_ 新宿スカラ1の日曜日14:40の回。620席の劇場の前3列ぐらいを除いてほぼ満席。5週目にしては異例の盛況。
_ 多くが女子中高校生。と無理やり連れてこられたという風情の彼氏。一見40才以上の男はいない。勿論58才で一人で来ているのは私だけだったろう。
_ 東宝はこの映画のターゲットを若い女性に絞ったとのこと。それは見事に当たったのだが、そのターゲットに入っていない人が観に行って悪いことはない。例えば青春ものと銘打たれた映画を老人が観て感動したらおかしいだろうか。むしろ、青春の真っ只中にいる人よりもよく理解できるのではないか。
_ 私は「ドラえもん」や「クレヨンしんちゃん」にも感動するが、それが変だとは思わない。青春ものについては、更に思い入れが深く、それは私に青春らしき思い出がないからかもしれない。「下妻物語」や「NANA」は、存在しなかった私の青春を擬似体験させてくれる。それにしても、何故女の子の話なのだろうか。多分私自身が、男の子の青春につきものの汗や泥のにおいが嫌いだからだろう。
_ 「下妻物語」は、何人かに推奨し、あとで感謝された。「NANA」に付いてはまだあまり人と話していないが、私の評論を読んで、意外といいかも、と思ったあなた。観たら感想をください。
_ 「武蔵事件」は10月18日に上告棄却の決定があり終わった。以下、敗因を検討する。
_ 1.先ず、日本の著作権法が不利だった。著作権法は著作権の制限を限定列挙している。私的使用とか引用は許される。つまり、その限度で著作権は制限される。アメリカでは、これらはフェア・ユース(公正利用)になるか否かで判断される。日本のように許される場合が明記されている訳ではなく、具体的事情に照らして許されるか否かが決められていく。だから、日本の場合、一旦「類似」(翻案の場合)とされると、それが著作権侵害でないというためには著作権の制限規定のどれかに該当するといわなければならない。そこで困るのは、例えばパロディの場合だ。パロディが許されるとは著作権法のどこにも書いていない。だから、パロディを認めるためには、最初の段階で「類似でない」としなければならない。アメリカだったら、類似だけどパロディだから許される。また、同じくらい似ているけれどフリーライドだから許されない、と柔軟な判断が出来る。「武蔵」の場合、あの程度似ているものがパロディとして将来出てくることは考えられる。今回「武蔵」を違法としてしまうと、将来のパロディの出現を阻止することになってしまう。と、裁判所は考えたのだろう。現行法でも、解釈でパロディとフリーライドは区別できると主張したが、裁判所はメンドウなことになると考えてか、従来のやり方を維持した。
_ 2.次に不利だったのは、「七人の侍」が完全なオリジナル作品ではなかったことだ。「七人の侍」は、いくつかのシナリオ案が没になった後、橋本忍が思いついたアイディアに基づいて書かれた。没になったシナリオの中には、過去の剣豪の武勇伝を集めたオムニバスがあり、そこで集められたエピソードの多くが「七人の侍」の中で使われた。NHKはその調査力を駆使して、膨大な資料を提出した。「七人の侍」の原典探しとしては前代未聞の力作である。著作権は特許と違って新規性は保護の要件ではないが、先例があることは不利に違いない。NHKは「七人の侍」を真似たのではなく、「本朝武芸小伝」などを参考にしたと主張した。それは、11箇所も「七人の侍」と類似点があることから常識的にはありえないことだが、絶対に不可能とはいいきれない。裁判所は、NHKがウソをついているとまでは認定しなかった。
_ 3.最後に残念だったのは、裁判所に判例を作ろうという意欲がなかったことだ。特に、控訴審では、「七人の侍」が著名な作品であることから来る本件の特異性について詳細に主張したが、全く無視された。上告審では、コロッケの物まねの例をだして、有名人のマネと無名人のマネでは類似の判断の容易さが違うと主張したが、ダメだった。最高裁の裁判官はコロッケを知らないのかもしれない。