_ 引退した有名作曲家・指揮者と最後の作品を撮ろうと思っている有名映画監督がスイスの高級リゾートで過ごす。二人は子供のころからの親友だった。
_ 音楽家(マイケル・ケイン)は映画監督(ハーヴェイ・カイテル)に尋ねる。彼女と寝たのか?彼女は二人が好きだった女。映画監督は答える。寝たかもしれないし寝なかったかもしれない。記憶がないのだ。音楽家は自分も過去の記憶があいまいになっていると言う。
_ 少年が展望台の望遠鏡をのぞいている。音楽家がどのように見えるかと聞く。少年はすぐ近くにあるように見えると答える。音楽家は望遠鏡を反対側からのぞくように言う。何が見えるか。少年は遠くに小さく見えると答える。音楽家は言う。若いころは未来は普通に望遠鏡で見るように近くにはっきりと見える。でも年をとると過去が望遠鏡を反対側からのぞいたように小さく遠くに見えるのだ。
_ 年寄りは昔のことはよく覚えていると人は言う。しかし私に限っては過去はあいまいで不鮮明な世界だ。小学校や中学の友達が昔の細かい出来事を話すが私の記憶には残っていないことが多い。
_ 今「戦場のメリークリスマス」の話を書いているが、10センチ以上の厚さのファイルの内容はほとんどが記憶から抜け落ちている。
_ 話は変わるが、記憶がそのようにあいまいなものなら、AIに十分に情報を与えれば本物に近いかまたは本物以上のコピー人格が出来るのではないか。
_ 三島由紀夫は「あなたの背中に三つのほくろがあればそれは文体に顕れる」と言った。肉体と文体の間にそのような相関関係があるのであれば、反対に文体から肉体を再構成することが出来るのではないか。
_ まず三島の全作品をAIにインプットする、さらに三島が読んだ作品もインプットする。さらには三島の作品に影響したと思われる社会事象に関する情報も加える。三島の作品が完成した料理だとするとこれらの情報が食材になる。そして食材を料理に変換するのが頭脳を含めた肉体になる。AIは食材と作品を分析することによって作品を生み出す肉体を再構築することが出来るはずだ。そのような肉体(AI)は新たな作品を作り出し、思想を生み出し、人類を支配することだって可能かもしれない。
_ 熊に襲われることは予告編で知っていたので熊に復讐する話かと思ったが、人間を追う話だった。
_ 復讐がテーマなのだろうが、その動機がいまいち納得できなかった。ディカプリオは熱演で傷だらけになり、馬の死骸の中で寝たり大変だったとは思うがあれが最高の演技かは疑問だ。15ラウンド休まず攻撃してるボクサーのようで見ているだけで疲れる。
_ そんなわけで映画はあまり面白くなかった。
_ ひとつ興味を引いたのは大怪我をしたディカプリオをみんなで手作りの担架に載せ雪の積もった山を越えるところだった。途中で山越えは無理だということになりやがて事件が起きるのだが、それはともかく無頼のやからと思える集団が一時は協力してディカプリオを助けようとしたことだ。それもインディアンに追われていて見つかれば全滅の危険がある状況で。
_ 最近旧日本軍の番組をテレビでよく見ていたので、日本軍だったら絶対置き去りにしただろうと思った。まあ戦争とは状況が違うだろうが、日本人とアメリカ人を比べれば後者のほうが人間的な気がする。
_ 話は飛ぶが原爆投下もアメリカ人が同胞の犠牲を少なくすることを考えての決断なら理屈は通る。もちろんインディアンや黄色人種を殺すのはなんとも思わないというところに問題はあるが。
_ それと比べて先の大戦のときの日本は同胞の命をなんとも考えていなかったのではないか。大事だったのは天皇陛下と国体であり国民でなかった。