずそうしていたように、母親に泣きついた。白石の母親は、その日のうちから親戚中に電話を掛けまくり、すぐに解決策を手に入れた。国際公務員だった。

 白石の叔父、つまり白石の母親の妹の夫は外務省の高官だった。彼は部下に指示して国際機関における空きポストを調べさせ、その中からウィーンにあるUNCITRAL(国連国際商取引委員会)を推薦した。ここは、国際的な商取引に用いられる統一契約約款などを作成する国連機関で、国際取引が専門の弁護士にはピッタリの職場だった。国際機関は多くの場合、大学院卒の学歴を要求するが、白石は慶応の大学院でゆっくりと司法試験の勉強をしていたので、この点でも条件に合っていた。白石がまだ多少迷っている間に外務官僚には珍しく行動的な叔父は、UNCITRALの高官に電話をして話を決めてしまった。給料はそう高くはなかったが、白石の置かれている地獄のような状況からすれば、天国に等しかった。問題は赴任の時期だった。UNCITRALとしては長くは空けておけないポストなので、どうしても6月1日からウィーンで仕事を始めて欲しいと言ってきた。そのような訳で、白石の辞表には5月末日をもって事務所を辞めたいと記されていた。

 辞表を受けとった黒田は、白石が辞めることについては何の痛痒も感じなかった。黒田が問題としたのは脱退の時期だった。T&Kのパートナーシップ契約は、第12条(脱退)の条項で「パートナーは、事務所に対して書面による通知をすることにより、パートナーシップを脱退することができる。但し、脱退の効果は事務所が通知を受領した日から6ヶ月後に生じるものとする」と規定していた。白石は黒田に事情を説明し、例外的に5月末日をもって脱退させてくれ、と頼んだが、黒田は受け付けなかった。脱退の効果がいつ生じるかということは、白石にとっては死活問題だった。6ヶ月待たなければ脱退できないということは、その間事務所の経費を払い続けなければいけないということだった。白石が、荷物をまとめて事務所を出て、ウィーンに行くことは可能であったが、その後事務所からの収入はゼロになるので、白石は収入を生まない経費を払い続けることになる。前年度の白石の経費は4000万円を超えていたから、その半額の2000万円が白石の6ヶ月間の負担額になる。

 白石は自分の主張を一日掛けてワープロで8頁の文書にまとめ、全パートナーに配った。白石は、まず、自分の収入と支出の関係からすると、今年は1年を通じて利益は殆ど残らないことが予想されるとし、その理由の一つは事務所の経費負担方法に問題があるからだと述べた。そのような構造上の問題が早急に改善される見込みがないため、損失を最小限に留めるために自分は辞めなければならないと説明し、次に脱退の時期についての議論をした。白石は、パートナー契約の第12条の6ヶ月の事前通知の規定は、素人同士であれば、契約書に書いてあるというだけで動かし得ないものと思うかも知れないが、法律家の間の問題なのだからそう簡単に結論は出ない、と述べた。白石は6ヶ月の期間がオフィススペースの賃貸借契約の解約の予告期間と一致していることに注目した。パートナーシップ契約の6ヶ月の通知期間は、寺本と黒田が最初のパートナー契約を20年近く前に作った時から存在していた。その時は、当然2人のみがパートナーとして経費を負担していて、もし1人が辞めれば、残されたもう1人は突然2倍の経費を背負うことになる。2人が1人になれば使用するオフィススペースも半分で済む。しかし事務所スペースの賃貸借契約は6ヶ月の予告期間を定めていたため、相棒に飛び出されたパートナーは、6ヶ月間1人で無駄なスペースを維持しその家賃を払い続けなければいけないことになる。このようなリスクを無くすためにパートナー契約中に6ヶ月の通知期間が設けられた、というのが白石の解釈であった。そして、パートナーの人数が18人にまでになった今日では、1人のパートナーが辞めたからといって、それで事務所の賃貸借契約をすぐに解除しなければいけないという状況は考えられず、従って、今ではこのパートナーシップ契約の6ヶ月の事前通知はその存在理由がなくなっているというのである。

 白石の理論には説得力があり、裁判所が判断するとすれば、白石に軍配を揚げる可能性が十分あった。問題は、今度の話し合いが利害を異にする当事者同士のものであり、更に、白石は16人の弁護士を相手に戦わなければならないということであった。弁護士という生き物は、常に相手方の主張と反対の主張をするという習性を持っている。真実が何であるかは弁護士の関心事ではなく、一方の主張をいかにもっともらしく展開できるかが問題だった。従って、白石が論争を挑むような文書をパートナーに配ったのは明らかに間違いであった。このような場合、どんな優れた議論をしても無駄であり、泣き落としを試みるしかなかったのである。

 もう一つ付け加えると、この問題で白石の立場は他の16人の弁護士とは異なっていた。6ヶ月の通知期間は、脱退しても弁護士を続ける者にはさしたる影響はなかった。脱退して自ら事務所を開く場合には、6ヶ月先を目途に事務所を開設すればいいのだし、他の事務所に移る場合も、移籍の時期を6ヶ月後にすることに文句を言う事務所は少なかった。政府機関や大会社の場合にはこのような融通はなかなかきかず、そのような場合にのみこの6ヶ月の事前通知は問題となった。16人の弁護士は、自分が辞めるような時があるとしても、この6ヶ月が障害となるような辞め方をするとは考えておらず、従って白石の問題は自分とは関係がないと考えがちであった。

 とにもかくにも、この問題は熱海の高級旅館の2階の会議室に設けられる仮設法廷で審理されることになった。白石にとって不幸なことは、この法廷に裁判官がいないということだった。


12



 寺本の運転するBMW750iLは、黒田を後部座席に乗せて東名を熱海に向かって走っていた。寺本は車を運転するのが趣味だったから、熱海までの距離はちょうどいい気晴らしになり、いつの頃からか、同じ東急線沿線に住む黒田を拾っていくことになった。黒田は、ものぐさだったから、時間は掛かってもBMWのゆったりとした後部座席で寝ながら熱海まで行けるのが有り難かった。

「寺本さん。君原のことはどう思う?」目を覚ました黒田が言った。

「どう思うって?」

「最近俺が何をやっても楯突くだろう。クーデターを起こす気じゃないのか?」

「それほど頭の回る奴じゃないよ。今でも全共闘の時代の妄想が抜けないだけなんじゃないか」

「東大の安田講堂に立てこもったというのがあいつの唯一の自慢なんだ」

「高校生の時だろ?」

「俺達より4つ下なんだから、高校3年の時だ。あいつは機動隊が入る前にちゃっかりと逃げ出したっていう話だよ」

「それは知らなかったなぁ」

「ちゃんと調べてあるんだ。それで、仲間から裏切り者呼ばわりされて、学生運動から離れていったようだ」

「一浪して東大に入ったんだよな」

「そうだ。大学ではESSに入ってディベートの全国大会で優勝したとか言っているけれど、本当は女と遊び回っていたらしいぜ。3年の時には、青学の女の子を妊娠させて、相手の親が大学に怒鳴り込んできて大変だったらしいぜ」

「どうしてそんなことを知っているんだ?」

「調べたのさ。ちょっと金がかかったけどね」

「黒田先生にかかっちゃ秘密も何もないね。でもそこまでやる必要もないだろう」

「いや、あいつは意外と人気があるから、甘くみちゃいけない」

 黒田はタバコに火をつけた。寺本がタバコ嫌いだということは知っていたが、自分に都合の悪いことは忘れてしまえるのが黒田の特技であった。

「ところで寺本さん……4000万ぐらい余っている金はないかな」

「黒田先生、私が貧乏なことはよくご存知でしょう」

「こんなにいい車に乗っているし……俺よりも金持ちかと思ったけど」

「だって先生の売上はずっと3億を切ったことがないでしょ。私なんかみじめなもんですよ。先生の場合、あれだけ稼いだ金はどこに行っちゃうの?」

「株とか女とかいろいろ落とし穴があるのよ。先生には分からないだろうが。今すぐ必要なんだけど、4000万……」

「銀行から借りればいいじゃない」

「銀行はとうに限度額を超えちまっているよ。バブルの頃はあれほど借りてくれっていってきたのに冷たいもんだよな」

「でも何で突然4000万なんかいるの?また信用取引で損をしたの?」

「いや、もう一つの方だよ。女だよ。今度はすごいのに引っかかっちゃった」と黒田は洗いざらい話した。

「その赤尻という弁護士が不気味な奴なんだよ。俺のことをよく知っていて、俺に惚れているんじゃないかとさえ思ったりするんだが、突然ものすごく凶暴になったりして、何を考えているか全然分からない。最初6000万て言われたのが4000万まで値切れたのが有り難いと思った方がいいのかも知れない」

「しかし、どこから調達するの、その4000万」

「俺が事務所の経費を2ヶ月分滞納すればそれぐらいなるんだな」

「止めてくれよ、事務所が潰れちゃうよ」

「しかし、銀行強盗をやるわけにもいかないし、俺にできることは限られているんだよな」

「何を考えているか分かるような気がするが、それは絶対に止めろ。ばれるよ。ばれたら破滅だよ」

「大丈夫だよ。俺はそんなやばいことはやらないよ。親戚に金が余っているのがいるから、聞いてみるよ」

 しかし、寺本の恐れていたことを黒田は実行しようとしていた。俺は並の弁護士じゃないんだ、絶対に失敗はしないぜ、と黒田は心の中で呟いた。


13



 熱海で新幹線から降りた一行は、お決まりのコースで、駅前のそば屋で軽く食事をし、タクシーに分乗して旅館へ向かった。

 会議室は、クリーム色の壁の、窓のない広い部屋で、その中央にテーブルがロの字型に並べられていた。会議は2時から始まることになっており、定刻には全員が集合した。全員が着席した状態で、事務長が写真を撮った。パートナー合宿の費用を会議費として落とすための証拠写真であった。

 黄色いTシャツにうす汚れたジーンズの上下を着た黒田が、第14回のパートナー合宿を開催すると宣言し、議長を山崎弁護士にやってもらいたい、と述べた。山崎は白石と司法研修所同期の弁護士で、黒田の右腕ともいうべき男だった。山崎は黒田に似た小太りの風采の上がらない男だったが、忠誠心は人一倍あり、黒田の一番信頼する中堅弁護士であった。

 誰も議長はやりたくなかったので、この人事はすんなりと決まり、山崎はその日の議題を読み上げた。

「議題が3つ出ておりまして、1つはいつもの経費負担率の決定の件で、次は君原先生が出されたいわゆる構造改革論で、最後に黒田先生からパートナー契約の6ヶ月の事前通知について討議して欲しい、とのご要望があります。この順番ですが、経費負担率については他の2つの案件が関係しておりますので、それらが片付いてからにした方が良いかと思います。残る2つの案件のどちらを先にした方がよろしいでしょうか?」

「私のはあとでいいです」と君原が言った。

「それでは、6ヶ月の事前通知について、黒田先生からご説明いただきたいと思います」

 黒田は1口コップの水を飲むと、話し出した。

「ご承知の通り、白石先生から辞表が出ています。これは大変に残念なことで、私としましては是非ずっと一緒にやっていただきたいと思っていたんですが、ご本人の希望なのでやむを得ません。従ってこの辞表は受理することにしたいと思いますが、白石先生がパートナー契約第12条の脱退時期の問題についてご意見をお持ちなのでこれについてコメントとしたいと思います。

 パートナー契約第12条は、お読みいただければお分かりの通り、脱退の効力は通知から6ヶ月後に生じることになっています。この文章は寺本先生と私が作ったもので、どう読んでも言っていることは一つだと思います。われわれは、パートナー間での争いを防ぐために、他の事務所では類を見ないほど詳細なパートナー契約を結び、パートナーは全員このパートナー契約に実印を押しています。それを今になって、自分に都合が悪いからといって、効力がないなどというのは言語道断だと思います」

 黒田はパートナー契約を楯に取り、6ヶ月の事前通知が必要なのは明白だと言い切った。これに対して白石は、パートナー契約第12条はすでに効力を失っているとする、書面に書いた議論を改めて詳細に説明した。パートナーのほとんどは白石の提出した書面を読んでいないようで、白石の説明に対する反応は鈍かった。黒田は白石が何を言おうと「契約を守れ」の一点張りで、らちが明かなかった。白石の声がうわずってきた。

「事務所を辞める権利は誰にでもあるはずで、タコ部屋じゃないんですから。その辞める権利を不当に拘束する契約条項が合理的かどうかということを言いたいんです。これじゃあ、まるで昔芸者が抜けられないようにした契約と同じじゃないですか」と白石が頬を紅潮させて言った。

「抜けちゃあいけないと言っている訳じゃないんだよ。ただ弁護士だったら日本語ではっきり書かれた契約を守ってくれと言っているだけだよ」と黒田は言った。

 

 白石の言っていることは間違いではないのだが、議論の進め方がいかにも下手だ、と君原は思った。君原はしびれを切らして手を挙げた。

「黒田先生の言うとおり、私もこの条項が無効だとは思わない」と君原が言うと、黒田は意外そうに君原の方を見た。

「例えば、黒田先生がこういう面倒くさい事務所が嫌になって明日辞表を出したとしよう。そして、その辞表の効力つまり脱退の効力がすぐ生じるならば、われわれは黒田先生のしょっていた経費の分を次の日から負担しなければならないことになる。事務所の賃貸借契約を解除しなければいけないかどうかは別にして、われわれは銀行借入をする必要があるだろうし、いろんな面でリストラを迫られるだろう。だから、この条項は原則として効力があるとしなければいけない」

