_ これからなるべく毎日書いていきたいと思います。どうなりますか。
_ 前から見たかった作品でやっと見つけたので昨日見た。ローズマリーの赤ちゃんと似たストーリーの作品で十分楽しめた。これからネタばれなので注意。
_ いずれの作品も最後に赤ちゃんを母親が受け入れることになるが、この部分のインパクトはローズマリーの方が強い。ノイズでは母親が地球外生物にのっとられてしまうが、ローズマリーでは母親は子供が悪魔であることを承知の上で受け入れる。
_ 男としては、どこまで行ってもわかったと言いきれないテーマではある。母にとっては父親が誰であっても子供の遺伝子の半分は自分なのだ。それ以上に赤ちゃんが自分の一部になっているという感覚の方が大きいのかもしれない。
_ 昨日ニューオータニのとんかつ屋でカウンターに腰かけて牡蠣フライ定食を食べながらワールドシリーズ第7戦を見ていた。9回裏クローザーのリベラがマウンドに上がった。
_ 定食を食べ終わった頃、リベラは1点を取られ試合は2-2のタイになっていた。リベラは死球を与え、一死満塁になった。その時リベラの顔には何とも言えない表情が浮かんだ。
_ 恐れ、苦悩、諦め・・・何れでもない。重く強い潮流に捕らえられ、意図する方向に身体が動かない。そして、流れが向かう先に死を認めた時人は何を思うか。静かな悲しみ・・・
_ 敵地での9回裏のクローザーには、悲劇の条件が揃っている。点を取られたらゲームオーバー、負けだ。先発投手だったら、次の回に味方が点を取ってくれるかもしれない。9回裏のクローザーは違う。味方にどんな強打者がいようとも、点を取られればその出番はない。リベラは孤独なボクサーだった。そして敵は塁を埋め、更に続々と登場する。
_ テレビの音は店の雑音で掻き消され、無声映画を見るようだった。小さなテレビの画面は、大観衆が立ち上がり、叫び、拍手をし、津波のようにリベラに襲い掛かる様子を捉えていた。リベラは、抗し難い流れの先に何があるかを確かに見たのだろう。
_ 終止符は、劇的なホームランではなく、平凡なポテンヒットだった。それは悲劇の終幕というより、巷のありふれた死のアナロジーだった。リベラの姿はテレビの画面から消え歓喜の祭りだけが延々と続いていた。
_ 朝日新聞は10月29日の歌舞伎町エステの火災のとき焼死した人の氏名を公表しなかった。三年ほど前にテレクラが放火されて客が3人死んだときもその氏名を伏せた。
_ ところが44人が死んだ9月1日の火災のときは全員の氏名を公表し写真まで掲載した。この火災で焼けた4階の店は当初は風俗店と報道されたが、新聞には飲食店と書かれた。
_ 私は、インターネットでこの店、スーパールーズのサイトをみつけた。そこには顔をモザイクで隠した女性の写真が載っていた。朝日新聞の記者は当然このサイトを見たはずである。そしてこの店がいわゆる飲食店でないことは瞬時にわかったはずである。顔を隠し源氏名で表記された女性たちが自らの氏名と顔写真を新聞に掲載されたくなかったことは一目瞭然であった。それにもかかわらず朝日新聞は風俗店を飲食店と偽ることによって,彼女らのプライバシーを暴いた。これは犯罪である。
_ 事件の次の日の紙面に、記事とは関係なく、唐突に女性の写真と氏名が載せられていた。写真をとれたことを手柄のように思った記者がいたのだろう。それによってどれだけ人の心を傷つけるかに思い至らない愚か者が。
_ 朝日新聞は後日スーパールーズの女性の何人かについて、身の上話を囲み記事で連載した。そのときは女性の名前は仮名だった。朝日新聞はこの段階で仮名を用いることで何を守ろうとしたのだろうか。彼女らが隠そうとした事実はすでに暴露されているではないか。人権に配慮しているかのごときジェスチャーか。
_ 今日の朝日新聞の朝刊に面白い記事があった。秋田の小学5年生のクラスで鶏を飼育した後カレーにして食べると言う授業が企画されたが、保護者から反対の声があがり中止したとのこと。そこで「バベットの晩餐会」と言うデンマークの映画を思い出した。
