_ 2001年の作品。Bunkamuraル・シネマで上映。
_ スカーレット・ヨハンソンが出演している。高校を卒業した二人の女性、イーニドとレベッカ、が社会と葛藤しながら生きる。青春の混迷を描く。まあ、青春なんていいものではない。
_ 自分を助けようとした人たちを裏切り続けたイーニドはどこか誰も知らないところに行こうとする。
_ 町には、バスが止まらないバス停があり、そこのベンチにはSERVICE終了の表示がある。そのベンチにいつも座ってバスを待っている老人がいる。背広を着てまともな身なりだ。二人は、あきれながらバスは来ないよという。老紳士は怒る。
_ しかし、ある夜バスは来た。大型のgreyhoundのようなバスだ。誰も乗っていない。バス停で止まってドアが開き、老紳士が乗車する。
_ 後日、そのバス停のベンチにいたのは、イーニドだった。そしてバスが来て彼女を乗せて走り去る。映画のENDマークが出る。
_ どう解釈するかは自由だが、青年と老人では答えが違うだろう。青年は脱出で老人は死か。
_ 面白かった。
_ 前作がぶっ飛んでいたので、続編は難しいと思っていたが、かなりの力作。終盤の粉もんミサイルとそれを迎撃するタワーミサイルはバカバカしさの極致で日本人のユーモア精神を見直した。
_ 残念なのは、自分が関西に疎いことで、関西人は何倍も楽しんだろう。
_ 大阪、滋賀、奈良、京都、神戸などの関係はよくわからない。京都の、洛中と洛外の関係も知らなかった。
_ 要するに、差別は人間の本性であって、人種、国籍などとは関係なく、日本国内でも差別は遍在る。東京都内でも、区によって差別はあるし、同じ区でも通り一つ隔てれば、蔑視がある。
_ つまらなかった。
_ ご都合主義の陳腐な脚本。大声で泣くか怒鳴るかの感情表現。観はじめて5分で出たくなった。
_ 監督が誰かと思ったら、山崎貴だった。彼の監督作品「ALWAYS三丁目の夕日」も最悪だと思った。これからは監督を確かめてから観に行こう。
_ 面白かった。
_ 渋谷TOHOの一番大きなスクリーンで観客が7人しかいなかった。
_ 原作は児童向けの小説「The Imaginary」で、イマジナリーは空想上の友達のこと。心理学の用語では、イマジナリー・コンパニオンといっている。
_ 拙著「滝川希花の冒険」の主人公にもイマジナリーな友達がいる。いろいろ本を調べたが、なぜイマジナリーが出現するのか、いつなぜいなくなるのか専門家にもわからないようだ。本作では、多重人格のように主人公の危機を救うために現れたことになっている。
_ 最近の宮崎駿や新海誠の作品は説教臭く観る気になれない。この作品は、アニメ本来の想像力と躍動感に満ちていて、感動的でもある。こういう作品が当たらないのは残念だ。
_ 佐藤究の直木賞受賞後第一作。
_ 三島由紀夫をモチーフにしたという書評を読んで興味を持った。小説としては面白く、一気に読んだが、三島との関係がわからなかった。登場人物の名前、タイの暁の寺、仏教思想などは出てくるが、どれも物語に不可欠なものではなく、むしろ邪魔だ。
_ 主人公、易永透は空と超音速での飛行に魅せられ、最後はタイの上空でミサイルに撃墜される。
_ 魅了された対象と心中するところが三島的といいたいのか。しかし、いったん戦闘機をあきらめた易永がF-35Bと出会ったのは偶然だったし、また、それに乗ることは死に直結するものではない。
_ 三島は、演劇について語ったとき、芝居の脚本は最後の場面を念頭に置き、ストーリーは主人公をそこに、羊飼いが羊を檻に追い込むように、導くものだという趣旨のことを言っていた。三島の人生は自分が書いた芝居を自ら演じたかのものだった。
_ 本作の易永にとって、戦闘機に乗ることは死で完結しなければならない行動だったのか。その点が納得できない。ちなみに、易永が読んだ三島の唯一の作品は「行動学入門」だとのこと。