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2005-09-14 小泉純一郎と三島由紀夫

_ この二人は関係ないように見えるが、そうでもないような気がする。

_ 三島事件が起きたのは、小泉が27才ぐらいの時で、少なからず彼のその後の人生に影響を与えたのではないかと思う。三島事件は我々の前の世代にとっての終戦に等しい衝撃を我々の世代に与えた。小泉は侠客のDNAを持っていると言われているので、普通の若者より衝撃は強かったろう。

_ 三島思想を一言でいえば、大義のために死ぬことで、もっと短くいえば、「献身」になる。この言葉は三島と石原慎太郎の対談の中で、両者が期せずして一番好きな言葉として挙げていた。

_ 行動家としての三島の思想は決して複雑なものではなく、文学者としての三島とは完全に切り離してみるべきである。三島は、護るべきものは何かと問われて、3種の神器と答え、それは具体的には、賢所、神殿、皇霊殿からなる宮中三殿であると言った。天皇でも天皇制でもないのだ。これは三島一流のレトリックで、「護るべきものは何であれ、あればいい」と言っているがごとくである。護るものより護る行為に価値があるというのが、三島の行動の美学である。

_ そこで、小泉にとっての郵政民営化について考えてみよう。これは、小泉にとって30年来の主張であり、それに命をかけているという言葉に偽りはないだろう。では、国民にとって郵政民営化が何かというと、世論調査でもそれは最後まで国民の関心事の上位にはこなかった。それにもかかわらず、国民は郵政民営化のみを訴えた小泉を熱烈に支持した。なぜか。それは、小泉の「献身」に共感したからに他ならない。郵政民営化がどれほどの価値があるか分からないが、それを30年に渡って訴えてきて、殺されてもそれをやり遂げるという男を国民は「本物」だと評価したのだ。懸ける対象ではなく、懸ける行為が賞賛に値するのだ。国民はその姿に「感動した」のである。

_ 三島が35年前に身をもって示した、大義の為に命を懸けるという行為を小泉は重大局面で試み、それが多くの人々の琴線に触れたのだ。多分これは、間欠泉のように何十年に一度吹き上げる熱い水柱のような日本精神の発現なのだ。


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