_ 1000年に一度の天災と言っても、1万年には10回、100万年には1000回で、地球の歴史から見れば珍しいものではない。
_ でも、人の一生の時間から見ると、1000年は伝説の時間であり、神話の世界に入っていく。そして、神話的な大災害には何かの意味があると考えるようになる。
_ キーワードは「我欲」で、石原慎太郎が「我欲に対する天罰」と言ったときは反発を招いたが、その後の状況を見ると多くの日本人が自分の我欲を反省しているように思える。
_ 募金の額、ボランティア志願者の数、節電への協力、消費の抑制等、「我欲」は悪だという意識に動機づけれているに見える。
_ 考えてみれば、この傾向は、昨年末の「タイガーマスク運動」から見られた。そこにはやはり我欲への反省があり、社会が何かを予見していたようでもある。
_ 原発事故についてみると、これは天災半分人災半分のようだが、世界史上の大事件として記憶されるだろう。ポイントは、福島第一原発の事故が、チェルノブイリのような設計ミスではなく、スリーマイルのような操作ミスでもなく、普通の危険度の原発に天災で起きたもので(多分津波がこれほど大きくなければ問題なかった)、また、世界最高水準の技術と安全意識を持つとされていた日本で起きたというところだ。
_ 現在の日本の対応が最善のものかは分からないが、対策は原発自体だけでなく、派生する多様な問題について必要で、日本の総合力が試されている。今の状況は、そのような総合力があっても原発は難物だという印象を世界に与えている。とくにこれから原発を建設しようとしている新興国にとってはハードルが高いというメッセージが読み取れる。
_ 震災に関して、暴動や略奪が起きないことから、日本人の高い公徳心が賛美されている。先日もハーバード大学のサンデル教授が参加した番組がNHKであった。最初のみ見たが気持ちが悪い内容だったのでやめた。
_ 何故日本人には宗教を信じる人間が少ないのにこのように公徳心があるかについては議論がある。美意識が高いという人がいるがそうだろうか。
_ 私は、別に日本人が高い公徳心を持っているとは思わない。単に人の目を気にするから悪いことが出来ないだけだ。宗教は戒律で人を縛るが日本では世間の掟がその役目をする。その掟の内容は不明確なので日本人は常に人の目を気にする。
_ 阪神淡路の時も今回も、社会が崩壊したわけではない。だから世間の掟は有効に働く。誰も見ていないとしても、刷り込まれた世間の拘束は我欲を自由にさせない。
_ 世間がなくなったとしたら、日本人の公徳心はどうなるだろう。多分宗教の拘束がないぶん秩序を失うだろう。
_ 自分の周りの社会が存在しても、それと敵対する相手に対しては道徳的であれという指令は誰からも発せられない。戦争になれば日本兵はもっとも残酷だ。
_ 要するに日本人は自分の周りの世間だけを気にして生きているのだ。