 黒田は、君原の狙いがよく分からず、不審な顔で君原を見ていた。

「今のは原則論だが、白石さんの場合はちょっと違うと思う。立法者の意思、つまりこの条項を作った時の寺本・黒田両先生の考えを推測すると、事務所を辞める場合というのは2つしかなくて、一つは独立する場合でもう一つは別の事務所に入る場合だ。その他の可能性というのは考えていなかったと思う。この2つの場合だったら、6ヶ月の期間は大した負担にはならない。これまでも何人かのパートナーが辞めていったが、6ヶ月の期間T&Kに残ってそれなりの仕事をして少なくとも損にはなっていなかったと思う。白石さんの場合はこれとはまったく違う。白石さんは事務所からいなくなってしまうのだから事務所からの収入はゼロになる。勿論、UNCITRALから給料はもらえるだろうが、それはネットの収入であって、事務所で働いた場合に入って来る、経費を引く前のグロスの金額とは桁が違う。例えば、彼が毎月事務所に350万円の経費を払っているとして、UNCITRALからもらう給料が100万円だとしたら差し引きマイナス250万円の損になる。彼が事務所に残っていれば、普通は経費の金額以上の収入があるはずだから、マイナスにはならない。仮に仕事が少なくても毎月の収入が100万円ということはあり得ない。だから独立する者も他の事務所に行く者も、6ヶ月間はこの事務所で仕事をしてそれなりの利益を得ようとする。独立や事務所移籍の時期を6ヶ月先にすることには何の問題もないだろう。しかし、国際機関の場合は辞令というのが出るわけだから、こちらで勝手に赴任時期を決めるわけにはいかない」

 君原は一息ついてパートナー連中の顔色を窺った。黒田は、何を言っているんだ、というように挑戦的な顔をしていたが、若手のパートナーの中には君原の言葉に頷く者もいた。

「だから、白石さんの場合は、この条項が本来対象としていた行為とは違うと思う。他に似たような例を探せば、大会社の法務部に入る場合とか、任官の場合もそうだろう。弁護士が裁判官や検事に任官することは、弁護士会としても積極的に支持している方向だから、われわれも大事務所として協力していく必要があると思う。将来われわれの誰かが裁判官や検事になるといった場合に、6ヶ月間経費を払えというのでは弁護士会に対して説明がつかないんじゃあないか。

 最後に、もう一つ白石さんと、通常の弁護士の独立や移籍の場合との違いを考えると、白石さんの場合には事務所にとってのデメリットがない。つまり、独立や移籍の場合には、コンペティターが一つ増えるということでありクライアントも持っていかれてしまう。それに比べて、白石さんの場合には競争相手になるわけではないし、クライアントも置いていってくれる。更にわれわれがUNCITRALから何かの情報を欲しい時には、勿論手伝ってくれるだろうし」

「そうなんですよ」と白石は急に元気づいて言った。「私の場合はちょっと違うと思うんですよ。第12条はそのまま残していただいて結構ですから、何か例外規定を設けていただけませんか」

 白石はどんな例外規定が適当か考えてみたが、うまく言葉にならなかった。

「ともかく、このままでは私は1000万を超える追加の負債を背負うことになるわけで、今年はすでにマイナスなのでとても耐えられません。今年になってから新しい仕事は殆どきていませんし……」

 よけいなことは言うなよ、と君原は思ったが、時すでに遅く、宮下富子が白石の言葉を遮った。宮下はT&K創立時からのメンバーで、ナンバー3の地位にあった。

「だって先生はクライアント獲得の努力を何もしていないじゃあないですか。私達はみんな、血の出るような思いをしてクライアントを取ってきているのですよ。そういう努力もしないで、仕事が回ってこなくなった、なんて言うのはパートナーとして失格なんじゃないですか?」

 シャネルのスーツに場違いに派手なネックレスをした宮下が、黒田の方を見て同意を求めた。宮下は、49才独身、小柄で10才近く若く見え、大会社の老社長を惹きつける色気があった。

「新顧客獲得リストはどこだったかな」と黒田はファイルを開いた。「どれどれ。去年は2件、一昨年はゼロ。その前は1件。これじゃあ生きていけないよな」

「おっしゃることは認めますが、それと今話していることは違うのでは……」という白石の言葉を白石と仲の悪い同期の田中弁護士が遮った。

「私と白石先生がパートナーになるように言われた時に、どちらかが証券の仕事をやるようにと言われたはずです。黒田先生は証券の仕事の方が収入がいいと説明されましたが、白石先生は証券の仕事はつまらないから嫌だ、と断られました。この他にも白石先生が断った仕事が何件もこちらに回ってきたことがあり、私は、全部喜んでやらせていただいています。そこらへんがちょっと問題だと思うのですが」

 白石もわがままかもしれないが、田中だって嫌な仕事は全部アソシエイトに丸投げして、全然見ようともしないじゃないか、と君原は思った。白石は幼稚舎からの慶応ボーイで、田中は熊本の県立高校から早稲田だから、気が合うはずがないのだ。

「証券の仕事のことは2人で話し合って決めたじゃないか」と白石が田中の方を向いて言った。

「先生が、証券なんて人間のやる仕事じゃない、というから仕方がなく引き受けたんだ」と田中が言った。

「そんなことは言っていない!」と白石が声を震わせて言った。

「白石先生は、奥さんが産気づいたとか言って、私の大事なクライアントとの会議を直前にキャンセルしたことがありましたよね。寺本先生を見てご覧なさい。寺本先生は3人のお子さんの出産の時いつも海外にいらしたのよ!」と宮下が甲高い声で言った。

「白石さんが真剣に仕事をしているところは見たことがないんだよな。7時ぐらいに仕事を頼もうとすると、もう帰ったとかで、これじゃあ仕事の頼みようがないよ」と黒田が言った。

「私にもいろいろ至らない点があったことは深く反省しますが、パートナーになる時に経費負担に耐えられそうもない、といったところ、仕事はいくらでもあるから心配するな、と言われたのを覚えています。それが、このように、新しい案件がこないだけではなく、ずっとやっていたクライアントを取り上げられることになると……」と白石が言った。

「取り上げられるってどういうこと?」と黒田が聞いた。

「いや……それは……別にいいんですけれど……」と白石が口ごもった。

「途中まで言ったんだから、はっきりと言いなさいよ。重要なことなんだから」と黒田が詰問した。

「えぇと……寺本先生が……」と白石が言いかけると。

「あの件のことを言っているんならあれはクライアントが決めたことだ。私が取り上げたなど、失礼なことを言うんじゃない!」

 寺本が、怒気を含んだ声で、白石を睨みながら言った。こういう時の寺本は迫力がある。寺本は自分を批判するものを絶対に許さない。

「白石先生、寺本先生に失礼じゃないの!」と宮下がつばきを飛ばしながら叫んだ。

「寺本先生と黒田先生が、私達のことを考えて、どれだけ努力して下さっているか分からないの。両先生が、仕事を持ってきて下さるから私達は生活していけるのよ。私なんか日々そのことに感謝しているのよ。それが仕事を取り上げただとか、何を考えていらっしゃるのか。本当に呆れるばかりです」

「発言者が限られているようなので……他の方はどうお考えですか?」と議長の山崎が口を挟んだ。

「端から意見を言ってもらったらいいんじゃないか」と黒田が言った。

 君原は場の空気が徹底的に白石に不利になったことを感じた。議論は本来の議題からまったく外れてしまっているのだが、これを元に戻すことは君原の力をもってしても無理だった。白石は大きな体を椅子の中に沈み込ませるようにして顔の汗を拭っていた。

 黒田は、ネズミを追いつめたネコはこんな気持ちなのかな、と白石を見ながら考えていた。寺本は自分がこの不愉快な議論に突然引きずり込まれたことにまだ腹を立てていた。宮下は、今日はだいぶ点を稼がせてもらった、と思いながら、まだまだ考えていた罵詈雑言を投げつける機会を失ったことを残念に思っていた。

「じゃあ、私の隣からいきますか。森本先生どうぞ」と山崎はパートナーになったばかりの、神経質そうな森本弁護士を指名した。

「いや……皆さんのおっしゃることはもっともでして、私はジュニアパートナーになったばかりで、シニアの先生方の経費負担の厳しさというのは実感としては分からないのですが、自分なりにクライアントを獲得しようと努力しています。しかし、クラス会や同窓会に出ても、渉外関係のクライアントを獲得することは殆ど不可能で、寺本先生と黒田先生の偉大さを改めて感じております。宮下先生がいみじくもおっしゃったように、われわれは両先生から仕事をいただいて生活しているわけで、それに感謝をしないような言動は許せないと思います。これ以上は特にありませんので……」と言って森本は座った。

「次は林先生」と山崎は指名した。

「私は白石先生と仕事をする機会が何回かあったんですが、はっきり言いましてがっかりしました。仕事の質が違うというのか、熱意がないというのか、寺本先生や黒田先生にご指導をいただきましたような、わくわくするような気持ちには一度としてなりませんでした。白石先生はそもそもT&Kのパートナーになるべき方ではなかったように思います。従って、特にお辞めになることについて申しあげることはありません」と2年目の女性パートナーである林が言った。

 こんな調子で、白石の批判と寺本・黒田の礼賛が繰り返された。発言の順番が進むにつれて、発言内容はより過激になり、発言内容によって組織に対する忠誠度が試されているかのごとき状況になっていった。白石はその間一言も発せず、うつむいてハンカチを握りしめていた。白いハンカチは、汗で黒ずみ、絞れば水が垂れるほどだった。

 あと2人を残すところで君原に順番が回ってきた。君原は白石を助けようという考えはもう捨てていた。それどころか、君原自身がこの祭りのような異様な高揚感に呑み込まれないようにするのがやっとだった。そこでは理性的な議論はまったく捨て去られ、心地良いリズムに乗った、殺せ、殺せ、というリフレインが部屋を熱く満たしていた。

 君原は口を開こうとしたが、重たい河の流れに逆らって川上に向かって泳いでいるような気分になり、タバコに火をつけて大きく吸い込んだ。

「白石さんについての皆さんのご意見を伺っていると、一方的に過ぎるような気がするんだな。つまり、誰でも悪いところだけを取り上げれば、こんな評価になるわけで、でもそれがその人の全体像であるわけではない。それよりも今日の議題はパートナー契約の解釈の問題で、白石さんへの個人批判ではなかったはずだ。そうじゃないですか?」と言って君原はもう一度タバコを深く吸い込み、反応を見た。冷たい視線が八方から君原に注がれていた。祭りの興奮に水を差されたかのような反発が感じられた。

 全員が意見を述べ終わったところで、山崎は、

「それでは採決に入りたいと思います。なお、白石先生は利害関係人なので採決には加われません」と言った。

「白石先生のご提案のように、パートナー契約第12条は白石先生の場合には適用しない、とすることにご賛成の方は挙手をお願いします」と言って山崎は君原の方を見た。

 君原は一呼吸おいてから手を挙げたが、誰もそれに続かなかった。

「1名ですね。それでは白石先生の提案には反対で、第12条は白石先生の場合にも適用するという方は挙手をお願いします」と山崎は言った。今度はほぼ全員が競って手を挙げた。


14



 3時を過ぎたので10分間の休憩に入り、コーヒーが運び込まれた。

 次は君原の構造改革論が議題になることになっていたが、白石の問題に対する対応からみて、理性的な議論ができる状況ではなかった。まずい展開になった、と君原は思ったが、白石と自分は違うのだから逆転の可能性はある、と自分に言い聞かせ作戦を考えた。

 

「君原先生」と背後から声がした。

 君原が振り返ると、フロントにいたホテルの従業員がメモを持って立っていた。

「事務所からお電話がありましたので、お知らせに参りました」

 礼を言って君原はメモを受けとった。メモには「事務所にお電話下さい。滝川」とあった。

 君原は会議室を出て電話をした。希花の話によると、田代から電話があり、ロサンゼルスの芸能関係の新聞であるハリウッド・リポーターにハーキュリーズピクチャーズが唐島監督を訴えたという記事が載ったとのことであった。君原は、ロサンゼルスのグリーンバーグ弁護士に連絡を取り調査を依頼することと、田代に対しては、時間は充分にあるので落ち着くように伝えること、の2点を希花に指示した。

 相手方がこのような行動を取ることは、君原も可能性としては考えていたが、こんなに迅速に動いてくるとは思わなかった。これは相手方が早く決着をつけたがっていることを示しており、決して悪いサインではなかった。こちらが簡単に折れず、長期戦でも戦う、という意気込みを示せば、勝訴に近い和解に持ち込む自信はあった。こちらは元々資金的に見ても、人的に見ても、有利な立場にはなかったのだから、米国での訴訟を戦い抜いて勝つことは殆ど不可能だった。だから、理由は分からないが、相手方があせっているらしいということは、希望を与えてくれる徴候だった。

 

 予定の時間を5分ほど過ぎて全員が着席した。議長の山崎が口を開いた。

「食事は7時からとなっていますので、6時までに会議を終えて、皆さんが風呂に入る時間を作りたいと思います。えぇ……次は第2号議案、君原先生の『T&K構造改革論』ですが、手短に説明していただけますか?」

「はい。お手元に『T&K構造改革論』という大袈裟なタイトルを付けた書面をお配りしてありますが、これは、私が1年ほど前からパートナー会議で述べてきたことをまとめたものです。従って、改めてご説明する必要はないのかもしれませんが、先程の白石先生の件によって私の確信が更に強まったということと、皆様の中に理屈では分かっていても、T&Kが置かれている危機的な状況を自分のものとして捉えておられない方がまだ多く存在するということから、改めてご説明します。

 私が言いたいのは、T&Kが経済的な危機に直面していて、早急に改革をしなければ破滅を迎えるということです。破滅というのは倒産するということで、法律事務所は倒産しないという考えをお持ちの方もおられると思いますが、われわれの規模になれば身動きがとれないうちに倒産してしまうということもあり得ると思います。私の構造改革論は、2つの柱からなっています。その一つは、経費負担方式の変更で、もう一つは仕事の配分方法の部分的修正です」

