_ 金原ひとみの最新作。彼女の小説は、だいたい新刊が出ると買っている。
_ この作品は、今までのものとは違っている。別な人が書いたようだ。つまらなかったわけではないが、期待したものとは違う。
_ 14歳の中学生のレナレナを主人公にして、その親や友達との日常を描く。いわゆるラノベなのか。従来の作品と違うのは毒がないのだ。
_ このような路線のほうが売れると思ったのかもしれないが、これまでの読者を失うことになりかねない。
_ 2005年のAMEBICの中のエピソード。主人公は六本木を歩いていて、たまたま入った本屋で10冊以上も本を買い、配送を頼むが断わられる。彼女は嫌がらせに、レジ際に置いてあったプラスチックのブックマークを10個買い、10枚の領収書を切ってくれと言う。露骨に嫌な顔をした店員に、爪をカチカチとカウンターに叩きつけ、苛立ちを表現する。
_ このような描写は金原ひとみにしかできない。
_ 美学者谷川渥の評論。著者は私と同学年だ。
_ 三島論の中ではよくできたほうだ。しかし、著者も言っているように、三島論はcommon placeになりがちで、誰もが同じようなことを書くが、ほとんど的を外している。
_ 私も、三島といささかか関わった人間として三島由紀夫が何者であったのか、とここ半世紀余り考えてきた。でも、そろそろ私の寿命も残り少ないので何等かの結論を出す必要がある。
_ 三島は、「人生はつまり真逆様の頽落である」といい、老年は永遠に醜い、青年は永遠に美しく、美しい青年は醜くなる前に死ぬべきだという。三島は、美しく英雄的に死ねる限界の年齢は西郷隆盛が自決した49歳だとし、その年齢の前に死んだ。
_ 人間一般に不思議なのは、みな自分の死について真面目に考えないということだ。もし、自分が死刑囚であれば、毎日死について考えざるを得ないだろう。人間だれも、死をまぬがれることはないので、その意味でみんな死刑囚なのだ。そして、長生きすればするほど人間は醜くなり、その死にざまも無様だ。
_ 三島は、自分の未来を正確に予想する能力を有していて、醜悪な最期を回避するためには、自死しかないと考えた。三島の運動能力を馬鹿にした石原慎太郎も、脳梗塞を患い身体が不自由になり、さらにすい臓がんで余命を宣告されたときは、三島の死に方をうらやましく思ったのではないか。
_ 合理的に考えれば、老残をさらすよりも夭折がいいことはわかる。しかし、普通の人間は合理的に考える能力がないので、自分だけは特別の道を行けるのではないかと勝手に考える。そんなことはない。
_ まあ、三島もボディビルで肉体を作る前は空襲で死ぬことはあっても自決は考えなかっただろう。肉体は作り上げると、それは自分の作品になり、美術品とは異なり衰退していく。それを防ぐには自死しかない。理由はそれだけでもよかったのかもしれないが、あまりにエゴイスティックだ。英雄としての死にはストーリーが必要だ。
_ 自衛隊を国軍にするという主張は、三島の本音だったかは、疑う人も多い。しかし、三島と一緒に死んだ森田必勝は本気だったはずだ。彼こそ本当の憂国の士だった。
_ 三島の不幸は、彼は森田のように無智になれないことだった。智者たる三島は自分たちの行為が無効であることはわかっていた。政治的に無効というだけでなく、「天人五衰」の最後に明らかにしたようにすべての行為は無効なのだ。それでも、短刀を腹に刺したとき三島は何を考えたか、何を感じたのか。それは永遠に謎だ。