_ 有名シェフのディナーに招かれ12人が孤島へ赴く。
_ 訳アリの二人、落ち目の俳優、成金の3人、グルメ評論家など。それから殺戮劇が始まる。
_ ここでは、サービスする側とされる側が分けられる。エセ知識を振り回すグルメや、箔をつけたいだけの成金は軽蔑される。賓客に紛れ込んだ、娼婦マーゴは、サービスする側として分類され、最終的に生き残る。
_ サービス業として50年間やってきたわが身としては身につまされる思いがある。シェフが最高の料理を提供しても評価する受け手はいない。自分の料理はわけのわからない連中がもてはやし神格化される。
_ シェフの料理は嫌いで一番食べたいのはチーズバーガーだと言ったマーゴにシェフは世界一のチーズバーガーと作ると宣言した。
_ サービス業にかかわらず、仕事の満足とはなんであるか、考えさせられる。
_ 素人作家としては、今回刊行された作品の評価は気になる。
_ キャプテン・マーベルシリーズの最新作。
_ これまでこのシリーズは観たことがなかったが面白かった。キャプテン・マーベル以下三人のヒーローが女性。白人、黒人、ヒスパニックとなっていて、敵役の宇宙人も女性(?)。ここまでくると反対のバイアスがかかっていると思える。
_ 「三島由紀夫会見記」に書いたように、三島は野口武彦の小説で、ある女性が夕陽を見て世界の終末を感じたというところで、女は逆さに振ってもそんなことは感じないと言った。今の基準からするとこれは女性蔑視になるのだろう。しかし、想像するに三島が今生きていたら同じことを言うのではないか。
_ 三島の発言は、彼の世界認識の一端であって、それは時代が変わっても揺るがないだろう。
_ 思うに、事物の属性は時代によって変わるものではない。男性の多くが持ってる属性を男性的とし、女性の多くが持っている属性を女性的とするのは間違いではない。
_ トランスジェンダーとは、出生時に割り当てられた性別とジェンダーアイデンティティが異なる人のことのようだ(トランスジェンダー入門 集英社新書)。だから、女性として性を指定された人は、自分は女性ではないと認識すればトランスジェンダーといえる。何も、男性であるとの認識を持つ必要はない。
_ そこで上記の三島の発言を見ると、夕陽を見て世界の終末を感じるのは、女ではないということだ。じゃあ、ここで女とは何か。トランスジェンダーの定義からすると、女は、身体的特徴やDNAで決定されるものではない。本人が、自分は女ではないと認識すれば、それが決定する。つまり、三島から見れば、夕陽を見て世界の終末を感じる主体は女ではないということになる。もし、野口武彦の小説(読んでないが)でその「女」が終始夕陽を見て世界の終末を感じる感性を持っているように描かれているならその人は女性ではない何者かなのだ。
_ たぶん三島は、外見は女だが、小説の中で、一貫して「夕陽を見て世界の終末を感じる」ような人物に描かれていれば(つまり男性的に描かれていれば)、それでいいというのではないか。