_ フランス革命の後、デンマークの小さな漁村に逃れてきたパリの有名料理店の女シェフが、雇い主に感謝の意を表すために自費で晩餐会を開催する。彼女は最高の食材を集めるがその中に生きた海がめ一匹とうずら約20羽がいた。かわいいなと思って見ていたら、次に登場したときはスープとパイになっていた。日本映画だったら、少なくとも生きてる姿は出さないな、と思い文化の違いを感じた。反対に日本の活け造りとか踊り食いとかは欧米から見れば残酷の極みだろう。
_ 私にしても、ウサギを飼うようになってからはフランス料理でウサギの肉を食べられなくなった。でも鳩や鹿の肉は食べるので勝手なものだ。
_ 「千と千尋」が大当たりした理由はそのエロティシズムにある。宮崎駿がロリコンだという人がいるが、私はその方面はよくわからないのでここでは立ち入らない。いずれにせよ、「千と千尋は大衆的な支持を得たのであるから、そのエロティシズムは大衆が受け入れることのできる性格のものだったはずだ。
_ そもそも、舞台となる湯屋は江戸時代には売春が行われていた場所である。湯女ーと映画名の中で呼んでいたーは売春婦だった。映画の中で湯屋に来る異形の神様はどうも皆男性のようだった。彼らは派手なイルミネーションのついた船で大挙してやってくる。
_ 萩野千尋は、親がサラ金で借金を作り家計が苦しかったこともあり、学資くらい自分で稼ごうと不思議の街歌舞伎町にやってきた。あるお店に「ここで働かせてください!」と言って入ったところ、女主人に「千」という源氏名を与えられて働くことになった。千は皆が嫌がる汚い客(オクサレサマ)にも一生懸命奉仕し感謝され、店の売れっ子になっていった。ストーカーのような客(カオナシ)もいて、金を積んで千を誘惑しようとしたが、千は「私のほしいものはあなたには絶対にだせない!」と言ってはねつけた。女主人にこき使われているハンサムなボーイさん(ハク)との恋もあった。やがてお金をためた千は風俗を引退し不思議の街を後にした。千尋が不思議の街で働いていたことは外の世界の人は誰も知らず、千尋にとっても夢の中の出来事のように思える。
_ そう、「千と千尋」は風俗嬢の物語だったのだ。この映画が海外でどう受け入れられるかには興味がある。
_ スティーブン・キング原作脚本の「ザ・スタンド」(二本組み6時間のビデオ)の前半を見た。実は、この小説は以前ペーパーバックで1141ページの1/4ほど読んで、難しいのでやめたものだった。米国で開発されていた細菌兵器が研究施設の外に漏れ人類が絶滅の危機に瀕する。そこで生き残った者が善と悪に分かれて対決するという物語らしい。この細菌は人工のものらしく、致死率はほぼ100%だ。キングが最初にこの話を書いたのは1978年のことでその当時はまったくの空想であったに違いない。しかし、今日これは現実の問題である。
_ 私は最近バイオの仕事をしており、その関係の本を読むことが多い。バイオの技術の進歩は著しく昨日夢であったことが今日は現実になっている。悪夢もまたしかりである。米国では天然痘がテロリストに使われることを怖れワクチンを用意していると言う。しかし、使われるのは既知の細菌とは限らない。遺伝子組み換えによって自然界に存在しない細菌を作ることができる。たとえば、肺ペストのように致死率が高くインフルエンザのように簡単に空気感染するものが出来るかもしれない。ありふれた細菌やウィルスを組み合わせて強力な細菌兵器が出来るかもしれない。すでに米国や旧ソ連ではこのような開発が行われていたと思うが、今は国家でなくてもそれは可能だ。
_ テロリストがベンチャー企業を作ってゲノム創薬の研究をすると称して製薬会社から資金を集める。製薬会社は気楽にこの手の金は出すようだ。テロリストはその金で細菌兵器を作る。製薬会社が成果が上がらないと文句を言い出すころにはベンチャー企業はもぬけの殻で、世界のどこかで正体不明の疫病が発生する。いつ起きてもおかしくない悪夢だ。