 君原は先ず経費負担方式について説明した。T&Kは、人や物に対する支配を基礎にして各パートナーが負担する経費を決めるCR率という方式を用いている。この方式は、T&Kの組織が今ほど大きくなく、収入も多かったバブルの時代にはうまく機能していた。組織が大きくなるにつれ、T&Kはクライアントの多様なニーズに応えるため、登記、商標、翻訳などを担当するパラリーガルの人数を増やしていった。留学費用をはじめとするアソシエイトの教育費用も急増した。白石は経費を最小限に押さえるためにアソシエイトもパラリーガルも使わないで仕事をしていたが、それでもこれらの人々にかかる人件費からは逃げられなかった。アソシエイトやパラリーガルを使わないのは白石の勝手だが、これらの人々をいつでも使えること自体が白石にとっての利益であり、それに対して白石は応分の負担をしなければならない、というのが主力パートナーの立場だった。人員の採用はこれらのパートナーによって決められていたので、白石は組織が拡大する度に不要の経費を押しつけられていった。このような構造でもバブル期のような収入があれば、白石でもそれなりの生活が出来たはずだった。しかし、不況が長びくと有力なパートナーは利益をもたらすクライアントを囲い込み、パートナー間での収入の格差が増していった。黒田にかわいがられている山崎と白石を比べてみると、2人は同期であるにもかかわらず、山崎は白石の12倍の税引前利益を上げていた。

 つまらなそうに落書きをしている黒田を横目に見ながら、君原は説明を続けた。

「現在、シニアパートナー間に大きな収入の格差が発生しているわけですが、これから生じる弊害は2つあると思います。一つは当然のことながら経費負担に耐えられずに辞めていく者が出てくるということです。この場合に更に問題なのは、あるシニアパートナーがそのような理由で辞めた場合には、その人が負担していた経費が残ったシニアパートナーの経費に上乗せされていくということです。これによって、辞めていったパートナーの次に苦しい状態にあったシニアパートナーが耐えられなくなって辞めていく、このようなドミノ倒しの現象が現実の問題となっているのです。収入の多いパートナーは現状では危機感を持っていないかもしれませんが、そのような人達にも危機は加速度的に近づいているのです。

 次に問題なのは、収入の格差が事務所全体としての体力を弱めていっているということです。収入の多いパートナーは当然多額の税金を払わなければいけません。収入1億円のパートナーと収入ゼロのパートナーがいた場合に、その2人を1つの単位として見た場合には、1億円の収入を5000万円ずつ2人に割り振った方が税金が安くなることは明らかです。これまで、T&Kは、事務所全体として必要以上に税金を払い続けてきたと思います。そのために、現在では、事務所には共通のファンドが殆どなく、寺本先生や黒田先生が病気になるといった不測の事態が発生した場合には、緊急の資金需要に対応することができない状態にあります」

 君原の結論は、パートナー間の利益の格差を縮小するための新たな経費負担方式を採用するということであった。

 

「君原先生、時間があまりないので……」と山崎が、説明を続けようとする君原を遮った。

「次に、仕事の配分についての提案があります」

「とりあえず、今のご提案について他のパートナーの意見を伺いたいのですが」

「君原先生、CR方式というのは先生が考え出したもんだったよね。それをころころ変えるというのはおかしいんじゃないの」と黒田が言った。「経費負担方式というのは事務所の憲法のようなものだから、それは安易に変えるべきではないと思う。問題があればそれは個別に対応すべきだ」

「しかし、現実にパートナーが落ちていっているわけですから。それに、仮に憲法であっても、それが間違っているということが分かれば、早急に是正すべきだと思いますが」と君原が答えた。

「苦しければ、俺のところに言ってくればいいんだよ。みんな仲間なんだから当然助けるさ」と黒田が言った。

「しかし、先生はT&Kが日本初のローファームだといっているわけで、ローファームなら制度として誰にも分かる明解なものを持っていなければいけないんじゃないですか?ローファームというのは個々の構成員に頼らずに、組織として永続するもののはずですから、それを、誰かが誰かを助けるという形で運営するのは本来の姿ではないと思います」と君原は言った。

 君原は、現に黒田に泣きついたパートナーがいるのは知っていた。黒田は田中角栄的な性格の人間だったから、そういった金の使い方はうまかったし、その効果もよく分かっていた。黒田の周りには金や利権を絆とした政治家の派閥のようなものができあがっていた。寺本にはこのような才覚がなかったため、自然と黒田に押されるようになり、経営の中心から外れるようになっていった。黒田はローファームという言葉を好んで使うが、現実には、T&Kは親弁、イソ弁(いそうろう弁護士)の古典的な日本の法律事務所の肥大化したものになっていた。

 黒田以外の2、3のパートナーからもコメントがあったが、何れも、慎重な検討を求め、問題を先送りする意見であった。山崎は、君原に仕事の配分についての提案を説明するよう促した。

「白石先生のもう一つの問題は、仕事の量が少ないということでした。現在のT&Kには、パートナー間の仕事の量の格差を是正する仕組みはありません。依頼者からの仕事を受けた弁護士は、自らその仕事をするか、他の弁護士に頼んでやってもらうか、のいずれかの方法を採ります。仕事の依頼が、各弁護士に均等に来れば問題はないのですが、現実には大きなばらつきがあります。具体的にいえば、たぶん事務所のすべての仕事量の約半分が寺本・黒田の両先生のところに行き、そこから他のパートナーに配分されていきます。従って、そこからの配分が均等になされないと、一方では死ぬほど忙しいパートナーがいる傍らで暇で困っているパートナーがいるという有様になります。われわれは、アソシエイトに対して、仕事が均等に行くようにと、アサインメント委員会を作りました。これと同じようなものを、パートナーに対する仕事の配分のためにも作って活用すべきであると思います」

「君原さんは、俺や寺本さんが白石さんに仕事を回さないで、干しているとでも言いたいわけ?」と黒田が言った。

「いや、そうは思いませんけれども、現実に仕事量のばらつきがある以上、仕事が均等に行き亘るような制度的な保証が必要だと思うのです」

「俺も寺本さんも、特定のパートナーに意地悪をしようとか、そんなことは一度として思ったことはないよ。それは、仕事によっては向き不向きがあるから、特定の人に仕事が偏るように見える場合があるかもしれないけれど、それはたまたまの話だよ。仕事がなければ言ってきてくれれば良かったんだよ。俺も寺本さんも自分のことはどうなったって、一緒にやっていくパートナーを助けたいという気持ちの人間なんだから。それを信じてくれなきゃ、パートナーシップを作っている意味がないよな……」

「先生方の善意を疑うわけではありませんけれど、言わしていただければ、それは制度的な保証にはならないということです。制度的というのは状況が変わっても、人が変わっても、ある条件があればある救済が行われる、という保証が必要だということです。また、ローファームのコンセプトに戻りますと、黒田先生が常日頃言っておられる世代を越えた実体であるローファームというのは、寺本先生や黒田先生がいなくなっても、それまでと同じように機能する、そういう組織だと思うんですが」

「経費負担の話にしろ、この仕事の分配の話にしろ、君原さんの目指している事務所というのは、怠け者が何も努力しないでたらふく食べていけるような事務所のように思えるんだけれどね。われわれは汗水垂らして仕事を取ってきているのだから、そういう大事な仕事を寝そべって待っていればもらえると思うのは虫が良すぎるんじゃないかね。君原さんの言っているのは共産主義だよ」

「黒田先生のお話を聞いていますと、仕事を取ってくる弁護士が一級の弁護士で、その一級の弁護士に頭を下げて仕事を貰う二級の弁護士がいるように聞こえますが、それでは本当のローファームはできないのではないですか?弁護士の中には、仕事を取ってくるのが下手でも、立派な仕事をする弁護士はいます。また、仕事を取ってくるのはうまくても、雑な仕事しかしないという弁護士もいます。その他にも、大きなローファームには、様々な弁護士がいてもいいのではないでしょうか。例えば、環境法などの特殊な分野については第一人者だが、他の仕事は良く分からない、という人がいてもいいし、仕事や依頼者の獲得はそれほどでもなくても、事務所のマネジメントについては特殊な才能を発揮する人がいてもいいでしょう。このように、多様な弁護士を抱えることによって、ローファームは、総合病院とかデパートのように、様々なニーズに応えることができるようになるはずです。そのような事務所になれば、依頼者のためにも、仕事の配分はシステマティックに行われなければならないでしょう」

「君原さんの考え方には、人間という視点が欠けているんだな。ローファームというのは、機械でもなく箱でもなく、人間の集まりなんだよ。人間なんだから、お互いに話し合って物事を解決していくべきで、誰とも話をしないでも、機械的に食事が出てくるように仕事がくるというのは、人間味がない組織だよ。仕事が欲しければ、話に来ればいいんだ。俺が意地悪して仕事をやらないなんてことはないし、寺本さんだって勿論そうだ」

 

「そこにもう一つの問題があるんですよ」

 君原は黒田が問題をすり替えようとしているのに苛立っていた。

「T&Kには民主主義がない。先生方のところにそうやって行って、仕事を分けてもらったパートナーは、先生方に対して反対の意見を言うことはできなくなるんですよ。勿論先生方はそういう意図ではないでしょうけれど、仕事を分けてもらわなければ飢えるしかない、というような状況の人間は、自ずと卑屈になるのです。これは、先生方が、主観的に人を支配しようと思っているか否かという問題ではなくて、仕事の流れがそうなっている以上、構造的に支配・被支配の関係ができあがっているんです」

「そんなのは、会社だって官庁だってどこの組織だって同じじゃないか。仕事は上司から来るんだし、それを否定したら組織なんて存在し得ないよ」と黒田は言った。

「じゃあ、その前提で話をしましょう。仕事は上から来るとして、その仕事を断ったらどうなるか。サラリーマンの場合だったら、干されて仕事がなくなっていわゆる窓際族になるかもしれない。しかし、窓際族でも給料はもらえて、精神的に不愉快なことを除けば生きてはいけるでしょう。ところがわれわれの場合、特にシニアパートナーの場合ははるかに悲惨な結果になるんです。つまり、われわれが両先生に嫌われて、仕事が全く来なくなった場合には、収入がまず激減します。それだけだったらまだ生きていくことはできるかもしれません。問題は、毎月経費を負担しなければいけないということです。白石さんの場合でも明らかなように、どんなに人を使わないで慎ましく仕事をしていたとしても、固定経費というのは一定以上に減らすことができない。従って、収入がそれ以下になれば、そのパートナーは事務所にいればいるだけ債務を増やすことになるわけです。このようなシニアパートナーの立場は、収入がなくなっても債務が増えることにはならないジュニアパートナーの立場よりも悪く、必ず給料がもらえるアソシエイトの立場よりも格段に悪いわけです。このように、T&Kの経費負担方式と仕事の配分方式という2つのメカニズムが、T&Kから民主主義を消滅させる方向で働いているのです」

「それじゃあまるで寺本さんと俺が独裁者みたいな言い方じゃないか。そんなことを言われるんじゃあ、これまで何のためにやってきたのか分からない。嫌になってしまうよ」と黒田が言った。

「君原さんの言いたいことも分からないではないが」と珍しく寺本が話し出した。

「制度改革というのは、あまり性急に進めてはいけない。急いで改革を行うと、やる気のある人がその意欲を失ってしまうことがある。今、私は黒田さんにマネジメントを任せて、楽をさせてもらっているが、黒田さんはああいう人だから、いつ投げ出してしまうかも分からない。マネジメントなんていうものは何も面白いものじゃないし、利益を生み出すわけでもない。われわれがこれまで創立者の責任感を持ってやってきたが、それがなかったら、とうの昔に止めていたと思うよ。だから、黒田さんにマネジングパートナーを続けてもらいたいんだったら、もう少し長い目で見守ってあげた方がいいと思うね」

 君原はもうこれ以上噛み合わない議論を続けていても仕方がないと思っていた。寺本が最後に言った言葉については、君原は自分の本当の魂胆を見すかされたような気がしてひやりとした。君原は自らの構造改革論が、どれだけ正しかろうが、多数決でパートナー会議を通るとは思っていなかった。それは民主主義がない以上当然のことで、黒田が反対すればすべては否決される。では、君原が黒田を説得しようとしていたかというと、決してそうではない。君原の黒田に対する態度はことごとく挑戦的で、理解を求めるというよりも、議論を仕掛けるという感じになっていた。従って、黒田としては、どのような議論であれ君原と反対の立場を取らないと自らの面子が保てないような雰囲気になっていた。黒田にとって不幸だったのは、黒田が直感の人間で、何事につけ大ざっぱだったので、議論になると君原には勝てないということだった。君原のディベートの技術に誘導されて、黒田は自分でも何を言っているか分からないような議論をするはめになり、そのたびに自己嫌悪を感じていた。決議になれば、黒田は多数を押さえているから、負ける気遣いはなかったが、弁護士として議論に負けて勝負に勝つというのはいかにもみっともないことで、このようなことが度重なり黒田には疲労が蓄積していった。君原の狙いは、このような疲労の蓄積が臨界点に達して、黒田が突然経営を放棄することだった。寺本は半ば引退しており、黒田がギブアップすれば、その2人に追随してきた宮下は自動的に葬り去れ、必然的に順番は君原のところに回ってくる。そうなれば、君原としては、黒田派の山崎などをも加えた集団指導体制を取るつもりだった。


15



 君原は黄色く輝く霧の中に立っていた。振り返ると、2〜300人の集団が彼の後ろにいた。赤いヘルメットに白ペンキでセクト名を書き、手に手に鉄パイプを持った戦闘集団だった。歌声が風に乗って聞こえてくる。「インターナショナル」だ。懐かしさに胸が締めつけられる。

 霧が晴れると、7〜80メートル先に青い壁が現れた。壁は動き、距離を狭めてきた。機動隊だ。重戦車のような一団が、地響きを立てて迫ってくる。逃げようとするが足が動かない。振り返ると、誰もいなくなっていた。機動隊は、顔が判別できる距離に迫っていたが、君原は足がすくんで動けなかった。体中が恐怖という紐でグルグル巻きにされたように、思考はマヒし、手足は萎えていた。

 君原がやっとの思いで突き出した鉄パイプは機動隊員の楯の一撃で弾き飛ばされ、次の一撃で君原は地面に叩きつけられた。立ち上がろうとしたが体が動かなかった。見上げると、小山のように大きな機動隊員が君原の胴にまたがり、両手を靴で踏みつけていた。機動隊員は、ジュラルミンの楯を両手で抱え、頭上に振り上げ、まさに君原の喉めがけて振り下ろそうとしていた。ギロチンの歯のように光る楯が恐ろしいスピードで落ちてきた。君原は、自分の「ギャア!」という声で目を覚ました。

