_ 「アメリカン・サイコ」という映画の中でウォール街のエリート証券マンの主人公が人気の高級レストランに予約を入れようとして失敗する。エリート同士の張り合いの対象となるレストラン。今、東京でそんな店があるとすれば「分とく山」だろうか。
_ 一度だけ行ったことがあるが、それは社長秘書をしている友達がその社長のために取った予約を予定が変わったため流用させてくれたからだった。そのときはカウンターの中に料理長の野崎さんがいた。
_ 2ヶ月ほど後、また行きたいと思って分とく山に電話したら、留守番電話になっていて野崎さんの声ががこちらにいますと電話番号を言った。その電話にかけたら野崎さんが出て簡単に予約がとれた。噂ほど大変じゃあないな、と思った。
_ 予約の日、はじめて行くという女性と看板のない西麻布の小さなビルの階段を上がって名前を言うと、その名前での予約はないと言われた。いや、たしかに野崎さんと話して予約を入れたのだと粘ったら中から野崎さんが出てきて本店のとく山で予約が入っていますと言った。野崎さんが私の電話を取ったのがそのとく山で、私は最初に分とく山に電話したので分のほうに予約したのだと思っていたのだ。
_ 野崎さんはわざわざ自ら案内してくれた。道すがら、とく山と分とく山の関係について説明してくれた。とく山は元々ふぐ料理の店で夏場は分と同じ料理を出していると言う。
_ そんなハプニングがあったが、とく山での食事は感動的だった。料理人はみな若く、一生懸命に修行しているという気持が伝わってきた。最後に小さな釜で炊く炊き込みご飯が出るが、その日は生の桜海老だった。これまでに食べたことのない新鮮な桜海老だった。
_ その後、とく山が好きになって、また行ったがあの感動は戻ってこなかった。食事はひとつのドラマのようなもので、いろんな設定や配役が味に微妙に作用する。つまり一回性のものなのだ。
_ 死ぬときに、あんな食事ができてよかったと思う、そんな食事だった。