_ この事件が1月の新聞社襲撃事件と違うのは無差別殺戮だというところだ。敵国の中心部で自動小銃を乱射するところはロッド空港(テルアビブ空港)乱射事件(2002年4月16日の日記参照)と似ている。この事件はイスラム史上最初の自爆テロでもある。その意味では40年たって原点に戻ってきた感がある。
_ 1972年に日本赤軍(まだ結成前だったが)の三人が何を考えていたかは現在においても探求する意味がある。
_ 今回の事件を海外のメディアは「カミカゼ」と呼んでいるようだが、そのルーツを見れば的外れとは言えない。日本が原点である以上、カミカゼテロが日本で起きないという保証はない。
_ 日本で起きる場合、犯人はイスラム教徒ではなく、秋葉原事件の加藤智大のようなはぐれ者ではないか。理由なき殺人と自爆テロは簡単に結びつく。そして犯行場所としては世界的に有名な渋谷のスクランブル交差点が選ばれるだろう。
_ 三島が死んでから45年が経った。
_ 三島とは正味1時間ほどしか話していないが、今でも昨日のことのように思い出す。
_ 黒澤明、大島渚、坂本龍一などと比べても三島の印象は強烈だ。
_ 三島は早稲田の学生でしかない私と町永にとても誠実に接してくれた。町永はともかく(彼は早稲田ではぴか一の知性だった)私はろくに本も読んでない成績も行動も中途半端な人間だった。
_ 三島は取材で私の祖父の世話になったので仕方なく我々に会ったのだろう。それにしては三島はとても上機嫌に話し、その内容も手を抜いたものではなかった。むしろなんでこんな難しい話をするのだろうと考えるぐらいだった。最初に三島が振ってきたゴシックロマンにしろ私はそんな言葉は初めて聞いた。八橋の訳を翻訳者が間違えた話も、私は八橋が何であるか知らなかった。
_ もう少し私に教養があったらまともな話ができたのではないかと残念に思う。
_ 町永が三派系のシンパだと祖父を通じて伝えてあったので三島は少しは緊張していたのかもしれない。でも少し話をすれば正体は分かったはずだ。町永はおとなしかった。彼は三島ファンだったから無理もない。
_ 町永とはずっと会っていないが、彼にとっての三島体験はその後の人生にどのように影響したのだろう。聞いてみたい。