 目を開けると、山崎の心配そうな顔があった。またあの夢だ。

 

 部屋には5人が寝ていた。一番ドアに近いところに君原の布団があり、その横に山崎がいた。あとの3人はまだ熟睡していた。

 日曜日の朝、7時半を回ったところだったが、午前3時過ぎまで酒を飲みながら議論をしていたので、他の部屋にいる連中も皆まだ熟睡しているようだった。

「大丈夫ですか?」と山崎が言った。

「何か叫んだ?」

「いえ……夢を見たんですか?」

「同じ夢を見るんだ……昔デモをしていた頃の夢なんだ」

「恐い夢ですか?」

「そう……恐い夢だ」

 現実にはあんなことはなかった。しかし、夢というのは時として現実よりも現実感を持つことがある。今の君原にとっては、あの夢の方が、実際に記憶に残っているデモや、投石や、放水などの記憶よりも鮮明になっている。夢の中の恐怖感は、現実の恐怖よりも純化され、目覚めたあとでもふるえが止まらないことがある。しかし、君原は、この夢から恐怖以外のものも感じていた。圧倒的な力の前に自分が無力になり、征服されること、そこには何か甘美なものがある。自分というものが、大きな力の中に呑み込まれる、その最後の瞬間に感じるあの甘く切ないような感覚。死の直前にもあのような気持ちになるのではないか、と君原は思った。

「風呂に行きませんか?」と山崎が言った。

「起こしちゃって悪かったなぁ。もう少し寝た方がいいんじゃないの?」

「いえ、僕は12時過ぎには寝ましたから、大丈夫ですよ」

「じぁあ、行くか」

 部屋の片隅に寄せられたテーブルの上には、食べ残したおにぎり数個を乗せた皿、吸いがらでいっぱいになったガラスの灰皿とビールが5、6本並んでいた。いつものパートナー合宿明けの朝であった。だが、君原は、このような光景を見るのはこれが最後になるのではないか、と理由もなく思った。


16



 T&Kの朝は遅い。アソシエイトはパートナーから9時半までに来るように言われていたが、10時前後に来るものが多く、中には11時近くなって来る猛者(もさ)もいた。パートナーもアソシエイトの帰宅時間が遅いことを知っていたから、あまりきついことは言えなかった。

 希花は9時半には虎ノ門の駅に着いていたが、オフィスまでの途中にある喫茶店に寄ってコーヒーを飲むのを常としていた。希花はコーヒーを飲みながら一日の計画を立てることにしていた。オフィスに着いたら、溜まっている仕事のうちどれから最初に手を着けるか。催促が来そうなクライアントに対しては、先手を打って、もう少し時間がかかりそうだという電話をかけるべきか。お昼は誰を誘ってどこに行こうか。いろいろと考えることはあった。

 いつものように、希花は9時35分にくだんの喫茶店に着いたが、いつも座る奥のテーブルにはスポーツ新聞を広げた男が座っていた。仕方がなく、カウンターに座り、エスプレッソを頼んだ。

 今日は2時から総務委員会があり、4時から唐島監督との会議が入っていた。総務委員会は3月末で委員が交代してから初めての会議だった。委員長は君原から宮下に変わり、その他の委員も希花を除いて全員が変わった。希花は、去年の10月に留学から帰って総務委員会に加わったばかりだったので、留任ということになった。

 T&Kは、最高意思決定機関であるパートナー会議の下に人事、総務、経理の3つの委員会を有していた。各委員会はシニアパートナーを委員長とし、その下にアソシエイト、パラリーガル、秘書等から選ばれた委員で構成されていた。新しい総務委員会は、委員長の宮下、アソシエイトの希花、秘書の川崎、パラリーガルの須藤といわゆる総務部門から村山が加わっていた。たくさんの仕事を抱えているアソシエイトにとっては委員会の仕事は苦痛であったが、希花はパートナーになるための勉強と割り切ってマネジメントに必要な経験を積もうと思っていた。

 希花がコーヒーを飲み終えた時、希花と同じくらいの年頃の女が店に入って来てカウンターに座った。彼女はコーヒーを注文すると、ハンドバックから携帯電話を取り出して話し出した。ありふれた光景だったが、一つ変わっていたのは、その女が韓国語で話をしていたということだった。希花は、司法試験に受かってから司法修習が始まるまでの6ヶ月間、暇に任せていろいろな勉強をしたが、そのひとつが韓国語だった。勉強とはいっても、テレビのハングル講座を見ていただけで、それも3ヶ月でやめてしまったが、いくつかの単語は今でも覚えていた。話されている内容が分かるというわけではなかったが、韓国語に間違いはなかった。

 そう思ってみると、その女の透き通るように白い肌や、一重の切れ長な目は何となく日本人とは違うように思われた。希花はこの女にこだわっている自分をいぶかしく思った。何の理由もなかったが、希花はこの女に敵意を感じていた。

 

 T&Kが虎ノ門にある新築の超高層ビルに移ってきたのは3年ほど前のことだった。前に事務所が入っていた赤坂の古いビルは、バブル期に設定された高い賃料をなかなか下げようとはせず、グレードの高い新築ビルの賃料の方が安かった。移転のおかげでT&Kの賃料負担は軽くなったが、移転に数千万円もの費用がかかったので、その借入金の金利負担が財政を圧迫していた。

 T&Kはビルの26階全部と25階の半分を借りていた。25階には受付、図書室、会議室および30人ほどの弁護士やスタッフの執務スペースを置いていた。26階は主に所内会議用に使う会議室4つを除き全部のスペースを執務のために使っていた。アメリカのローファームのように窓際にはパートナーの部屋が並び、東と西の角部屋は寺本と黒田がそれぞれ応接室を兼ねた執務室として使っていた。アソシエイトのためには、4つの大部屋と8つの2人部屋が用意されていた。

 希花と伊藤の部屋は去年辞めたパートナーが使っていた部屋で、大きな窓からは新橋方向の町並みを見渡せた。希花はいつものように9時45分にオフィスに着いた。伊藤は、すでにノートパソコンのキーを叩いていた。

「今日のウィークリーレポートを見ると、新しい人が来るようですね」と伊藤が振り返って言った。

「秘書?」と希花が聞いた。

「いや、ニューヨークのマーシャル&野村の人のようです。クリスティーヌ川上という人で、オフィス・マネジメントのトレーニングを受けに来ると書いてあります」

「変ね。向こうの方がオフィス・マネジメントについてはずっと進んでいるはずなのに」

「反面教師ということもあるんじゃないですか」

「むしろ教えてもらいたいのよね、いい方法を。委員会だとか、アソシエイト・ミーティングだとか会議ばっかり多くて、何にも決まらないでしょ。アメリカでは、マネジメントについては弁護士は必要最小限のことをして、あとは専門の人に任せているのが多いのよ」

「総務委員会でやっているデータベースというのも全然進みませんね」

「パートナーが全然協力してくれないから。パートナーはそれまでの経験で仕事ができるかもしれないけれど、アソシエイトにはどうしてもデータベースが必要なのに」

「そうですね。インフォメーション・ファイルに入っているのは、寺本先生や黒田先生が昔の事務所で使っていた、黄色くなった20年前の契約書ばかりだし、新しいものは誰もあのファイルに入れてくれないんですね」

「だから、事務所にあるフロッピーに入っている文書全部をハードディスクに落としてデータベースにしてしまうというのはアイディアとしては間違っていないんですけれどね。君原先生はこういうのを考えつくところまではいいんだけれど、実行力がないんだから」

「君原先生はそれなりに努力しているんでしょうけれど、上の2人がその気にならないと何事も動きませんね」

 

「お話中失礼します」と事務長の川口の声がした。

 ドアの向こうに川口とベージュのスーツを着た女性が立っていた。希花は、その女が先程喫茶店で韓国語の電話をしていた女に間違いないと思った。しかし、その女にはあの時に感じた厳しい雰囲気は全くなく、ちょっと恥ずかしげに微笑んでいた。希花は、彼女が自分に気づいていないことを知り、安心して微笑み返した。

「ウィークリーレポートにもお書きしたのですが、ニューヨークのマーシャル&野村から来られたクリスティーヌ川上さんです。日系三世の方で、あちらのオフィス・マネジャーのアシスタントをしておられて、日本のオフィス・マネジメントについて勉強したいということで3ヶ月の予定で来られました。英語は勿論のこと、日本語も読み書きが十分おできになりますので、私としても安心しております」と川口が言った。

「クリスティーヌ川上です。よろしくお願いします」と川上が言って丁寧に頭を下げた。「私は、去年の9月までニューヨークにいて、マーシャル&野村にはたびたびお伺いしたんですけど、その時はお目にかかりませんでしたね」と希花が言った。

「はい、しばらくロサンゼルス事務所におりましたから」と川上が言った。

 希花は、川上が答える前に一瞬ではあるが間をおいたのを見逃さなかった。この人は何かを隠している、と希花は思った。

「これはつまらないものですが、野村弁護士からお渡しするようにと言いつかってまいりました」と言って川上は手に持った紙袋から2つの包みを取り出した。

「電卓なんですが、マーシャル&野村の名前が彫り込んであります。われわれもこういうことは考えるべきですね」と川口が言った。

 

「弁護士全員に持ってきたんですかね。重かったろうなぁ」と伊藤がもらったばかりの電卓を叩きながら言った。

「アメリカの事務所ってこういうことをよくやるのよね。パブリシティーにとても気を遣っているということは見習うべきかもしれない。でも、電卓っていうのはあまりセンスがないなぁ。みんなだいたい1つは持っているし、こんなのを2つ机の上に置いておいたら邪魔でしょうがない。ボールペンだったらいくつあってもよかったのに」


17



 総務委員会は、26階の会議室で2時からということになっていたが、宮下は十分以上経ってから現れた。

「ごめんなさい、ランチが長くなっちゃって。ニッテツの社長さんのお話が長くて。同じことを何回も言われるんだけれど、そのたびに、えっ本当ですか、って驚かなきゃならないので疲れてしまったわ」と言って宮下は腰を下ろした。

「それで、今日は何をやればいいのかしら。なにしろ私、委員長っていうのは5年ぶりだから、忘れてしまったわ」

「継続案件としては、データベースの件があります。新件としては、投書箱に入っていた、事務所のセキュリティの件があります」と希花が言った。

「データベースっていうのは、あの前から言っていたもの?」

「もう2年前に着手して、プロトタイプでは成功しているんですけれど、データが集まらないんです。全体ではたぶん150メガ以上になると思われますが、まだ半分も入力が済んでいません。パートナーの方々があまり協力的ではないので」

「あら、私はどうかしら?」

「各パートナーごとの処理済のパーセンテージによりますと、君原先生がほぼ100%、寺本先生が74%、その他の先生方がみな50%以下です」

「私は?」

「ええっと、今のところゼロです」

「イヤだわ。秘書に言っておかなければ。彼女、最近休みがちで困ってしまうのよね。秘書に休まれると、他のパートナーの秘書に助けてもらわなければならなくて、そうすると時間2500円払わなけりゃいけないのよね。仕事には差し支えるし、お金は掛かるし、嫌になっちゃうわ。川崎さんみたいに、丈夫な人はいいわね。丈夫なだけでいいわ」

 黒田の秘書の川崎は、仕方なく笑った。

 

 データベースの件は、ウィークリーレポートにフロッピーを出すようにとの通知を載せることで対応することになった。

「次に、投書の件ですが、これは匿名ですが、T&Kはセキュリティが甘いと言っています」と希花が言った。

「セキュリティって、治安のこと?」と宮下が言った。

「治安と機密保持の両方だと思います。この投書によると、26階の東部分は夜遅くなると人がいなくなって外部の者が入って来ても分からないとのことです。そして、東の方にファイルキャビネットが並んでいるので、そこからファイルを抜き取られるおそれがあるとも言っています」

「確かにそうですね」と秘書の川崎が言った。「私達西の方はアソシエイトの先生方も多いし、いつも12時過ぎまで誰かがいます。東の方は、10時過ぎには真っ暗になっていることがありますよね。最近寺本先生のお帰りが早いし、あちらの方に、去年お辞めになったパートナーの先生方の部屋がかたまっていたこともあって、夜遅くまで残る人が少ないようです」

「でも、夜10時を過ぎるとB1の管理人室に言わないと入れないわけだし、部外者が入って来ることってあるのかしら?」と宮下が聞いた。

「やろうと思えば、トイレかなにかに隠れていて、電気が消えた頃を見はからって忍び込むことはできるかもしれませんよ」とミステリー好きのパラリーガルの須藤が言った。

「忍び込んだって何も取るものはないでしょ。うちの事務所には金目のものなんてないわ」と宮下が言った。

「でも、M&Aとか証券発行とか、知られては困る案件は必ず1、2件は動いていますけれど。物は盗まれなくても、情報を盗み出されたらまずいんじゃないでしょうか」と希花が言った。

「そうね。でもああいうファイルって、どこにあるか私達にも分からないわよ。だいたいアソシエイトの先生達が持っていて、アソシエイト室のファイルやら書類やらの山の中にあるんだから、外部の人間がそれを見つけ出すっていうのは不可能だと思うわ」と宮下が言った。

 希花は、アソシエイト室が狭くてキャビネも置けないからそのように乱雑な状態になるのだ、と言いたかったが、まず自分の机の回りを整理してからにしようと思って、黙っていた。

「10時を過ぎたら、東側の出入口に鍵を掛けましょうか?」と総務の村山が言った。

「そうね。寺本先生と相談してから決めた方がいいんじゃないかしら」と宮下が言った。

 寺本は最近は8時前後には帰ってしまうので、寺本本人にとっては支障がないはずだったが、自分の側だけ鍵を閉められることを寺本が不快に思うかもしれない、と宮下は考えた。寺本はとてもプライドの高い男だったから、東の出入口だけ10時に鍵を閉める−寺本が黒田より早く帰る−黒田に比べて寺本の方が仕事が少ない−黒田の立場が寺本に対して優越している、という連想を働かせることは十分に考えられた。

 