_ 並外れた体力を持つ中学3年Aは総番長として地域の中学に君臨していた。ライバルと目された隣町の番長が失脚してからAの立場を脅かす者はいなくなった。しかし、そんな絶対者Aにいたずらを仕掛けてくる者がいた。トイレにAを非難する落書きがあったり、Aの机の上の消しゴムがなくなったりした。とうとう、Aのカバンの中の弁当が食べられるという事件が発生し、Aは怒り心頭に発した。何の証拠もなかったが、Aは犯人は中1のOだと決め付けた。Oは以前からAに反抗的な態度をとっていた。OはAに追われて学校の裏山に逃げ込んだが、Aは他の中学の番長に呼びかけ、兵隊を出して山狩りをするように命じた。他校の番長もそれぞれ自分の中学に反抗分子を抱えていたので、いい見せしめだと思い全面的に協力することになった。包囲網は狭まり、Oは逃げ場を失い裏山の洞窟に隠れている。
_ この物語は現在進行中の出来事を戯画化したもので、ひとつの見方ではあると思う。もちろんOはオサナ・ビンラディンでAはアメリカないしはブッシュである。中学校のいじめにたとえるのは不謹慎というむきもあろうが、善対悪の構図で捉えるよりよほど健全な見方ではあるまいか。
_ そこでつらつら考えると、物事はオサマのシナリオどおりに進んでいることに気付く。彼は一方的に敗北することによって米国の暴力を印象付け、米国の支配に反感を持つ人々の憎悪に油を注ぐ。オサマの役割は自分の代でこの戦争に勝利することではなく、多分数十年続く長期戦を後に続く者が有利に戦えるように方向付けるための捨て駒になることなのだ。彼は悲劇を演じ、その物語が語りつづけられることによって、大きな流れを作っていく。オサマの顔には悲劇がよく似合う。
_ 私は今回のテロを国家対反国家の戦いの始まりと位置付けている。その意味では炭そ菌事件も、犯人が仮にイスラムと無関係であったとしても国家解体をもくろむ者であろうから、同じ戦争の異なる局面の話である。アラブ諸国を含めて多くの国が今回米国に同調したのは、それぞれの国が自国内に反国家勢力を抱えていたからである。国家間の戦争の時代が過ぎ、国家内の民族、宗教間の戦争が多発し、次は国家の存在自体を悪とし、国家を崩壊させようとする動きが顕著になる。
_ 近代国家は統一的な価値観の下に少数者を切り捨てる。少数者は宗教や民族だけが理由となって発生するものではない。個人の価値観が国家のそれと違うために阻害され、孤独なテロリストになる者もあるだろう。炭そ菌事件の犯人は多分そんな一人だろう。こんどの戦争はこのようなローンウルフを含めたテロリストと国家との戦いなのだ。その意味で貿易センタービルも大きかったが炭そ菌は世界史的にみればより画期的かもしれない。なにしろ個人(だと思う)が国家、それも超大国、に挑戦しているのだから。沢田研二が自分のアパートで原爆を作る理科の教師の役を演じた「太陽を盗んだ男」を思い出す。
_ この戦争は50年続くと言う人がいる。では50年後の世界はどうなっているだろう。私は国家が消滅することによって戦争は終わると思う。いくつかの大都市が核によって灰になり、強力な細菌兵器が使われ、まず都市が崩壊する。人々は群れることが標的になることに気付き、分散する。サイバーテロによってインターネットも破壊され、細菌検査を受けた郵便によってのみ各集落はコミュニケートする。ケビン・コスナーの「ポストマン」の世界だ。まあ、これでもいいほうかもしれない。細菌兵器しだいでは「12モンキーズ」の世界になる。
_ 忙しくて日記が書けない。今日は普通の日記を書いてみる。
_ 朝6時20分に起きて家族の朝食を作った。ブロッコリーとベーコンの炒め物、パン、紅茶と柿。昔は卵料理も作っていたが皆あまり食欲がないので、最近はこんなもの。子供が学校に行ってから中国語会話と英語のニュースショーを見て、9時ころ家をでた。赤坂見附のファーストキッチンでブレンドを飲み、10時過ぎに出勤。メールをチェックしてから少し仕事をして今デリデリキッチンを見ている。昨日のタイムシートをつけなくてはいけない。
_ さて、6時間が経ちその間、バイオ関係の英文の意見書を完成させ、自動車整備工場の契約を作り、取締役報酬についてのファックスを送り、販売代理店契約をみて、とりあえず今日やるべきことは終わり。7時から昔のあさひ法律事務所脱退組の弁護士、裁判官と飲み会。
_ 明日は午前中西野流呼吸法、午後から「千と千尋」を5回目に見ようかと思っている。