_ 昨日の初公判の際の堀江の服装は紺のスーツに青いネクタイだったそうである。T-シャツ姿を期待した人にとっては残念なことだった。
_ 昔福岡で司法修習生として修習していたとき、福岡高裁長官のお話を聞く会があった。その後質疑応答があったが、真面目な質問が続くなか私は「何故裁判官はカラーシャツを着ないのですか」と聞いた。どんな返事が返ってきたかは覚えていないが、後に検事なった修習生が「勇気があるな」と言ったのは覚えている。別に勇気があったわけではなく、自分は裁判官になるつもりがなかったから勝手なことが言えただけだ。
_ あれから30年経って、私は法廷に行くときは白には限らないが地味な色のシャツを着ていく。普段は赤や黒のシャツも着るが裁判所には着て行かない。服装で裁判に負けてはかなわないと思うようになったので、迎合である。少しは大人になったというか、つまらない人間になったというか。
_ 堀江は今度の裁判で勝つかもしれないが、一つの時代を作ったT-シャツの堀江は死んだのだ。
_ 私は、この映画のテーマはヒロイズムかと思っていた。Let`s roll と言ってテロリストに素手で立ち向かった男たちの物語というと、アメリカ人の好きな「アラモの砦」のような英雄談を思い浮かべる。乗客の中の誰かをヒーローに描けば、人を感動させるのは簡単だ。
_ しかし、この映画は私の予想をいい方向で裏切っていった。描かれるのは、テロリストや乗客の外面で、その内面の葛藤や各人の背景(生い立ち、家族、思想等)は最小限に留められる。特定の人間により多くの光が当てられることはなく、みな平等に一つの悲劇に直面する。
_ 現実というものは、本当はこういうものなのだとこの映画は我々に気づかせる。特定のヒーローなんていなくて、みんな他人に負けない自分の世界を持っていて、死ぬときはわずかな外面のみを見られながら消えていくのだ。
_ 映画は、登場人物の内面に踏み込まないだけでなく、彼らが見る範囲の世界しか描かない。飛行機がWTCに突っ込むところなどニュースの映像にだっていくらでも迫力のあるものがあるのに、白黒のモニターに映し出される絵しか出さない。でも、それがかえってリアルですごい。
_ 結末は、誰もが知るとおり、飛行機はペンシルバニアの森林に墜落し、生存者はいない。この事実を、アメリカン・スピリットの発現とみることもできるだろう。最後に、乗客の一人にそのようなセリフを言わせれば、自由と民主主義を守るために戦った英雄の物語になる。しかし、この映画はそのような安易な感動を与えてくれない。映画は、「機体が上がらない!上がらない!」という操縦桿を握った乗客の一人の悲痛な叫びで終わる。
_ そこにあるのは、政治的・宗教的な対立などよりもっと重いものだ。飛行機は、人間の小さな争いと一緒に地球の重力に引かれて墜落していった。ペンシルバニアの森林にその衝撃は呑み込まれ、何年か後には痕跡も残らないだろう。
_ この映画は、一番ホットな政治的テーマを扱いながら、私の感じたメッセージは仏教的な諦念ともいうべきものだった。諸行無常ー人間の思想、主義主張、価値観そしてそれらをめぐる争いは、地球の重力の前にはなんとむなしいものなのか。
_ 2003年4月22日の日記にも書いたように、土谷ノートというものがあり、そこには麻原は一旦逮捕されるが後に解放され、世界戦争の混乱の中で王国を築くとある。麻原の死刑が確定した今、この予言を実現しようという信者がきっと出てくる。
_ 奪還計画は、常時監視下に置かれている日本ではなく、ロシアなどの外国の支部で練られるだろう。武器の調達やテロリストの訓練も容易だ。奪還の方法としてすぐ思いつくのは人質を取り麻原の釈放を求めるというものだ。しかし、テロリストの要求を呑まないのが国際的なコンセンサスになっている今日、ジャンボ機を乗っ取っても日本政府は麻原を釈放しないだろう。しかし、盲点がある。