 クリスティーヌ川上は、事務長の隣の頭の高さまであるパーティションで囲われた一画にデスクを置き、T&Kのマニュアルを読んでいた。マニュアルの横には小さなFMラジオが置かれていて、川上はイヤホンで音楽を聞いているようだった。実際にそのFMラジオには普通のラジオの機能もあったが、本来の目的は盗聴用の受信機であった。発信器は、先程全弁護士に配った電卓の中に仕込まれていた。

 川上はさっきから総務委員会のやり取りを聞いていた。宮下が持ち込んだ電卓の捉えた音声は、目の前で会話が交わされているかのごとく、明瞭に聞き取れた。


18



 クリスティーヌ川上は、1週間前にSH&Gのパートナーであるキング弁護士から突然呼び出された。キングは寺本黒田法律事務所を3ヶ月以内に買収しなければいけない、と言い、そのために必要な情報をすべて入手するように指示した。もっともキングは具体的にどのような情報が必要かを川上に伝えることはできなかった。川上は、厚さ1センチあまりのファイルを渡されたが、そこには寺本黒田法律事務所およびそのメンバーに関する様々な情報が含まれていた。しかし、これを読んでもT&Kの弱点は分からなかった。日本の法律事務所は、法律的な形態としては組合であって、税務申告は各弁護士がして、事務所自体の申告というものはなかったから、事務所の業績について調べる術はなかった。寺本、黒田はじめ数人の弁護士が多額納税者として公示されてはいたが、それはあまり参考にはならなかった。ただ、最近人数的に見て急成長しているため、人件費が急増しているはずで、その意味で財政的には苦しいと思われた。

 このレポートは主にSH&Gの東京事務所が作ったようだったが、日本の弁護士業界における寺本と黒田の評判が記載されていて面白かった。寺本については概ね好評だったが、「虚栄心が強く、人を見下すことがある」という評もあった。黒田については毀誉褒貶相半ばするといったところで、気さくで太っ腹のところを評価するものと、おおざっぱで強引だというものがあった。

 川上は、これまで特定の情報を盗み出すといった仕事はよくやったが、このように曖昧な指示が与えられたのは初めてだった。時間が限られていたので、地道な調査はできず、手当たり次第に情報を集めるしかなかった。着手金として10万ドルもらっていたが、残金は川上の貢献の度合いによって50万ドルまで払われることになっており、川上としても必死だった。

 今日の昼食は、ちょうどマーシャル&野村から東京に出張してきていた弁護士と一緒に寺本に招待されたが、これといった情報は入手できなかった。寺本はあまり面白味のない男だったが、彼の方は川上のことを気に入ったようだった。寺本と黒田を比べてみると、寺本の方が女性に対する免疫がないことは一見して明らかだったので、川上は寺本を最初のターゲットに決めた。

 

 総務委員会が終わったので川上はパートナーの部屋を順に盗聴していた。寺本と君原は外出していないようだった。黒田の部屋に合わせて聞いてみたが、黒田は電話の相手と香港に出張した時のキャバレーのホステスの話ばかりしており、それも大声だったので、盗聴するまでもなかった。もう切ろうかと思った時に、電話が終わり、黒田は大きな声で「西城さん!」と呼んだ。元気のいい声が「はい」と答え、西城が室内に入ってきたようだった。ファイルから書類を出すような音が聞こえ、「これをまたEメールで送りたいんだ。例のバハマのやつだよ」という黒田の声が聞こえた。この時の声は、それまでの馬鹿話の大声とは違って、ほとんど聞き取れないほどの低い声であった。このことと、バハマという地域から考えて、探る価値はあるなと川上は思った。


19



 4時の唐島監督との会議には前回と同じメンバーが集まった。君原は午前中にロサンゼルスのグリーンバーグ弁護士と話していたので、まずその報告をした。

「グリーンバーグが、サイモン・ヘイステイング&ゴールドマンのロサンゼルス事務所に連絡を取ったところ、4月22日に訴訟が起こされたというのは事実だそうです。原告はハーキュリーズピクチャーズで、被告は唐島プロダクションおよび唐島監督ご自身です。その訴訟で彼らは『天守閣』のリメイク権をハーキュリーズピクチャーズが持っていることの確認と1000万ドルの損害賠償を請求しています」

「1000万ドルっていうのは……10億円以上でしょ。どうしてそんなすごい金額が出てくるんでしょう」と田代がいった。

「彼らの言い分は、唐島監督が記者会見をして彼らの名誉を毀損し営業を妨害した、というものらしいですが、損害賠償の金額にはあまり根拠はないと思います。しかし、アメリカの訴訟はかなりいい加減ですから、陪審が入った場合には、この金額が認められる可能性はあると思います」と君原はいった。

「1000万ドルなんて、逆さに振ったって出てこないよ。そんな判決が出たときには私はどうしたらいいんだい」と唐島監督が憮然としていった。

「まず、外国判決の承認という制度についてご説明しますが、外国における判決は、日本の裁判所が承認しない限り日本で強制執行することはできません。ただし、この承認は、外国判決の内容が日本の公序良俗に反していないとか、訴状がちゃんと送達されているとかの形式的な要件を充たしていれば自動的に与えられることになっています。したがって、その段階で外国の判決の結論が間違っているといって日本の裁判所で争うことはできません。ですから、この訴訟は米国で応訴して全力で戦う必要があります」と君原は言った。

「この前君原さんは私が勝つ確率は60%か70%だと言ったよね。そうすると30%か40%は負ける可能性があるわけだ。負けた場合には大変なことになるなぁ。もう映画を撮れないかもしれない……」と唐島監督は珍しく気弱に言った。

「まぁ、理屈はそうですが、反対にこちらが損害賠償請求をして、多額の賠償金を取れる可能性もあるわけです。それからアメリカの訴訟は、多くの場合に和解で片が付きますから、あまり極端な結果になることはないと思います。

 ひとつ私が相手方の対応で不思議に思ったのは、唐島監督の記者会見から連中の提訴までの期間があまりにも短いということです。普通のペースでやれば、1ヶ月は掛かるはずなのに、連中は1週間で提訴しました。これは、何か彼らの側によほど急ぐ事情があるということを示しています。そうであれば、こちらが攻勢に出て、簡単にギブアップしないという姿勢を見せることで、有利な和解に持ち込める可能性があると思うのです」

「攻勢に出るって、どうしたらいいんでしょ。アメリカで争うというのは分かりますけれど、それ以上に何かできるんでしょうか?」と田代が聞いた。

「私が今考えているのは、日本でも訴訟を起こしたらどうだろうか、ということです。つまり、連中はアメリカで自分達がリメイク権を持っているということの確認と損害賠償の請求を求めてきています。それに対してわれわれは日本でハーキュリーズピクチャーズがリメイク権を持っていないということの確認とこちら側に損害賠償の義務がないことの確認を求めることができるのです。これについてはアソシエイトに調べてもらっていますので説明してもらいます」と君原は言った。

 

 伊藤がまたワープロで打たれたメモを取り出した。

「まず、これが国内の事件であれば、このように反対の訴訟を別の裁判所で起こすということはできません。例えば、今回のハーキュリーズピクチャーズの訴訟が札幌地裁に起こされ、札幌地裁がそれを審理することに決めた場合には、唐島監督が同じ内容の訴訟を東京地裁に起こすということはできません。これは、民事訴訟法で同じ当事者の間の同じものについての訴訟は二重には起こせない、と決めているからです。今回の場合違うのは、アメリカと日本の2つの訴訟法が関係してくるというところです。裁判の手続きを定める法律は各国にありますが、それらの法律を統合するような国際的な法律というものは存在しません。だから、ある争いについて、どこの国の裁判所が審理をすべきかということについては、国際的な取決めはないのです。

 今回のハーキュリーズピクチャーズの訴訟はロサンゼルスの裁判所に起こされましたが、たぶんその裁判所はその事件について自ら審理することを引き受けると思います。これがいわゆる管轄という問題です。こちらは、勿論この管轄について争うべきだと思いますが、アメリカは管轄を広く認めていますから、あまり勝ち目はないと思います。このように、一旦ロサンゼルスの裁判所がある争いについて審理をすることを決めても、他の国の裁判所が同じ争いについて審理することができないという決まりはありません。特に、日本の裁判所についてみますと、本件訴訟の当事者の一方は日本人および日本の法人ですし、対象となっている映画は日本映画ですから、日本で裁判をするという理由も十分にあるわけです。そこで、日本の裁判所が審理をすると決めた場合には、アメリカと日本で全く同じ事件について2つの裁判が同時進行することになるわけです。

 このようなケースで、世間の注目を集めたものとしては、日立とIBMとの間の産業スパイ事件の訴訟がありました。これは昭和58年のことで、日立がIBMの機密情報を盗んだということでアメリカで訴えられましたが、それに対抗して日立は東京地裁にそのような事実がないことの確認を求める訴訟を起こしました。この事件は、日立が訴訟を取り下げたために判決までには至りませんでしたが、世間は、国際的法律戦争ともいうべきものが存在することをここで知ったのです」

 伊藤の説明はだいぶうまくなっていたが、依頼者は結論を早く知りたがっていた。

「要するにどうなんでしょう。日本で訴訟を起こせばどういうところが得なんでしょうか?」と田代が聞いた。

「そうですね。まず、こちらが日本で訴訟を起こして、相手方が応訴してこなければ、つまり欠席すれば、いわゆる欠席判決という形でこちらが勝ちます。相手方が応訴してきた場合の勝ち負けは、アメリカの場合とそれ程違わないかもしれませんが、陪審制がないだけこちらに有利だと思います。そして、こちらが勝った場合には、その判決が確定すれば、アメリカの裁判で負けてもアメリカの判決を日本で強制執行することはできなくなります。つまり、アメリカで仮に1000万ドルの損害賠償請求が認められたとしても、日本でそれを取り立てることができないことになるのです」と伊藤が説明した。

「伊藤の説明に付け加えますと」と君原が引き継いだ。

「私は、いずれにしても、この訴訟が判決まではいかないと思っているのです。それは、連中が非常に急いでいることからそう判断できるのです。

 アメリカの訴訟だけでも、こちらが争えば、判決までは2年は掛かるでしょう。こちらが日本で訴訟を起こした場合には、アメリカの裁判所が日本の訴訟の進行を見て裁判を遅らす可能性がありますから、もっと長くかかるかもしれません。

 私は、ハーキュリーズピクチャーズが急いでいるのが、映画の完成またその後の配給との関係があると思うのです。もう世界配給の契約はできているはずですから、それに対する影響を考えて、問題を早急に解決したがっているのだと思います。確かに、問題を解決するために訴訟を起こすというのは、日本人の感覚からしたら変ですが、これはアメリカではよくやる手です。日本でしたら、まず話し合いをして、どうしても解決できない場合にのみ訴訟になりますが、アメリカでは必ずしもそうではありません。何の話し合いもなく、突然訴状が送りつけられてきて、その後に話し合いが始まるというのもよくあるパターンです」

「そうであればいいんだが……いや、情けない話だが、私は1000万ドルというのにちょっとびっくりしてしまって、早く解決すればどうでもいいという気になっているのだ。だから、その日本での訴訟というのも、やってもらいたいのだよ。とにかく、和解でも何でもいいから、少なくともお金は一銭も取られないようにして、少しは向こうからぶんどってやりたいのだ」と唐島監督が言った。

「分かりました。すぐ準備をします」と君原が希花と伊藤の方を見ながら言った。


20



 川上は、昨日黒田の部屋を盗聴しているときに聞いた、バハマ宛のEメールについて考えていた。バハマは、自国外での事業活動についての課税をしない、いわゆるタックスヘイブンの国であった。このような国や領域は、バハマの他に、ケイマン諸島やマン島など20いくつあった。これらの国を使っての節税は昔から行われており、それに対抗して各国はタックスヘイブン税制といわれる立法をし、税金を取り損ねないようにと必死になっていた。

 タックスヘイブンの国は、外国資本を導入するために、他の様々な便宜も提供していた。例えば、タックスヘイブンでは外国為替の管理をしないのが普通だから、金の出し入れは自由だし、銀行の守秘義務を定める法律があり、銀行から情報が漏れることを心配する必要はあまりなかった。したがって、最近問題となっている、マネーロンダリング(資金洗浄)はいくつかのタックスヘイブンの銀行を通すことによって行われることが多い。つまり、アメリカのマフィアが、麻薬取引で得た金をバハマやケイマンの銀行に預け、その銀行がその資金で株を買って値上がりしたところで売却し、売却益を他のタックスヘイブンにある銀行の口座を通じてマフィアのアメリカの銀行の口座に戻す、というような話である。麻薬取引で得た金がジュラルミンのスーツケースに入ったままで金庫の中に収まっていれば、それと麻薬との関連づけというのは容易にできる。それに反して、その金がいくつかの口座を通して戻って来た場合には、その経路を元に辿らなければ最初の違法な金に行き着くことができない。そして銀行が守秘義務を盾に情報を開示しないとすれば、この作業は大変に困難なものになる。

 しかし、この事務所−T&K−がマネーロンダリングなどができるとは思えなかった。川上はこれまでにいくつもの違法な取引に立ち会ってきたので、それらにかかわる弁護士の臭いというのも嗅ぎわけられるようになっていた。表向きは綺麗な仕事をしているように見えても、闇の世界に足を突っ込んでいる人間は、微妙に表の世界の人間とは違っているのである。寺本は赤信号で道を渡ったことさえないような男だったし、黒田にしてもそれなりに小さな悪事ぐらいは働けそうな顔をしていたが、大きなことができる器ではなかった。何れにしてもチェックする必要があるので、西城と話をする機会を持ちたかったが、昨日来たばかりで、用もないのに話しかけるのも変に思われた。昨日、寺本との昼食に出る際、ランチテーブルで弁当を食べている西城を見ていたので、川上は、ランチタイムに近付こうと、朝近くの喫茶店でサンドイッチを買って持ってきていた。

 

 昼食時には、26階の中央のランチテーブルと4つの会議室が、すべて所員のランチのために開放される。川上はオープンスペースにあるランチテーブルの回りを2度ほど通り過ぎた。まだ西城は来ていなかった。あまり早く座ってしまい、西城が会議室の方に行ってしまったら空振りになってしまう。思案していると、後ろから「川上さん、お弁当?」と声が掛かった。西城だった。

