少数意見

最新 追記

2002-08-01 ピンポン

_ 昨日渋谷のシネマライズで観た。窪塚洋介主演のスポコンもの。

_ 観客は若者ばかりで、階段に座るほどの盛況。多分私が最年長だが、気持が若いから気にならない。開演まで列で待っていたとき後ろにいたのが高校生らしき男の子2人連れで、窪塚のファンのようであった。「GO」のときの窪塚のヘアスタイルがよかったというような話をしていたが、こういう映画ファンがいると心強い。

_ 映画はよかったが、どうも「少林サッカー」と比べてしまう。そうするとまだ真面目過ぎるな、と思ってしまう。もっと笑わせたいんだろうな、というところが多かった。お馬鹿な映画というのは意外と難しい。


2002-08-05 東京マリーゴールド

_ 田中麗奈扮するエリカが合コンで知り合った男と恋に落ちる。しかし、その男には1年の予定でアメリカに留学中の恋人マユミがいる。男はエリカと肉体関係になる前にこのことを説明し、マユミが帰ってきたら別れなければならないという。それでも、男を好きになってしまったエリカはその条件を呑む。

_ これを契約と考えれば、男は隠すところなく自分の置かれた情況をエリカに説明しており、エリカの側に何の誤解もない。でも、この男に好感をもたない人は多いだろう。どうしてか。男は先ず自分の保身を考えている。エリカが自分に惚れていることを奇貨として、自分に都合のよい条件を押し付けているようにみえる。生身の女であるエリカを苛酷な契約で縛り、それを望んだのはエリカなのだといえる立場を確保してから行動している。

_ 実は昔この男と同じようなこと(期間限定恋愛)をやったことがあるので、身につまされる思いがした。今でも、このような場合どう対応すればいいのか分からない。勿論、男はマユミに忠実であるべきだというのが模範回答だろうが、田中麗奈のようないい女が現れてもその気持ちは変わらないか。


2002-08-17 予約のとれない料理店

_ 「アメリカン・サイコ」という映画の中でウォール街のエリート証券マンの主人公が人気の高級レストランに予約を入れようとして失敗する。エリート同士の張り合いの対象となるレストラン。今、東京でそんな店があるとすれば「分とく山」だろうか。

_ 一度だけ行ったことがあるが、それは社長秘書をしている友達がその社長のために取った予約を予定が変わったため流用させてくれたからだった。そのときはカウンターの中に料理長の野崎さんがいた。

_ 2ヶ月ほど後、また行きたいと思って分とく山に電話したら、留守番電話になっていて野崎さんの声ががこちらにいますと電話番号を言った。その電話にかけたら野崎さんが出て簡単に予約がとれた。噂ほど大変じゃあないな、と思った。

_ 予約の日、はじめて行くという女性と看板のない西麻布の小さなビルの階段を上がって名前を言うと、その名前での予約はないと言われた。いや、たしかに野崎さんと話して予約を入れたのだと粘ったら中から野崎さんが出てきて本店のとく山で予約が入っていますと言った。野崎さんが私の電話を取ったのがそのとく山で、私は最初に分とく山に電話したので分のほうに予約したのだと思っていたのだ。

_ 野崎さんはわざわざ自ら案内してくれた。道すがら、とく山と分とく山の関係について説明してくれた。とく山は元々ふぐ料理の店で夏場は分と同じ料理を出していると言う。

_ そんなハプニングがあったが、とく山での食事は感動的だった。料理人はみな若く、一生懸命に修行しているという気持が伝わってきた。最後に小さな釜で炊く炊き込みご飯が出るが、その日は生の桜海老だった。これまでに食べたことのない新鮮な桜海老だった。

_ その後、とく山が好きになって、また行ったがあの感動は戻ってこなかった。食事はひとつのドラマのようなもので、いろんな設定や配役が味に微妙に作用する。つまり一回性のものなのだ。

_ 死ぬときに、あんな食事ができてよかったと思う、そんな食事だった。


2002-08-19 トータル・フィアーズ

_ 米国ボルティモアで起きた原爆テロを機に米ロ間の全面核戦争が迫る。CIAの情報分析官ジャック・ライアンはこれがネオナチの犯行であることを察知し、戦争を阻止するために廃墟となったボルティモアを駆け回る。

_ 核を使ったテロの映画では、たいてい核爆発は事前に阻止される。シュワちゃんの映画でフロリダ沖の島で爆発するというのがあったが、大都会が破壊されるのは初めてではないか。爆風で車両が吹き飛ぶシーンなど迫力があった。出来れば、「アキラ」のように高層ビル街が崩壊する映像が見たかった。

_ 8月15日の朝日新聞の夕刊に品田雄吉氏の映画評が載っていた。氏はロシアとの開戦を米国高官が議論するシーンがリアルだと言うが、それに続けて次のように述べている。

