_ クリストファー・ノーラン監督作品。
_ この映画を一回観て理解できる人は多くないだろう。オッペンハイマーの半生を描いたもので、30年以上の出来事が複雑な時系列で展開する。登場人物は多数で、それぞれの関係は丁寧には説明されない。白黒とカラーの画面があるが、その関係は説明されなければわからない。
_ 前半は、混乱したまま観たが、後半の核実験以降は迫力があり観る価値がある。アカデミー賞の作品賞を受賞したが、「哀れなる者たち」のほうが好きだ。
_ 降伏寸前の日本に原爆を落とす必要があるのかが問われていたが、果たして日本は原爆投下なしに降伏しただろうか。大日本帝国は、本土決戦に備えていた。陸軍はまだ決戦には耐えられる力があった。もし本土決戦が始まっていたら、戦争はどこでどのように終わっただろうか。横井さんや小野田さんのような兵士が山にこもって戦い続けたかもしれない。
_ PART1は観ていて、あらかじめWikipediaでストーリーを確認していたのだが、登場人物が多く完全には理解できなかった。しかし、2時間48分の上映時間、集中できたので、満足。
_ そもそも、映画館に行って映画を観る理由は何か。人によって違うだろうが、私の場合、一つの理由は現実では見ることのできない景色を見ることができるからだ。
_ その意味でDUNEは条件を満たしている。視界のすべてを占める砂漠と、突然砂煙とともに出現する全長400メートルの砂虫。だから、活劇が中世ヨーロッパのようで、資源をめぐる争いが陳腐であっても許せる。人間はどうせつまらない存在だから。
_ 臨場感という点では、この映画は最先端を行っていると思う。しかし、私が、DUNEの世界に入り込めたかというと、そうでもない。
_ 昔、少年時代に小説を読んで情景を想像していたころは、映画以上にリアルな景色を見ていたと思う。また、ラジオドラマ(例えば、赤胴鈴之助)を聞いていた時は、目の前を馬が疾走することを実感することができた。
_ 映画は、どんなに技術が発達しても、映画の世界と観客の世界を一つにすることはできない。
_ そもそもエコではないだろう。火力を無駄に使うし、C0₂を排出する。
_ 土葬や鳥葬なら他の生命のためになるが、火葬は全くの無駄、有害でしかない。利点としては、限られた場所に骨を保管することができることか。
_ しかし、骨の何が大事なのか。火葬後の骨は炭素でしかなく、DNAも生命の痕跡もない。
_ 日本で一般的に行われている納骨の儀式はなんだ。故人の骨を遺族らに披露し、この骨はどこそこの骨だとか宣い、骨壺に押し詰める。
_ これはハラスメントではないか。誰も自分の骨を他人に見せたいとは思わないだろう。
_ このような儀式を嫌悪し、自分は絶対に拒否するといったんは思ったが、その価値はあるか。死後の自分の肉体は何か。それは、自分ではない。「物」ではあるが、自分の所有物ではない。なぜなら自分は死んでいて所有権の主体が存在しないからだ。
_ 自分の遺体は自分ではないし、自分の所有物でもない。それは、そこらの土や岩と同じ物質である。他人の骨と自分の骨を区別する理由はないし、自分の骨とそこらの岩を区別する理由もない。
_ 「滝川希花の冒険」に書いたように、死んで元素に戻った自分は、宇宙のどこにある元素とも同一で、死ぬ前に自分を構成していた元素が特別である理由もない。
_ そう考えると、自分の死後に自分であった物体の処分につてあれこれ悩むのは無駄なことがわかる。