 

 ランチの後2人だけになった時に、川上は、青山にいいイタリアンレストランがあるので行かないか、と西城を誘った。西城は、アメリカの知的なキャリアウーマンから、事務所の女性で最初に誘われたことに感激して、2つ返事で承諾した。そして6時間後、2人は青山に向かっていた。


21



 川上と西城は5時45分に事務所を出て、虎ノ門から銀座線で表参道へ向かった。目指すイタリアンレストランは表参道の交差点から渋谷方向に少し歩いたところにあった。川上はその店のことを、今回のミッションのためにキング弁護士から渡されたマニュアルで知った。マニュアルに安くて庶民的なトラットリアと書かれたその店は、青山通りから少し入った雑居ビルの地下にあった。客席のすぐ横に厨房があり、ときどきフライパンから立ち上る炎が目を引いた。狭い店だったが、カンツォーネを押し売りする一部の高くてまずいリストランテと違って、不必要な騒がしさがなく、話をするのには適していた。

 

 西城ははしゃいでいた。正月早々、半年つきあっていたボーイフレンドに振られてから、こういう店に来ることがめっきり少なくなっていた。女の子同士で来ることはあっても、せいぜい1ヶ月に1度だった。

「村岡さんって知っています?田中先生の秘書。彼女、去年入った上山先生と結婚するんですって」

 西城はイタリア赤ワインの定番であるバローロをぐいっと飲んだ。

「これ、内緒の話ですけど、彼女は君原先生の愛人だったんですよ」

 西城は前菜の真だこのカルパッチョを口に入れたままで話し続けた。

「君原先生って、自分の秘書には手を出さないんですよ。自分の秘書とはお昼も一緒にしないんだけど、他のパートナーの秘書とはすぐ仲良くなってしまうの。村岡さんが3人目ですって。

 君原先生って、賢いというのかずるいというのか。愛しているとか、君が必要だとか、妻と別れるとか、そういうこと普通の男の人って言うでしょ。そういうことは一切言わないけど、ニューヨークに行った時に、ティファニーのネックレスを買ってくるとか、時々素敵なプレゼントをくれるんですって。だから、女の子はメロメロになるんだけれど、奥さんと別れて、とか言えないんですって。

 でも、女の子って、5年もつきあっていると、ずっと愛人でいるのに耐えられなくなっちゃうのよね。私はよく分からないけど、村岡さんがそう言っていたわ。そうすると、結婚したい、みたいな言葉が口をついて出てきて、止まらなくなってしまう。すると、愛人関係っていうのも、うまくいかなくなるみたい。でも、君原先生って、嫌になってすぐ別れちゃうみたいなことはしないでちゃんと面倒見てくれるんですって。今度の上山先生のことだって、ちゃんと君原先生がアレンジしてくれたんですって。

 そういうのっていいわよね。愛人の時は優しくしてもらって、結婚の世話までしてもらっちゃうなんて。私もちょっと興味があるんだけれど、チャンスがないのよね。女の子の間では、君原先生は、アソシエイトの滝川先生のことを好きなんじゃないかって、もっぱらの噂なの。滝川先生がライバルじゃとても勝ち目がないわよね。頭はいいし、綺麗だし、どうしてあんなになんでも揃っちゃうのかしら」

 川上は、ときどき頷きながら、黙って聞いていた。西城のような苦労を知らない女の子から、このようにたわいのない話を聞かされていると、自分の住んでいる世界の方が虚構ではないのかという錯覚に陥ってしまう。それ程自分のこれまでの人生と、西城の生きている世界は違っていた。

 

「それから、黒田先生と春木ゆかのことだけど、昨日のランチの時に話題になっていましたよね。みんなは怪しいんじゃないかなんて騒いでいたけど、私は本当のことを知っているの。私は口が堅いから、あの時言わなかったけど、あの2人はもう別れたのよ。今、手切れ金のことでゴチャゴチャやっているみたい。別に聞き耳立てているわけじゃないけど、黒田先生の声があまりに大きいからみんな聞こえちゃうの」

「黒田先生の仕事はどんなことをしているの?」と川上は話題を変えた。

「ワープロとか、ファイルとか、あんまりたいしたことはやってないなぁ。あっ、Eメールは私がやるの。川崎さんはインターネットが分からないから」

「すごいのね」

「そんなことはないのよ。あれは慣れれば簡単。昨日はバハマにメールを送ったわ」

「バハマの仕事をしているの?」

「仕事というか、黒田先生の個人的な仕事なの。黒田先生はバハマに会社を持っているの」

「すごいのね。バハマみたいな高級リゾートアイランドに会社があるの?」

「行ったことはないみたいだけれど、税金対策でしょ。あそこは、タックスヘブンと言うのよ。税金天国」

「それ、タックスヘイブンの間違いじゃない。ヘイブン(HAVEN)というのは、シェルターのこと。日本語だと避難所っていうのかな。税金から逃げて隠れるところ、という意味じゃないかしら」

「えっ、知らなかった。川上さんて何でも知っているのね」

「ええ、一応アメリカ人だから」

「あぁそうだった。日本語がうまいから忘れていた」

 テーブルには、イカすみのスパゲッティとペンネアラビアータが運ばれてきた。ここからうまく聞き出さなければいけない、と川上は思った。

「それで、バハマの会社は何をする会社なの?」

西条は、「それは……」と言って口ごもった。

川上は一瞬のうちに考えた。バハマの会社を悪事に使うとしたら、脱税かマネーロンダリングか、もうひとつインサイダー取引の可能性もある。クライアントに弁護士報酬をバハマの会社へ送金させれば脱税が可能だ。でも黒田のクライアントは大企業が多かったから、そんな要求には応じないだろう。マネーロンダリングはプロがやることだから除外していいだろう。そうなると、インサイダー取引が残る。

「株を買っているんでしょ。ニューヨークの弁護士はみんなやっているわ」と川上は事もなげに言った。

「えっ。みんなやっているの?」

「野村弁護士もやっているわ。ちょっと税金が安くなるのよ」

「ちょっとだけ?」

「そう。一応脱税にはなるんだけど、駐車違反程度のものよ」

「駐車違反みたいなものなの……なんだ、もっと悪いことかと思っていた」

「今はシンガポールの株がいいようよ」

「黒田先生は日本の会社の株を買っているの。ひとつの会社の株をたくさん買ったわ。いろんな株を買った方がおもしろいのにね」

「今度がはじめて?」

「去年も何回か売ったり買ったりしたわ。その時ファイルを作ったんだけど、ファイルをどこに隠すかで黒田先生と話をしたことがあるの。黒田先生は、銀行の貸金庫に預けようと言ったんだけど、私はそういうのはすぐばれるって言ったの」

「へぇ、じゃあどこに隠したの?」

「私、ミステリーが好きなんで、教えてあげたの。ファイルを隠すのなら、一番秘密のファイルがありそうもないところ。つまり、ファイルキャビネがいいって言ったの。そうしたら、黒田先生は感心して、自分の部屋のファイルキャビネに入れることにしたの」

「でも、誰かが間違って見ちゃうんじゃないの?」

「ファイルには『弁護士会』っていうラベルを貼って、ファイルに綴じられた書類の上の2、3枚は弁護士会から来た本当の書類なの」


22



 川上の勘は当たっていた。

 黒田は日本の中堅製薬会社の株をバハマの会社を通して買おうとしていた。黒田はこの製薬会社の顧問弁護士をしていたので、米国の大手製薬会社が、この日本の製薬会社にTOB(公開買付)をかけようとしているのを知っていた。黒田のような立場にある人間が、TOBの対象となる会社の株を買うことは、インサイダー取引として証券取引法で禁じられていた。

 アメリカではtender offer、イギリスではtake-over bid(TOB)と言われているこの公開買付の制度は、昭和46年の証券取引法改正の際に日本でも採用された。公開買付は、「不特定かつ多数の者に対し、公告により株券等の買付け等の申込みまたは売付け等の申込みの勧誘を行い、有価証券市場外で株券の買付け等を行うこと」と定義されている(証券取引法第27条の2第6項)。

 

 今回の公開買付は、企業買収を目的とした本格的なものとしては、日本で初めてであった。

 公開買付は、有価証券市場を通して行う買い占めと比べると、比較的短期間に大量の株式を取得できる。また、必要な株数が集まることを条件として買付をすれば、その株数が一定期間内に集まらない場合に、買付を中止することもできる。

 公開買付の際の買付価格は、市場価格にいくらかのプレミアムを上乗せして決定されるのが普通だが、最初の価格で十分な株数が集まらない場合には、公開買付価格は増額されることがある。公開買付が公表された場合には、市場価格は、買付価格につられて上昇し、往々にして、買付価格よりも高くなる。中には、買付価格が引き上げられることを見込んで、株式を買い集め、これを公開買付をかけた企業に売却しようとする者もいる。何れにしても、公開買付が行われるという情報を事前に知っていれば、公表前に安く市場で株を買い、それを公表後高値になったところで売却し、大儲けできる。法律もそれを当然予想し、公開買付をする会社の役員などが公開買付に関する情報を利用して株の売買をした場合には、インサイダー取引として厳しく罰している。このような内部者から情報をもらって株の売買をした外部の者についても同様な規制がある。

 インサイダー取引は、公開買付の場合にのみ問題になるのではなく、上場されている会社の業務に関する重要な事実を知った会社の関係者などが、その公表前に行うその会社の株券の取引についても適用される。そのような重要な事実には、会社の合併とか、新製品の開発とかまたは災害などにより被った損害が含まれる。これらの場合に、内部者情報による取引があったのではないかと思われる株価の不自然な動きがしばしば見られ、その何割かは摘発されていた。

 黒田は、その弁護士業務の性格上、会社の内部の重要な情報に接することが多かったので、しばしばインサイダー取引の誘惑に駆られた。それでも最初のうちは、事の重大性が分かっていたから我慢をしていたが、同業の弁護士の中に派手にインサイダー取引をしている者がいることを知ってから、誘惑に抗しきれなくなった。恐る恐る何回か株の売買をしているうちに度胸が着き、もっと大きく儲けたいと思うようになった。その矢先に衝撃的な事件が起きた。黒田が何回も相手方として仕事をしたことがある、黒田のライバルともいうべき弁護士が逮捕されたのだった。

 新聞は、次のように報じた。

「大証二部上場の中堅繊維染色会社、日本織物加工が借入金返済のために第三者割り当て増資を行った際、グループ企業11社で引き受けた東京都港区の消費者金融・カーペット販売賃貸会社ユニマットの監査役の弁護士が、1995年3月の増資公表直前、知人の女性名義で日本織物株を購入し、一部を購入価格の約2倍の高値で売り抜けていた疑いが強まった。東京地検特捜部は31日午前、企業買収に絡む証券取引法違反(インサイダー取引)の疑いでこの弁護士ら3人を逮捕するとともに、弁護士事務所や自宅など約10ヵ所の捜査を始めた。弁護士がインサイダー取引で摘発されたのは初めてだ。」

 黒田もそれまでは、愛人の名前で株を買うなど、姑息な手段を用いていたので、次に逮捕されるのは自分かと背筋が寒くなる思いがした。

 

 黒田は、それからしばらくはインサイダー取引には近づかないようにしていた。しかし、2年ほど前に、友人でクライアントでもあるインベストメントバンクの人間から、ある方法を教わって気が変わった。

 黒田はこのように考えた。あの弁護士が捕まったのは、彼と株を買った知人の女性との関係が洗われてしまったからだ。もし、株を買ったのが銀行だったらどうなっただろう。外国の銀行は普通、顧客の資産を運用する口座を持っている。そのような銀行に株を買わせて、また売らせたら、銀行と本人との関係はそう簡単には分からないのではないか。ただ、銀行が本当に依頼者の秘密を守ってくれるという保証はない。では、銀行に匿名の口座を開いて正体を明らかにせずに指示を出すことはできないだろうか。インベストメントバンクの友人はそれはできないと言った。2年ほど前まではイタリアとオーストリアの特定の銀行口座で匿名の口座が開けたが、それが今はなくなっている。銀行口座を開くためには身分証明書、例えばバスポートを示さなければならない。しかし、これは個人の場合だ、とその友人は言った。会社が銀行に口座を開く場合には、パスポートを持っていく必要はない。会社の実質的な株主の正体を明らかにすることを要求されることが多いが、タックスヘイブンのいくつかの国ではそれも要求されない。

 でも、会社の名前が分かってしまえば、会社の株主が誰であるかは調べれば分かってしまうのではないか、と黒田は聞いた。そんなことはない、とその友人は言った。タックスヘイブンの国々で会社を作るには、株主の本当の名前を明らかにする必要もなければ、取締役を出す必要もない。エージェントに30万円弱の費用を払えばすべてやってくれる、とその友人は言った。友人の薦めにしたがって、黒田は、バハマにある会社の設立を請負うエージェントのホームページにアクセスした。そこには、申込の書式があって、必要事項を書き込んでインターネットで送れば、顔を見せる必要もなく会社設立のための書類が入手できる。書類には、株主の名前を書く欄はあったが、その名前が本当の名前であるという証明はいらなかった。取締役は、いくらか払えばエージェントが名前を貸してくれた。会社の名前さえ、既にバハマに存在する会社と類似でなければ、すぐにでも会社は設立できた。10日もすればクーリエで無記名式の株券が送られてきてすべて完了する。

 その次は銀行の口座を開くことになる。これも、銀行と直接接触することなくできる。エージェントに頼めば、ボンデット・アカウンタントのサービスを受けられる。ボンデット・アカウンタントとは、何か問題が起こった場合に保険でカバーされる会計士のことで、その人が銀行に行って口座を開いてくれる。口座から金を出し入れするにはパスワードを使う。このようにすれば、全く正体を現さずに、株の売買ができるはずなのだ。

