_ シュワちゃんとは同じ1947年の生まれで私のほうが2ヶ月弱年上だ。だから彼の略歴を見ると同じ年齢の私が同じ年に何をしていたか思い出す。
_ それはさておき、シュワちゃんほど成功したスターがなぜ政治家を志すのか考えてみよう。
_ 政治家とスターは似ていなくもない。シュワちゃんの演説している姿は映画の一場面のようでもある。もっとも彼は政治家の役を演じたことはなかったと思うが。
_ アドルフ・ヒットラーやフィデル・カストロは何時間も休まずに演説をしたという。その記録フィルムを見ると自分の演技に酔っているかのようなパーフォーマンスが印象的だ。
_ ヒットラーの演説というと、チャップリンの「独裁者」を思い出すが、白黒の画面で見るとどちらが記録映画か判然としなくなってくる。二人とも自分の言葉とパーフォーマンスによって人の心を動かそうとし、その意味ではチャップリンも政治家だった。
_ そもそもスター(とまではいかない役者も)は観客を必要とし、自らの演技で観客の心を捉えようとする。それは政治家が権力で人を動かすのに似ているが、スターの力には限界がある。権力が、人が自ら欲しないことを強制する力だとすると、スターの力は権力ではない。
_ 多くのスターはそれで満足し、虚像として人の夢を支配することをもって足るとする。しかし、何人かのスターはそれでは満足せず、素の自分として人を動かしたいと思う。
_ スターは現代の偶像であり、大衆に影響を与える。でもスターは作られた偶像でありそれをスター自ら知っている。だから頭のあるスターは演出家という役者を動かす仕事に就きたいと思う。それほど頭の良くないスターは政治家というそれほど頭脳を必要としない仕事に魅力を感じる。
_ 政治家志望のスターの考えていることは概ねこんなものだと思うが、なかにはもっと大きな野望を抱くスターがいる。それは、自らを演出家兼主役とし、世界を舞台に芝居をしようと思う者である。
_ 普通の芝居では、役者は決められた舞台の上で決められた役を演じる。政治家になったスターはこれとは異なり、自らの役を決め、場合によっては舞台を自分で作ることも出来る。戦争という舞台で自分が一番輝くのであれば、その舞台を作り出すことも不可能ではない。
_ シュワちゃんは米国生まれではないので、大統領にはなれない。だから「ターミネーター」の世界が出現することは多分ないと思うが。
_ 今、「仁義なき戦い」シリーズを見なおしているが、藤井総裁と石原大臣の戦いと重ねてみたくなる。
_ 藤井は勿論悪役だが、もみ手・泣き落としも恫喝も臨機応変に使いこなす一筋縄では行かない人物で映画では金子信夫が演じる山守親分を思わせる。石原ははじめて大きな仕事を与えられた若い者で、手柄をたてようと血気にはやっている。映画でいえば渡瀬恒彦の役どころか。小泉首相は写真でしか登場しない神戸の大きな組の親分(丹波哲郎)いうところか。
_ 渡瀬恒彦はよく鉄砲玉の役を演じる。「鉄砲玉の美学」という主演作もある。鉄砲玉がなんであるかというと、Aという組がBという組の縄張りを取ろうとするとき、元気のいい若い者に金と武器を与えBの縄張りで派手に遊べという。鉄砲玉はBを挑発するように行動しやがてBの組員とけんかになって殺される。それを待っていたAはBの縄張り内で鉄砲玉の葬儀を盛大に執り行う。沢山の組員が参列し、全国の友好関係にある組織からも親分衆が集まる。それを機に侵略が始まる。
_ さて石原伸晃は鉄砲玉にされてしまうのだろうか。小泉は石原が藤井とりに失敗して傷を負い更迭されることになってもかまわないのかもしれない。小泉は藤井が粘れば粘るほど抵抗勢力の存在を印象付けられる。自分に被害が及びそうになれば、石原を切って妥協するかもしれない。
_ 政治家はヤクザより頭がいいだろうから、映画より複雑な展開になるのだろうか。
_ 何れもカタストロフィを描いた作品だが印象は大いに違う。
_ 「28日後・・・」はダニー・ボイル監督のイギリス映画で、ウィルスによって人類(少なくとも英国)が絶滅に瀕する話だ。ウィルスは人格を破壊し、人間の攻撃性を極限にまで高め、血を介して伝染する。感染した人は10秒で発狂し攻撃してくるので、その前に殺さなければならない。
_ とにかく不快な映画で、良く出来ていたのでかえって観たあとの気分は最悪だった。楽観的と悲観的の二つのエンディングが上映されていたが、エンディングなどはどうでもいいから早く終わってくれと思った。
_ 生き延びるためには親友でも肉親でも殺すというのもいやだったが、ウィルスによって信頼していた人間が突然怪物になり攻撃してくるのは怖かった。子供の頃、仲良く遊んでいたはずのグループの中で気がつくと自分が一人攻撃の対象になっていることを発見したときの恐怖を思い出した。
_ ウィルスに感染した者を殺し、感染していない者同士殺し合い、最後に何人か生き残るが、残った連中が正義というわけではなく、カタルシスがない。
_ 「ドラゴンヘッド」は有名な漫画の映画化で、富士山の大噴火、大地震等で日本が形を変えてしまうほど破壊されてしまう。「28日後・・・」に匹敵する災害だが人々の反応は違っている。
_ 町ぐるみの集団自殺を企てる人々、恐怖を感じないように前頭葉を切除された子供、そして東京の地下の巨大な避難所には恐怖を感じなくする薬によって人格を失った多くの人々が無表情に何事もなかったかのように生活している。
_ 思うに、恐怖と攻撃は相互に原因となり結果となり、恐怖が攻撃という反応を引き出し、攻撃が恐怖をもたらす。それが無限に続いていく。「28日後・・・」の中に28日前に狂気が発生したのではなく、その28日前も、またその28日前も人間はずっと殺し合っていた、という趣旨のセリフがあったが、人間の本質を言い当てたものだろう。
_ 「ドラゴンヘッド」にも恐怖に攻撃で対抗しようとする人々は登場する。しかし、多くは恐怖を見ないようにする。「28日後・・・」と「ドラゴンヘッド」では災害の性格が違うから一概には言えないが、「ドラゴンヘッド」の描く日本人は世界の中では特異ではないか。日本人には自然災害に対するあきらめに似た畏敬の気持があるといわれるが、戦争のような人的な破壊に対しても同様な感情があるのではないか。たとえば、アメリカで一時大流行した核シェルターは日本では話題にもならなかった。
_ 「ドラゴンヘッド」は好きな作品だ。原作と比べて物足りないとする批評はあるが、よくあれだけの映像を作れたと思う。とにかく大災害の中でも人間のやさしさが残っているのがいい。日本的な甘さかもしれないが。