_ JR西日本の脱線事故の報道がかまびすしい。後から後から問題の事実が現れる。ワイドショーでは司会者、コメンテーターら全員が異口同音にJR西日本を責め立てる。JR西日本は悪であり、それを袋叩きにすることは正義であり、より感情的に、大げさに責め立てれば自分の正義(神=大衆)に対する忠誠心が証明されるかのごとくである。コメンテーターの中には弁護士もいるが、その姿勢は一般人と変わらない。
_ 刑事事件において弁護士は検察が起訴した人(悪人)を弁護する。民亊事件では、依頼してきた人(いい人であるとは限らない)の立場を主張する。弁護士は自らの正義感を満足させるために仕事をするのではない。弁護士は、どのような立場の人間にも言い分があることを前提に、人を代弁する職業である。「理屈と膏薬はどこにでも付く」という諺があるが、弁護士は理屈のプロであり、どのような立場でも議論できなければならない。
_ そこでワイドショーを見てみよう。そこにはJR西日本を弁護する立場の人はいない。皆が一人(1社)を責めるという構図で、これは、いじめである。いや、JR西日本が一方的に悪いので、いじめではないという人がいるだろう。しかし、どんないじめでも、いじめている者に訊けば、必ずいじめられている者に問題があると言う。だから、理由のあるなしに拘わらず、全員が一人を痛めつける行為はいじめであると考えるべきなのだ。
_ では、ワイドショーに出ている弁護士はどうすればいいか。弁護士であれば、どのような悪事を働いた人間にも言い分があることを知っている。だから、それを本人に代わって主張すべきなのだ。
_ 日本のワイドショーは、弁護士も裁判官もいない人民裁判だ。
_ JR西日本の社員43人が脱線事故の当日ボウリング大会に参加し、その後懇親会に行ったことが非難されている。彼らの弁護士を勝ってにやってみよう。
_ 先ず、そもそもJR西日本が悪いのか(JR西日本の故意過失が立証されていないのでJR西日本はあなたや私と同様に無罪の推定を受ける)という議論はあるが、とりあえずJR西日本は有責だとしよう。法人としてのJR西日本やその社長、運転手(過失があったとして)に責任があるとしても、上記43人には法的責任はない。でも、道義的責任はあるというのが世論なのだろう。なぜ?JR西日本の社員だから?
_ JR西日本は江戸時代の藩ではなく、宗教団体でもなく、株式会社である。その従業員は会社の一部ではなく、会社に隷属しているわけではなく、会社の思想なり信条を信奉しているわけでもなく、多分会社を愛しているわけでもなく、単に会社に労働を提供して賃金を得ている労働者である。43人は当日全員休暇をとっていたとのことで、その日は会社の拘束を受けていなかった。管理部門の社員に召集がかけられたとのことだが、その対象にもなっていなかった。
_ 彼らはその日、自由な個人だったのだ。あなたや私と同様に。あなたはその日悲惨な報道を見ながら酒を飲まなかったか。彼らを非難しているテレビ局は悲惨な事件の報道中頻繁に脳天気なコマーシャルをさしはさまなかったか。それは、人間として不謹慎ではないのか。ある会社にたまたま属していたということで人間としてするべきこと、してはいけないことが異なってくるのか。
_ こんどの事故は、一度に多くの人が亡くなったので注目されたが、もっと犠牲者の多い事故は日常的に起きている。日本だけに限っても、毎年一万人近い人が交通事故で死んでいる。その原因はほとんどが自動車だ。だとすれば、自動車会社には今回の事故の百倍の死について責任があることになる。法的責任は問えなくても道義的責任はあるのではないか。それならば、トヨタの社員などは毎日謹慎していなければならない。
_ というような議論はできる。マスコミの主張に同調するだけではなく、異なった見方ができないかと考えることは大切だ。
_ メル・ギブソン監督作品。イエス・キリストの最後の12時間をリアルに描く感動作。
_ ゴルゴダの丘を十字架を背負って登るイエスと脱線事故の犠牲者の家を弔問にまわるJR西日本の垣内社長がオーバーラップした。彼は多分死ぬより苦しい立場にあるのだろう。起訴も裁判もなく、マスコミ主導の刑罰が科されている。JR西日本の役員を怒鳴りつける記者は、自分の会社の役員が同じ立場に立ったら同じことが出来るのだろうか。
_ イエスの言葉を捧げよう。「父よ、彼らを許してください。彼らは何もわかっていないのだから」