 この場合に、インサイダー取引の摘発がどのように行われるか考えてみよう。インサイダー取引の疑いがあった場合、警察は不自然な売買を見つけようとするだろう。そのような売買の注文主が、バハマの銀行であるということが分かったらどうするだろう。係員をバハマに派遣して、その口座の持ち主の名前を聞こうとするかもしれない。しかし、バハマの銀行は法律上守秘義務を課せられていて、日本政府からの要請があっても、容易に口を割らないだろう。仮に、銀行が口座の名義人を明かしたとしても、そこで出て来るのはバハマ法人だ。バハマ法人の取締役はエージェントの人間で、株主の名前は架空の名前だ。日本の警察はそれ以上進めないはずだ。これは完全犯罪なのではないか、と黒田は思った。

 

 公開買付の開始は1週間後に迫っていた。黒田は、西城に命じて、日本の製薬会社の株を買うようにという指示をEメールでバハマのエージェントに出した。同時に、掻き集めた金を米国の銀行を通してバハマの銀行に送金した。外為法の規制は無くなっていたから、いくら送金しようが自由だった。黒田は、2週間後には株価が2倍以上になると思っていた。そこで売れば、4000万円を脅し取られても、まだ十分釣りが来るはずだった。


23



 T&Kの新人歓迎のパーティーは、4月28日に東京全日空ホテルの宴会場で行われた。午後6時半開会の予定だったが、その時刻にはまだ半分も人が集まっていなかった。ビュッフェスタイルで中央のテーブルに料理が並び、椅子は周囲に人数分より少なく配されていた。中央の奥には舞台が設けられ、その横で司会役のアソシエイトが手持ち無沙汰にマイクを弄んでいた。

 若い女性のスタッフは、パーティー用に着替えてきた者が多く、会場のそこここに集まって談笑していた。今回、歓迎の対象となる新人は、弁護士7名、パラリーガル2名および秘書5名で、これまでになく大人数であった。T&Kが、これで日本一の法律事務所になったということは公には発表されていなかったが、それを意識してか、料理も一ランクアップしているようだった。

 20分ほど遅れて寺本と黒田が到着し、出席予定の約150名が揃ったところで、司会の弁護士が2000年度のT&Kの新人歓迎会の開会を宣した。まず寺本が開会の挨拶をし、宮下が乾杯の音頭を取った。訴訟の準備に追われていた君原と希花は、食事が始まってから到着した。

 希花はこのところ忙しく、家で料理を作っていなかったので、今日はバランスのいい食事をしようと思った。でも、やはり、高いものは食べようと思い、残り少なくなっているキャビアを取った。

 舞台の上では、新人の隠し芸大会が行われていた。とはいっても、芸のある者は少なく、自虐的な見世物の様相を呈していた。人間洗濯機と称して回転椅子に座り、ぐるぐると回転しながら、顔を上に向けて口に含んだ水でうがいをし、口から泡を吹き出している真面目そうな新人弁護士を見ながらみんなは笑っていた。次に、女装した体格のいい男性弁護士が最近のヒット曲の替歌を歌った。

 

「滝川先生、こんにちは」という声がした。

 振り返ると、川上が赤ワインのグラスを右手に、微笑みながら立っていた。

「あら、川上さん。もう慣れました?」

「いえ、日本語も難しいし、まだ見ているだけです」

「でも、日系三世の人で、川上さんぐらい綺麗な日本語を話す人って珍しいですよね。お家ではずっと日本語を使っていらっしゃったのかしら?」

 川上は、一瞬の間をおいてから答えた。

「祖父がとても厳しい人だったので、日本語や日本文化を忘れないように、といつも言われていました。日本文化といえば、私は唐島監督の映画が大好きなんです。滝川さんは唐島監督のお仕事をしているって本当ですか?」

「私は手伝っているだけですけど、今は訴訟の準備で大変なんです」と、どこまで言っていいか迷いながら、希花は答えた。

「唐島監督は、君原先生のクライアントなんですか?」

「ええ、もう10年以上も前からお仕事をしているみたいです。唐島監督は、これまで、顧問弁護士というのを持ったことがないようで、君原先生に何でも聞いてくるんですよ」

「そうすると……もし君原先生がT&Kを辞めたら……唐島監督の仕事は君原先生が持って出るのかしら?」

 希花は質問の真意を探ろうと川上の目を見た。しかし、何の表情も読み取れなかった。このような、不躾な質問をするところが、日系三世なのかもしれない。

「さぁ……辞めたらクライアントをどうするとかいうのは、パートナーの間で取り決めていることで、私はまだアソシエイトなのでそういうことは分からないんです」

 その時、「滝川先生、出番ですよ!」という声が聞こえた。

 

 希花がT&Kに入所したのは1995年のことだったが、その時の新人歓迎会は六本木のフランス料理店を借り切って行われた。その時も隠し芸を要求されたが、その旨予告されていた希花は、得意のマジックを披露した。希花は中学生の頃からマジックに凝っていて、その芸はプロの域に達していた。最初の新人歓迎会の時は、あまり目立たないようにと、簡単なマジックを披露したが、それでも次の日から「マジシャン滝川」と呼ばれるようになった。それ以来、パーティーのたびに声が掛かり、希花も嫌ではなかったので、それなりに楽しみながら自らのレパートリーを披露していた。

 希花は、若い女性がみな華やかな衣装に変身している中で、仕事の格好のままで来たことにちょっと気後れしながら、壇上に上がった。希花はブレスレットを外し、ハンドバックの中から1メートル程のロープを取り出した。

「SMの女王滝川!」と口の悪い同期の弁護士が叫んだ。

 SMは別にして、希花には女王の雰囲気があった。地味な服装がかえって、希花の本来持っている硬質のダイヤのような輝きを際立たせた。

 今日希花が披露しようとしていたのは、指先と手の動きだけからなる素朴なマジックだった。希花はマイクに近づき、最初の芸が「ロープの瞬間通し」だと告げた。

 希花はロープを左手に掛け、ロープの両端が垂れるようにし、右手に持ったブレスレットの下に近づけた。次の瞬間、ロープはブレスレットの中を通っていた。観客がおぉ、とどよめいた。この芸は、観客からは死角になっている左手の親指の素早い動きと演技全体のスピードが成否を決する。

 観客の要求に応えて、希花は、同じブレスレットとロープを使う「リングのエスケープ」と称するマジックを2題披露した。何れも、なんの仕掛けもないマジックだった。それにもかかわらず、希花は、指先数10センチのところにまで顔を近づけて仕掛けを見破ろうとしている観客の目を欺いていた。


24



 9時過ぎになり、黒田が閉会の挨拶に立った。黒田は、晴れ晴れとした表情で、T&Kは予定通り日本一になったが、10年後には弁護士数200名を超える巨大事務所になるだろう、と言った。

 黒田の挨拶が終わると、司会者が、2次会の会場が六本木に新しくできたディスコに設けられていると告げた。ここで、君原、希花等唐島訴訟のグループは仕事に戻った。弁護士の大部分は2次会に行くことになり、スタッフは若い女性を中心とした30名程度が出席を予定していた。全体で80名以上がタクシーに分乗して六本木に向かった。

 

 数ヶ月前に六本木に出現した真っ黒な窓のない建物は、5層吹き抜けの巨大なディスコだった。黒田が、そのディスコの所有者である外資系企業の顧問をしていたことから、T&KはディスコのVIPルームを格安の料金で使用できた。

 一時飽きられていたディスコの人気は昨年あたりから回復し、新技術を取り入れた大規模なディスコが建設されていた。

 城門のような厳めしいエントランスから中に入り、長い回廊を抜けると、超現実的な空間が出現した。中世ヨーロッパの、大聖堂のドームのような天井は、全体が巨大なスクリーンになっていた。その巨大なスクリーンには、現実と見まがうほど精緻な映像が映し出されていた。映像は、激しいディスコミュージックに合わせるが如く変化し、ある時は果てしなく続く砂漠であったり、マグロの大群が泳ぐ南の海であったり、また、夥しい数の宝石のような恒星を散りばめた闇黒の宇宙であったりした。

 寺本は呆然として躍動する天井を眺めていた。天井のいたるところからダンスフロアで踊る若者達の上に、ミルク色の光の帯が照射されていた。それは、天上の世界と地上を結ぶ幾筋かの光の道のように見えた。

 寺本は、ダンスフロアの横にあるガラス張りのVIPルームに入り、ソファーに沈み込むように座った。防音のガラスを通して、かすかな音楽と振動が伝わってくる他は、静寂の世界だった。若い連中は皆、踊りの渦の中に捲き込まれ、VIPルームに残ったのは数人であった。

「すごいだろう」と後ろから黒田の声がした。

「いやぁ。ディスコは10年振りだけど、すごいものができているんだね。ここまでくると宗教的という感じさえするね」

「天井のあれだけど、あれはプラズマディスプレイっていうんだよ。最近、プラズマテレビという超薄型のテレビが出ているでしょう。あれと同じ原理なんだ。透明な電極を並行にした2枚のガラス板を200ミクロンの間隔で重ね合わせる。その間に稀ガスを入れて、電圧をかけると、放電して紫外線が発生する。その紫外線が蛍光体を光らせていろんな色が出るんだよ。要するに蛍光灯みたいなものなんだ」

「よく知っているんだね」

「この会社の証券発行をやったときに、仕方なく勉強したのさ。もっとも今言った以上のことは何も知らないが」

「やあ……この光景は麻薬的で危ないね」

「俺はそんなに興味はないね。それよりも踊りに行こうぜ」

「元気なんだな。私はもう少しここにいるよ」

 寺本はジャックダニエルを飲みながら、めくるめくような天井の映像を見ていた。こういう虚構の映像が自分を包み込み、いつの日か、何が現実で何が虚構か分からなくなる時が来るのではないか。そうなれば、自分は今の自分を捨てて、名前の無い人間としてスクリーンの向こうの世界に入っていけるのではないか。寺本は酔いも手伝って取り留めもないことを考えていた。

 寺本のバーボンの水割りが残り少なくなった頃、アソシエイトと秘書の一群が戻ってきた。ガラスの扉が開けられると、強烈な音と振動がVIPルームを満たして、寺本のグラスがカタカタと震えた。若い男女は、さんざめきながら着席し、飲物を頼んだ。誰も寺本には近づこうとはせず、なるべく距離を置こうとするかの如く、部屋の隅の方にかたまっていた。寺本もそれに気づき、居心地の悪い思いをしたが、自ら若者達に近づいていく気力もなく、酔った振りをして目をつむった。

 となりに誰かが座った気配がし、寺本が目を開けると、川上が微笑んでいた。

「飲物がありませんよ。もらってきましょうか?」

「そうだな……悪いけどお願いするかな」

 寺本の目はバーカウンターに向かって歩いていく川上の後ろ姿を追っていた。きつめのベージュのパンツに包まれた曲線が、ガラス越しに聞こえてくる音楽に合わせるかのように揺れ動く姿を、寺本は悩ましげに見ていた。

 

「アメリカにもこんなディスコはあるんですか?」と寺本は聞いた。

「いえ。私はあまりディスコには行かないので、よく知らないんですけど。アメリカにも無いんじゃないかしら、こんなすごいところ」

「川上さんは三世ですよね。それにしては、といっては失礼かもしれないけれど、日本語がすごく綺麗ですね。完全に日本人のアクセントだ」

「父がすごく厳しかったんです。うちでは必ず日本語を使うようにって。でも、漢字を勉強するようになったのは、大学に入ってからなんです。だから時々変な漢字を書くんですよ」と、川上はマニュアルに書かれていたことをそのまま言った。

「何か、川上さんを見ていると、もう日本にはいなくなってしまった大和撫子を見ているような気がしますよ。日本の美しい部分が、そのまま失われないで残っているという感じがします」

「そんなことはないですよ。私もアメリカンだから、すぐがっかりしますよ」

「うちの女房なんか、日本的なところが全然無くていやになってしまいますよ」

 寺本は、聖心を出た、元華族の家柄の妻について話し出した。妻が、いかに優しくないか、家柄を鼻にかけているか、自分の仕事を理解していないか、非協力的であるか、見た目もかわいくないか……と延々と話し続けた。


25



 寺本は30分ほど1人で話したあとトイレに立った。寺本の姿が見えなくなるのを確認してから、川上はハンドバックの中から小さな錠剤を取り出し素早く寺本の水割りの中に入れた。錠剤は30秒ほどで溶けて見えなくなった。

 川上のもらったマニュアルの中には、この錠剤はDLD23と呼ばれ、飲んだ人に恋をさせる薬である、と書いてあった。川上は、いかがわしい媚薬の一種だろう、と思っていた。それは、この薬の存在が極秘にされていることから当然だったが、実は、このDLD23は現代科学の成果である脳内薬品の一種であった。

 脳の中にある神経細胞は、触手のように伸びていく神経繊維を通じて他の神経細胞と情報を交換している。神経細胞から伸びていく神経繊維はお互いに直接結び付いているわけではなく、シナプスという連結点で信号のやり取りをしている。このシナプスで情報を運んでいる物質を神経伝達物質(ニューロトランスミッター)と呼び、このような物質は数十種類もある。このような神経伝達物質の一つにドーパミンというものがある。

 ドーパミンは、脳内のあらゆる部分に分布しているが、この物質が多すぎたり少なすぎたりすると様々な病気が発生する。例えば、黒質線条体といわれる部分でドーパミンが足りなくなると、パーキンソン氏病が発生する。ドーパミンの活動が過剰になることによって、精神分裂病が発病することも分かっている。また、ドーパミンは、芸術などの人間の創造的な活動にも大きく関係しているとされている。

 80年代の後半、米国のある製薬会社の研究所が、ナルコレプシーという病気の治療薬として、ドーパミンの働きを高める薬を開発していた。最終的に、FDA(連邦食品薬品局)の認可を得た薬が開発されるまでに、その効用や副作用の関係で何種類もの薬の開発が中止された。そのうちの一つに、不思議な副作用を持つものがあった。この薬は、人体実験の段階までいったが、その被験者の9割以上が担当の看護婦に恋をするという事態が発生した。製薬会社は、この事実が公になればマスコミが批判的に取り上げ、本来の薬の開発までも差し止められるおそれがあると考え、この件に関するすべての記録を封印し、金庫に保管していた。しかし、半年も経たないうちに、その関係資料は全て金庫の中から忽然と姿を消した。