_ 民間人が人質の場合は総理大臣の判断で要求を拒否できるだろう。仮に、総理大臣が人質になっても政府は妥協しないだろう。民間人の犠牲はやむをえないことと了解されている。これがアメリカだったら話は終わりだ。しかし、日本には皇族という人々がいる。現在皇族は22人いるとのことだが、その一人が人質になったら、総理大臣は民間人のときと同じようにテロリストの要求を拒否するだろうか。たぶん皇族の生死は総理大臣がかってに判断できない事柄だろう。やはり、総理は天皇の判断を仰ぐことになるだろう。憲法上そのような義務はないが、勝手に判断すれば自分の命が危うくなる。
_ では、天皇が人質になったらどうだろう。皇太子が判断できる問題ではない。このような事態に備えて内閣は天皇から事前に指示を受けておく必要がある。いずれにしても究極の選択になり、総理が腹を切るような事態になるだろう。
_ さらに難しいのは、雅子妃や紀子妃の両親などが人質になった場合だ。民間と皇族の間にある、このようなケースの判断を誰がするのかを明確に定めておく必要がある。
_ 麻原奪還が成功しても、麻原を受け入れてくれる国がなければ目的は達せられない。これも、国と限定するから難しくなるので、今日国に対抗できるテロリスト集団は世界に何十もある。そのどれも何億かの金を積めば麻原を受け入れるだろう。オウムは初めて化学兵器を使ったテロリストグループとして世界的に有名だから協力者を探すのは容易だろう。
_ このように麻原奪還はclear and present danger だといえる。
_ 土曜日にハンバーグが美味いという渋谷のゴールドラッシュに行った。信じられないくらいまずかった。焼けた鉄板の上にジュージュー音を立てて乗ってくるのはいいのだが、ハンバーグの下は焦げいるのに上は冷たいというケッタイなしろものだ。ハンバーグ自体も硬すぎて塩味が強くてまずい。
_ あまりにも酷かったので口直しに日曜日に自分で作った。私は、いつも牛800豚200で作る。余りは焼いてから冷凍する。ミートソースなど作るときに便利だ。
_ 材料は一般的なものだが牛乳をたくさん入れる。そして形を作るのが難しいくらいやわらかくする。あと、フライパンで作るときは焼いている間絶えず油をかける。こうするとジューシーになる。ソースは特に作らない。フライパンに残った油でバターを溶かしそれと醤油におろしニンニクを混ぜてソースにする。美味い!
_ 奈良女児殺害事件の小林被告に死刑判決が言い渡された。しかし、それを一番喜んでいるのは小林被告のようだ。宅間守の場合もそうだったが、本人が死刑を望んでいる場合には死刑は罰にはならない。むしろ、死刑になりたくて凶悪犯罪を起こそうとするやからを増やすのではないかと懸念する。
_ 奈良女児殺害事件の被害者の父親が極刑以上の刑を望むと言っていた。それはすなわち残酷刑である。残酷刑は憲法で禁止されている。しかし、宅間や小林のような犯罪者に対抗するためには残酷刑の復活も考えるべきだろう。
_ 思うに何が残酷かは一概に言えない。人によっては無期懲役の方が死刑より残酷と感じるかもしれない。また、人生が苦痛で生きていることが耐え難い人にとっては死刑は僥倖だろう。
_ そもそも、死は誰にもやってくるもので、それを早期に到来させたからと言って残酷だろうか。絞首刑は苦痛の少ない死刑だと言われている。宅間守は死刑にならなかったらもっと苦痛に満ちた死を迎えていたかもしれない。実際の話、今日多くの人間が経験する病院での延命治療と緩慢な死はどんな残酷刑より残酷ではないか。世界の歴史に記されている残酷刑のどれも何ヶ月もかけて殺すことはない。たいていの刑罰は何時間か我慢していれば死が解放してくれる。
_ 世の中は矛盾に満ちている。