_ 6月11日は私の56回目の誕生日だった。
_ 家族でそれに気がついたのは娘だけで、女房は全く気づかず、息子は日にちを間違えて憶えていた。これは毎年のことで、女房が私の誕生日を憶えていたのは30年間に2回くらいではないか。
_ このような家族の無関心は、実は私にとっては有難いことなのだ。そう、私は誕生日が嫌いなのだ。誕生日を祝うという習慣はどこの国にもあると思うが、その理由は多分ある期間生きてきたこと自体が価値あることとして、本人のためのみならずそれを支えた人々のためにも喜ぶということだと思う。
_ 私は30才くらいまでは、早く死にたいと思っていて、誕生日はムダな時間を過ごしたという証でしかなかった。30才を過ぎると別に死にたいと思うことはなくなったが、生き続けてきたことが嬉しいわけではなく、誕生日には関心がなかった。40才を過ぎて自分がすでに若くはないと思うようになると誕生日は不快なものになってきた。世間では年齢によって人のあるべき姿を規定する。40才にふさわしい言動、50才の服装などが事実上決められ、年齢は私の自由を奪っていく。
_ 私は自分の年齢を忘れるように努め、歳相応にならないように気をつけた。それが成功したと思っているときに、人から誕生日を祝われ年齢をいやでも認識させられるのは困ったことだ。
_ しかし、祝ってくれる人はそんなことは知らず善意だから文句は言えない。今年も何人かが私の誕生日を憶えてくれていて祝ってくれた。それは素晴らしいことだと思う気持ちもある。要は私の気持の問題で、年齢に拘束されないような人間になればいいだけなのだ。最近それが出きるようになってきた気がする。なにか誕生日が来るたびに若くなっていくような気がする。そんな気分のとき鏡を見るとびっくりするが。