_ 2003年X月21日 日本政府はワクチンの効果を確認するため医師団を北朝鮮に派遣した。その結果を待たず、自衛隊機がワクチンの空輸のために平壌空港へ向かった。
_ 2003年X月23日 日本政府はワクチンの受け入れを決定し、相応の対価を支払いたい旨北朝鮮に申し出た。北朝鮮は人道的な理由で行う供与なので対価は受け取れないと述べたが、平壌で行うワクチン引渡しのセレモニーに天皇の出席を要請した。
_ 2003年X月25日 天皇訪朝については政府内部で激論がたたかわされた。そのような屈辱的な条件は呑めないという意見と日本存亡の危機であるのでやむをえないという意見に分かれ、強硬派は自衛隊を使ってワクチンを奪取することを主張した。
_ 2003年X月26日 天皇は首相を皇居に呼び、自分は国民のためならどこへでも行くと述べ、聖断は下った。
_ (続く)
_ 2003年X月30日 将軍は平壌空港で天皇と首相を出迎えた。空港から平壌市内への沿道は百万人の人で埋め尽された。車の隊列は万寿台にある故金日成主席の銅像の前で止まった。下車した一向は長い石段を銅像の下まで登った。
_ 銅像の前に立った将軍と天皇と首相を数千の人々が固唾を呑んで見守った。将軍は天皇に言った。「この銅像の前で土下座して、秀吉以来の日本人の朝鮮人に対する罪をわびてください」
_ 天皇はこれには答えず、銅像の彼方の雲の峰の先に日輪をさがすかのごとく目を向けた。そして、静かにひざをついた。
_ 首相は天皇に駆け寄ろうとしたが、屈強な衛士に阻止された。
_ (続く)
_ 2003年X月30日夜 将軍主催の晩餐会は終わりに近づいていた。
_ 首相は時計を見た。そろそろワクチンの接種が主要都市で始まる時間だった。死者の数は10万を超えていた。ワクチンの効果があることを祈るしかない、と首相は思った。
「君はどこで間違ったか分かっているよね。そう、あの5人を帰さなかったことだよ。君は国と国の約束を破ったのだよ。どうせ、犯罪者相手の約束と思ったのかもしれないが、あれは私と私の祖国を侮辱するものだよ。そう、あれが我々の民族の積年の怒りに火をつけたのだ。屈辱の歴史がどんなものか君には分からないだろう」
_ 首相は目を閉じて考えていた。これまでの自分の判断については歴史が評価するだろう。ただ、自分には最後の仕事があり、それをいかに立派に果たすかが問題だ。今まで読んだり聞いたりした自刃の作法を思い出していた。これから国を再建していく日本人が恥ずかしくないものにしなくてはならない。
_ エピローグ
_ 帰国から3日後、首相は立派に自決した。ワクチンは予想以上の効果があり、1ヶ月後には新たな患者の発生はなくなった。8ヶ月後北朝鮮の政権は崩壊し、将軍は処刑されたという。
_ (完)
_ プリコグと呼ばれる3人の超能力者により殺人事件が予知され、それを犯罪予防局が事前に阻止する。このシステムが実験されているワシントンDCでは6年間殺人事件がおきていないという。
_ フィリップ・k・ディック原作の映画には「ブレードランナー」や「トータルリコール」のような傑作があるが、この作品にはあまり感心しなかった。タイムパラドックスものにはどうしてもウソっぽさがあり、「バックトゥザフューチャー」のような気楽な話だったら楽しめるが、この作品はシリアスなヒューマンドラマを意図しているようなので、無理がある。
_ 考えてみよう。プリコグが殺人を予知するというが、それが阻止されるなら結局殺人はなかったことになる。プリコグは存在しない未来を予知したことになり、前提から成り立たない。
_ プリコグは「殺人」ではなく「殺意」を察知して、その延長線上にある蓋然性としての殺人をイメージしたと考えることはできる。しかし、殺意は必ず殺人に帰結するものではない。常識で考えてみても、計画された殺人はさまざまな理由で遂行されないことがあるだろう。それは犯罪予防局の介入があった場合のみ未遂に終わるわけではない。プリコグは犯罪予防局が阻止しなければ遂行されるだろう犯罪のみを予知するというのだろうか?