 90年代になって、ヨーロッパを中心に政府の高官などの恋愛事件が多発した。それらの恋愛事件に関して、ヨーロッパの国々の情報機関のいくつかは、米国のCIAが未知の薬を使って事件を惹き起こしているという情報を得ていた。94年に起きた、内密に処理された事件の際に、英国の情報機関が、CIAがその薬品を使用している確証を得て、CIAに強硬に抗議した。その結果、この薬は、英国を皮切りとしてヨーロッパ各国の情報機関にも供給されるようになった。マーシャル&野村の野村弁護士はヨーロッパの某国の情報機関と親しい関係にあり、キングはこのルートを利用してDLD23を入手した。

 

 寺本はトイレで妻への不満がまだあることを思い出し、席に戻ってからその話を続けた。妻が浪費家であること、稽古事に金と時間を費やし、いつも家にいないこと、子供達のことばかり気にかけて自分のことをないがしろにしていること、等々。

 川上は半ば呆れながら話を聞いていた。これだけ奥さんに不満があるのなら、あんな薬を使うまでもなかったのかもしれない。それとも、こうやって愚痴を言うのが好きで、浮気をするまでの勇気は無い人なのだろうか。

 寺本は喋っているうちに気分が高揚してきた。いつもは、心の中にわだかまっていたものを吐き出すことによる開放感を感じることはあったが、今日の気分はそれとは違っていた。妻のことなどは小さなことで、そんなことにこだわっている自分がおかしく思えた。体中にエネルギーが満ちてきて、人生を一からやり直せるような気持ちになってきた。全身の細胞の1つ1つが、ディスコミュージックのリズムに合わせて踊りだし、電気のようなものが体の中をすごいスピードで走りまわっていた。これらはすべてドーパミン系の薬の作用だったが、寺本はそれを知る由もなかった。

「つまらない話を長々として、ごめん」と寺本は爽やかに言った。

「大変な奥さんなのに、我慢をしていて偉いわ」と川上が微笑みながら言った。

 寺本を突然不思議な感覚が襲った。胸の奥の方から水が染み渡っていくように、いとおしさとでもいうべき感情が体中に溢れ、それがすべて川上に向けられていた。川上の、切れ長の大きな目、上品な鼻、ほのかに赤い唇、そして透き通るように白い肌。川上を構成するすべての部分がいとおしく、寺本はそれらをずっと長いこと恋い求めていたように思えた。この気持ちは何十年も前に感じたことがある。中学2年の時、5月の風の匂いと一緒にやってきて寺本を虜にしてしまったあの感情。いや、そんなはずはない。これが恋だなんて。


26



 寺本は夢の中にいるような心地で、天井のシャンデリアを見ていた。そこは川上のマンションのベッドルームだった。正確にいえば、マーシャル&野村が東京への出張者のために買ったマンションだった。川上は任務が終わるまでこのマンションを自分専用に使うことができた。

 寺本の頭の中では、小さな活発な小人が何人も住んでいるかのように、いろいろな会話が交錯していた。その声がうるさくて考えがまとまらない。それでも必死に今日起こったことを順を追って思い出してみた。

 2杯目のバーボンの水割りを半分飲んだところで、おかしくなったのだ。気分がとてもハイになり、じっとしていられなくなって川上をダンスに誘った。自分でも驚くほど体がよく動き、寺本が踊るのを初めて見るアソシエイトや秘書達が、口を開けて見ていた。ダンスをしている間中、川上と2人っきりになりたいという気持ちが大きく膨れ上がり、席に戻った時に川上にそれを告げた。外に出て、六本木の町を散歩して、ラーメンを食べて、その次をどうやって誘っていいか途方に暮れていた。寺本は素人の女性との不倫の経験はなく、普通の男がこのような場合どう行動するのか分からなかった。川上はもう帰りたいといい、寺本はタクシーで川上を家に送った。豪華なマンションのオートロックの入り口のところまで送った時に、川上が「コーヒーを飲んでいきますか?」と誘い、寺本は勿論招待に応じた。

 

「このマンションって大きいんだね」と寺本はベッドの上に上半身を起こしていった。

「スリーベッドルームだから、日本にしちゃ大きいんでしょうね。私はほとんどこの部屋しか使っていないけれど」

 川上は全裸でうつ伏せになり、羽根枕に顔を埋めていた。川上の身体には無駄な肉がなく、特に下半身は大理石の彫像のように引き締まっていた。

「200平米以上あるね。マーシャル&野村っていうのは随分金持ちなんだね。こんなマンションを買っちゃうなんて」

「マーシャル&野村は日本のクライアントが多くて、日本のクライアントはお金をちゃんと払ってくれるからいいんじゃないかしら」

「アメリカのローファームのヘッドパートナーっていうのはみんなすごい生活をしているからね。日本で弁護士をしていてもお金なんか全然儲からないよ」

「そんなことはないでしょ」

「いやぁ、うちのパートナーの中には、T&Kは潰れるといっている馬鹿な奴もいるよ。潰れはしないとは思うけれど、これからますます厳しくなることは確かだな。今度の外弁法の改正で、外国の事務所が日本の弁護士を雇えることになったから、若くて優秀な弁護士を持っていかれちゃうことは明らかだ」

「じゃあ寺本先生もアメリカの法律事務所かなんかに移っちゃったら?」

「そうはいかないよ。私はT&Kの創業者パートナーだから。事務所を捨てるわけにはいかない」と寺本は苦笑しながらいった。

「それだったら、事務所ごと売っちゃったら?」

「えぇ?誰も買ってくれないよ」

「売れるわよ。素晴らしい事務所なんだから。アメリカじゃあローファームのM&Aっていうのはしょっちゅうあるみたい」

「まあ、60人程度の事務所はアメリカでは小規模事務所だから、この程度のものを買うのはたやすいことだろうけれどね」

「私の知っているアメリカの弁護士は、自分が作った小さなローファームを売って、バミューダとスイスに別荘を買ったわ。そして、1年のうち3ヶ月ずつその別荘にいて、あとの半年は売っちゃった事務所で働いているの」

「そうか。事務所を売っても、仕事は続けるっていう手もあるわけだな」

「先生の場合、T&Kをニューヨークの法律事務所に売って、その代わりにそのニューヨークの事務所のパートナーになるっていうのはどうかしら。そして、ニューヨークに半年住んで、東京に半年住むの」

「そんなにうまくいくかな」

「そうすれば私も先生とニューヨークで会えるでしょう」

 そうだ、川上は3ヶ月経つとニューヨークに帰ってしまうのだ。寺本は自分が川上無しの生活に耐えられなくなっていることに気づいた。別れる時のことを考えたら心臓が締めつけられるような思いがした。

 寺本は自慢の頭脳が少し落ちつきを取り戻したので集中して考えようとした。生活を維持し、仕事を続けて、それでなおかつ川上と一緒に暮らせるような方法というのはあるだろうか。妻と別れて川上と結婚する、というのがすぐ思いつく方法だが、川上がニューヨークにいる限り離ればなれになってしまう。それに今更妻と別れるというのも何かと面倒な話である。川上の言うようにT&Kを売って交換条件でニューヨークの大事務所のパートナーになり、東京とニューヨークを行ったり来たりするというのは理想的なアイディアのように思えてきた。

「もしできたら、ロワーセントラルパークイーストのコンドミニアムに住みたいな……映画の中でスーパーマンのガールフレンドのロイス・レインが住んでいたようなテラスがあるところ。セントラルパークを見おろすようなところはすごく高いでしょうから、ちょっと離れてもいいわ。そして、長い休みが取れるなら、カリブ海のクルーズに行ってみたい。センチュリーっていう7万トンぐらいある客船に乗ってみたいの。中にはなんでもあるんですって。映画館もあるしカジノもあるし……」

 川上はこういいながら、自分の気持の中に演技とは言い切れないものがあるのを感じていた。世の中には、きっと、そういう生活をしていて、苦労なんかなんにも知らない人がいるんだ。これまでは幸福とは縁が無かったけれど、これからは自分の力で勝ち取っていくんだ、と川上は思った。

 寺本はT&Kの売却を現実の問題として考えていた。自分1人で動くわけには行かないから、まずパートナーを説得しなければならない。何人かは乗ってくると思ったが、黒田がイエスと言わないだろう。黒田は外人嫌いだし、英語も下手だから、面白いわけはない。それに、誰が買ってくれるんだろう。アメリカの大ローファームだってそんなに金があるわけではないし、60人以上も弁護士がいる法律事務所を買うよりもその中から優秀な若い弁護士を引き抜いた方が安く上がる。ただ、日本のビジネスをよく知っている奴だったら、日本の社会に根付いている法律事務所を買った方が長い目で見て安上がりだということは分かるはずなんだが。

 とにかくやってみよう。寺本は、血管が透けて見えるほど白い川上の胸に唇を当てながら思った。

 

 その頃、T&Kでは希花と伊藤が訴訟の準備に追われていた。

 今回の訴訟は、法律用語を用いて言えば、「現被告逆転型の国際的訴訟競合」という類型に当てはまるが、このような訴訟はT&Kとしても初めてのことであった。参考となる判例はそれなりの数あったが、それぞれ事案は異なっていて、そっくり真似をすればいいというものではなかった。希花と伊藤は、そもそもこの訴訟でどのような請求をするかについて、かれこれ2時間あまり議論をしていた。

「もう1時を回ったからそろそろ帰ろうか」と希花が言った。

「そうですね。これからまだ何日も続くことだし、途中で倒れてしまったらしょうがないですからね」と伊藤が疲れた様子もなく答えた。

「君原先生はエスケープしちゃうし、結局私達2人でやるしかないのよね。それにしても、君原先生が11時過ぎにクライアントと約束があるっていうのは何か変ね。女じゃないかしら」

「クライアントから、2次会に呼ばれているっていうこともあるんじゃないですか」

「君原先生のクライアントにそういうしつこい人はいないから、違うと思うな。事務所の女性と会っているんじゃないかしら。その相手の人も、今日の2次会を途中で抜け出して六本木のどこかで待ち合わせているとか」

「ちょっと考えすぎじゃないですか。滝川先生こそ変ですよ」

「でも失礼じゃない。私達だけに仕事をさせて、自分は楽しい思いをして」

「なにか妬いているみたいに聞こえますよ」

「どうして私が妬かなきゃいけないの?」

「……」

「もう50近い中年男じゃないの。全然興味がないわ」

 希花は、自分でも意識していなかった感情を、伊藤に指摘されたことに対して腹を立てていた。それは、伊藤に対して腹を立てているというよりも、不用意に素顔を見せてしまった自分に対する腹立ちであった。


27



 寺本が帰ったあと、川上はしばらくベッドの中でじっとしていた。キングに報告しなければいけなかったのだが、すぐ電話をかける気にはなれなかった。何を考えるでもなく、30分ほど毛布をかぶって縮こまっていたが、しかたなく川上は起きあがり、隣の部屋へ行った。12畳ほどの部屋には、36インチのテレビと、その前にテーブルと椅子が置かれていた。テーブルの上には、プッシュボタン式電話の横にたくさんのボタンが並んだ20センチ四方の大きさのリモコンが置かれており、テレビの上にはカメラのようなものが据え付けられていた。川上は椅子に座り、リモコンを操作してテレビをつけ、テレビの画面に現れたいくつかの電話番号のうちの1つを選択し、ボタンを押した。呼び出し音が聞こえ、突然キングの顔がテレビ画面一杯に映った。

「ハーイ、クリスティーヌ」とキングは言った。

「ハーイ、ディック」と川上は答えた。

 

 川上はキングとの交信を通常Eメールで行っていたが、日本時間の金曜日の夜(ニューヨーク時間の金曜日の朝)には必ずテレビ電話で連絡をするように言われていた。テレビ電話は、画像と音声が国際電話と同様に多少遅れることを除けば、相手の細かな表情を読み取るにも支障がないほど精密な画像を送ってきた。

「今日、寺本と寝たわ」と川上が言った。

「楽しかったかい?」

「楽しいわけがないじゃない。これだけでも10万ドルの請求書を書きたいぐらいだわ」

「いや、感謝しているよ。それでどんな感じだった?うまくいきそうかい」

「あの薬のせいか、私の魅力のせいか、どっちのおかげか分からないけれど、寺本は私にまいっているわ。寺本1人についてみれば、彼は私の言うことならなんでも聞くと思う」

「そうなると、早いところ寺本と話をした方がいいな」

「彼がOKだとしても、他のパートナーを説得しなければいけないから、時間はいくらあっても足りないと思う。とにかく、寺本に正式に提案してみて、彼がどう動くか、また、周囲がどう反応するか、見てみたいの」

「分かった。来週の寺本の予定は分かる?」

「来週はゴールデンウィークなので無理だと思うわ。再来週の前半なら寺本はオフィスにいると思う」

「タイミングが悪いなぁ。とにかく、7日の日曜日の午後に東京に着くようにするから、7日の晩飯を一緒にしよう」

「このためにわざわざ東京に来るの?」

「本来であれば、私の方から出掛けていくような相手ではないんだが、今回は仕方がない。寺本にちゃんとインプットして、こちらの思った通りに動いてもらわなければ困るのだ」

「分かったわ。Eメールでフライトナンバーを教えてくれる?7日の夜はあけとくわ」

「ところで、この前メールで教えてくれた黒田の話だけれど、問題のファイルを手に入れることはできるかい?」

「場所は分かるけど、人の部屋の中だから、昼間入って行くわけにはいかないわ。夜も1時、2時までは人がいるみたいだから、もうちょっと様子を見てからにしたいの」

「この前もらった情報からすると、インサイダー取引をやっているのは間違いがないと思うが、あれだけの情報では、こっちサイドからは調べられない。是非ともそのファイルがいるんだ」

「私は、こちらの事務所に来たばかりだから、夜遅く残っているのも変だし……もう少し遅くまで残れるような状態になったら実行するわ。ばれてしまったら元も子もないでしょ」

「その判断は君に任せるよ。とにかく君だけが頼りなんだよ」

「お金をもらえればなんでもやるわ」

「いい子だ。じゃぁ今日はもうお休み」

「分かったわ。今度は東京で」

 音声が途切れ、手を振っているキングの姿が静止画像として残り、それもやがて消えていった。

 

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