_ 「ただ原爆描写は普通の爆弾テロとさほど変わらず、これがアメリカの原爆に対する一般的認識だとすれば、まことに腹立たしい」

_ ビル街が破壊されるところは予算の都合で撮れなかったのだろうが、他の描写からボルティモアの大半が消滅したことはわかり、その破壊力が普通の爆弾と違うことは明らかだ。では品田氏は何が違っているべきだと考えているのか。たぶん放射能による被害のことだろう。しかし放射能汚染は爆発直後に判明するものではなく、ライアンが核戦争阻止のために動く間は爆発による直接の被害しか映画は描けない。放射能の被害については、テロに関与した人間が被曝によって死に行く様を描写しており無関心なわけではない。それでも品田氏は「まことに腹立たしい」と言う。これは、アメリカ人は原爆については分からない、被爆国である日本人にしか分からない、という思い上がりではないか。

_ さらに品田氏は次のように言う。

_ 「それにしてもアメリカは、どうしてこれほど戦いたがるのだろう」

_ この映画はアメリカが一方的に核テロを受けたという話であり、別にアメリカが「戦いたがる」物語ではない。品田氏はこのような場合に攻撃された国はどうすればいいというのか。核の使用はいけませんと国際際世論に訴えるのか。

_ 映画は大統領と高官が核ミサイルのボタンを押すまでのシミュレーションを行っている場面から始まる。日本でも小泉首相は同じようなことをしているのだろうか。たとえば、北朝鮮との関係が緊迫する中で福岡市が原爆で消滅したら日本はどのように対応するのだろう。自然災害と違って守るだけでなく攻める必要があるから判断がより困難である。アメリカが好戦的だと言う前にわが国の備えにつき考えるべきではないか。


2002-08-21 宮沢りえ

_ 昨日南麻布のアッピアで食事をしたが、隣のテーブルに宮沢りえがいた。今製作中の作品の監督、スタッフと一緒のようで、楽しそうに話していた。表情はとても明るかったが、体重は戻っていないようで痛々しかった。あの時の傷は大きかったのだろう。


2002-08-23 料理屋で会った有名人

_   

先日の宮沢りえの他こんな人たちを見かけた。               

エノテカ・ピンキオーリ(イタリアン)で小泉純一郎、トゥール・ダルジャン

(フレンチ)で中村紘子と庄司薫、プント・プンティ(イタリアン)で浅野温子、エル・トゥーラ(イタリアン)で鹿賀丈史、纏(鮨)で金子信夫、酉友(焼き鳥)で舞の海。こう並べると皆さんイメージに合ったところでお会いしてますね(笑)。 


2002-08-26 すれ違った有名人

_ 私の履歴書、エッセイなどで既出の人と映画会社のパーティーでみた人は除く。

_ 先ずスポーツ関係から。

_ ジャイアント馬場。キャピトル東急ホテルのロビーでみた。デカカッタ。

_ もっとデカカッタのは、岡山恭崇。バスケットの選手で230センチ。虎ノ門の交差点の反対側にいたが、2、3メートル離れて人垣が出来ていて、みんな口をあけて見上げていた。

_ ジョージ・フォアマン。最強だったころのフォアマンで、アリを倒したジョー・フレイジャーを2回でKOし世界ヘビー級の王座についた後だった。彼は日本武道館で行われるタイトルマッチのために水道橋のボクシングジムで調整していた。私はちょうどその時同じビルにある空手道場に通っていた。前蹴りの稽古の最中ドアから大きな黒い顔がのぞいた。新聞で見たフォアマンだった。彼はしばらく興味深そうに稽古をながめていた。次の年、フォアマンは有名なキンシャサの戦いでアリに敗れた。


2002-08-27 続・すれ違った有名人

_ 吉永小百合。早稲田の第二文学部にいたころ文学部の方から坂を降りてくる彼女とすれ違った。友人の中には、図書館で目の前に座られたので本が読めなかったと言っていた者もいた。あのころの小百合は広末の何倍も人気があったと思うが、誰も追いかけず学生である彼女を尊重していたと思う。まだ日本に慎みやけじめが残っていた時代だった。

_ 岩下志麻。「乱」の仕事をしていたころ、製作会社であるヘラルド・エースが並行して「瀬戸内少年野球団」を作っていた。その完成試写会に呼ばれたが、劇場の席がちょうど岩下さんの真後ろになった。彼女は座席に深く腰掛け長い髪を椅子の後ろにたらした。彼女の髪が私の手にかかり、ちょっとアブナイ気持ちになった。

_ 石原慎太郎。国会議員だったころ、私の事務所が入っているビルの前の道ですれ違った。一瞬彼は私の顔をみつめて、どこかで会ったかな、というような目をしたが通り過ぎた。石原さんとは会ったことはないが、1975年の都知事選のとき街宣車の上にいるのを見たことがある。石原が美濃部に負けた選挙だったが、投票日の前日各党の候補者が新宿駅西口に集まった。石原の車には三木武夫総理、中曽根幹事長と応援にきた石原裕次郎が乗っていた。三木は石原が嫌いだったが立場上応援せざるを得ない。三木は応援演説のなかで何回も「石原裕次郎君」と言った。ボケを装った三木一流の抵抗だったのだろう。三木の後ろで慎太郎と裕次郎が顔を見合わせて苦笑していたのが印象的だった。


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