_ さらに意地悪く考えてみよう。犯罪予防局が阻止した犯罪の加害者(本当はまだなにもしていないのだが)にはある刑罰が課せられる。では、たまたま人通りがあったから殺人を断念した人は罰せられなくてもいいのだろうか。この問題を突き詰めていくと刑法の基本問題に行きつき、現行の刑法が矛盾に満ちたものだということが分かってくる。その話はまたの機会を見てすることにして、タイムパラドックスの話にもどる。
_ 私は決定論を信じているので、そもそも変えられる未来があるとは思わない。私がこの原稿を書くことも、あなたが今これを読んでいることも、すべてビッグバンの時に決定されていたことで、だれも変えられない。全宇宙のある時点における全ての粒子の位置と速度が分かれば、その次の瞬間の全ての粒子の状態が分かる。これを続けていけば宇宙の未来が確定的に分かるのだ。
_ このニュートン力学に基づく決定論が量子論(不確定性原理)によってどのような影響を受けるのか、私にとって長いこと疑問だった。最近読んだ本によると、どうやら量子論は人間レベルの未来予測には影響がないようだ。もし影響するとしたら明日の待ち合わせも約束できなくなる。
_ さてこの決定論が私の生き方にどのような変化を与えているかというと、あまり変わりはない。テレビの星占いで悪い運勢出ると、言われたとおり気をつけるし、未来が決まっているからといって努力しないわけではない。考え方としては、いい未来が決まっていると信じてそのために必要な努力をするというところか。
_ 交通事故で下半身不随になって自暴自棄の生活を送っていた青年(加藤晴彦)が合気柔術と出会い立ち直る。
_ 楽しめる映画だったが、私が特に注目したのは合気柔術の師範(石橋凌)が空手家5人を一瞬のうちに倒す場面だ。石橋は相手の手を軽くつかむだけで転倒させ動けなくさせる。大東流合気柔術六万会が監修しているから出来ないことではないのだろう。
_ 私は西野流呼吸法を12年やっているが(西野流についてはエッセイを見てください)、この映画の柔術は私の知っている「気」を使っているようだ。いわゆる合気道(もっともスティーブン・セガールのしか見たことがないが)は相手の力を利用するのではないか。映画の技は相手が力を入れていなくてもかかるようだ。
_ 一度西野皓三が同じような技を使うのを見た。西野は指導員に自分の手首をつかむように言った。西野がつかまれた手を軽くひねると指導員は鉄棒競技のように西野の手を軸にして一回転して床にたたきつけられた。だから映画のような技があることは疑わないが、疑問なのはそれが空手家に効くのかということだ。
_ 私が知る限り西野皓三といえど、気の回っていない人を飛ばすことは出来ない。普通は道場に通って2,3ヶ月しないと飛ばない。気に敏感な人(特に子供)はすぐ飛ぶことがあるが、そうでないと一般の人相手の武術としては使えない。武道家は一般の人に比べて気に敏感であるといわれているが、皆そうだとは思えない。そう考えると、あの映画の描写はちょっとウソっぽい。
_ 誰か気だけを武器にする武道大会を開いてくれないものか。ルールは相手に触れることなく倒すこと。もっとも、ドラゴンボールのようにカメハメ波が見えるわけではないので、見ている方にはさっぱり面白くないだろうが。
_ この日記を定期的に読んでくれている人は何人くらいいるのか。10人か、5人か。まあ、一人でもいれば書く意味はある。
_ 顔の見えない相手に書くより気の合った友達と話をするほうがいいのではないか、という人もいるだろう。しかし、一風変わった思想を語るには相手を選ぶ必要がある。はなから受け付けない人もいるだろうし、最終的に理解できる人も独宴会の時間をもらわないと分かってもらえないだろう。私は気の弱い人間なので、自分の話に人の時間を割いてもらおうという図々しさはない。だから、読みたい人が自分の判断で時間を使ってくれる書き物の形がいい。
_ というわけで、これまで一年以上書いてきたこの日記は殆どが人に話したことのないものだ。私は近時ますます会話の無力さを感じている。会話では、ちょっと変わった、ちょっと複雑な話はできない。そのような内容を伝えるには話の論理的な組み立てが必要で、考えずに口からすらすら出てくるものではない。今の世の中のおしゃべりは大半が知識の伝達(あのお店が安いとか)か追認の強要(あいつは非常識だよ、そうじゃないか、とか)、あとは無意味な感嘆詞(ウソ!マジ!しんじられなぁい!とか)の垂れ流しで、内容のある思想が語られることは殆どない。内容のある話をしようとすれば、奇人変人の類と思われる。
_ そんな訳で、この日記は私が本当のことを言える唯一の媒体かもしれない。