少数意見

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2005-09-05 NANA

_ 矢沢あいの同名の漫画の映画化。同じ名前で同年齢の女の子の友情物語。というと「下妻物語」を思い浮かべるが、両作品は、外観は似ていても内容はかなり違っている。

_ 「下妻物語」は、はじめて観たときと、2回目は印象が違っていたし、その後観るたびに新しい発見があり感動があった。とても深い作品なのだ。

_ 「NANA」は通俗的な映画である。ストーリーはよくある話で、人物描写も類型的だ。では「世界の中心で、愛をさけぶ」のように観客は動員するがすぐ忘れられる(必ずそうなる)ような平凡な作品かというと、そうではない。通俗には洗練された通俗とそうでないものがある。同様なストーリー、似たキャスティングでも、何百本に一本は大傑作が生まれるヤクザ映画のように、通俗はあなどれない。

_ 私は、この映画で何回も泣いてしまった。その感動は、「下妻物語」のように、異次元の世界(桃子の世界)に惹き込まれるめくるめくものではなく、慣れ親しんだ世界のありふれた出来事が心地よく自分の中の通俗性と共鳴するのだ。でも、通俗をこれだけ美しく描けるというのは並大抵のことではない。原作の力と監督の技量が合致し傑作が生まれたのだろう。それから、ナナ役の中島美嘉がいい。彼女が出ている「偶然にも最悪な少年」も観たが(これも面白かった)、演技というより地なのだろう。宮崎あおい(奈々役)のように高い演技力をもった人ではないかもしれないが、作品全体を自分の色に染めてしまえるような力がある。

_ 唯一の欠陥は、松田龍平だ。かれはナナを魅了する男なのだから、美しくなければならない。しかし、どうしたことだろう、松田龍平には「御法度」でデビューした頃の美は微塵も感じられない。病気でもあるように、身体はたるんで顔はむくんでいる。

_ 原作者の矢沢あいが映画のパンフレットの中で「個人的には、漫画を読んだことのない人に、感想を聞いてみたいですね」と言っていたが、私は漫画を読んだことがないが、映画をとても楽しく観て感動した。多分、漫画と同じ場面、セリフなんだろうと思うところが、琴線に触れた。


2005-09-14 小泉純一郎と三島由紀夫

_ この二人は関係ないように見えるが、そうでもないような気がする。

_ 三島事件が起きたのは、小泉が27才ぐらいの時で、少なからず彼のその後の人生に影響を与えたのではないかと思う。三島事件は我々の前の世代にとっての終戦に等しい衝撃を我々の世代に与えた。小泉は侠客のDNAを持っていると言われているので、普通の若者より衝撃は強かったろう。

_ 三島思想を一言でいえば、大義のために死ぬことで、もっと短くいえば、「献身」になる。この言葉は三島と石原慎太郎の対談の中で、両者が期せずして一番好きな言葉として挙げていた。

_ 行動家としての三島の思想は決して複雑なものではなく、文学者としての三島とは完全に切り離してみるべきである。三島は、護るべきものは何かと問われて、3種の神器と答え、それは具体的には、賢所、神殿、皇霊殿からなる宮中三殿であると言った。天皇でも天皇制でもないのだ。これは三島一流のレトリックで、「護るべきものは何であれ、あればいい」と言っているがごとくである。護るものより護る行為に価値があるというのが、三島の行動の美学である。

_ そこで、小泉にとっての郵政民営化について考えてみよう。これは、小泉にとって30年来の主張であり、それに命をかけているという言葉に偽りはないだろう。では、国民にとって郵政民営化が何かというと、世論調査でもそれは最後まで国民の関心事の上位にはこなかった。それにもかかわらず、国民は郵政民営化のみを訴えた小泉を熱烈に支持した。なぜか。それは、小泉の「献身」に共感したからに他ならない。郵政民営化がどれほどの価値があるか分からないが、それを30年に渡って訴えてきて、殺されてもそれをやり遂げるという男を国民は「本物」だと評価したのだ。懸ける対象ではなく、懸ける行為が賞賛に値するのだ。国民はその姿に「感動した」のである。

_ 三島が35年前に身をもって示した、大義の為に命を懸けるという行為を小泉は重大局面で試み、それが多くの人々の琴線に触れたのだ。多分これは、間欠泉のように何十年に一度吹き上げる熱い水柱のような日本精神の発現なのだ。


2005-09-19 NANAー2回目

_ 映画を2回観て、漫画を4巻まで読んだ。

_ 想像以上に漫画に忠実な映画で、いいと思ったセリフや言葉は皆漫画の中にあった。

_ 大崎ナナの中島美嘉ははまり役で、他をもって替え難い。小松奈々(ハチ)の宮崎あおいは、ミスキャストという人もいるが、私は良いと思った。むしろ、宮崎の演技力があったから、あれだけ原作に近い人物像が描けたのではないか。宮崎もプロモーションDVDの中で言っていたが、ハチのような普通の女の子は演じにくいのかもしれない。ナナの視点が動かないのに対してハチの視点は揺れ動く。ささいなことで気分は天国と地獄の間を行ったり来たりし、自分が何を求めているのかも定かでない。そんな普通の女の子を宮崎あおいは等身大で演じている。ハチの普通さがあるから、ナナの個性が引き立つのだ。

_ この作品は、パンクロックや様々な都会的風景を映しているが、その本質は演歌的だ。男を追って、北国の女が東京に出ていく。女を動かす情念は意地と未練。徹底した個人主義者桃子、を描いた(こんな人物は日本映画にこれまでなかった)「下妻物語」とは180度違う映画なのかもしれない。


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