_ 長いことに日記を書いていない。「ALWAYS 三丁目の夕日」の批評(酷評)を書いていたときコンピュータがフリーズし、ほとんど書き終わっていたものが消えてしまって書く意欲が減退してしまった。日本映画には何故こんなに駄作が多いのだろうと思っていたら、キネマ旬報の邦画のベスト1,2位が「パッチギ!」と「ALWAYS 三丁目の夕日」だと新聞にあった。「パッチギ!」はビデオで観たが、つまらないので途中で止めてしまった。「ALWAYS 三丁目の夕日」は不自然なストーリーが不愉快だった。「NANA」はベストテンに入っていない。
_ 長いこと映画を観てきて、最近やっと好きな映画はあっても(客観的に)優れた映画などない、ということが分かってきた。人との相性のようなもので、理由は説明できないが波長が合う人がいる。映画もそうだと思う。映画に点数や星をつけても、それは徒競走のタイムのように客観的なものではなく、好みを数値化したものでしかない。
_ 映画は、文学、絵画、音楽、実演等が合わさった複合芸術だから、ある映画のどの要素が人を感動させたのか、さだかでは無い。映像が素晴らしいと言う人が、音楽がつかない映像に感動するとは限らない。感動を与えたのは、幼少時に耳にしすでに忘却の彼方にある昔のヒット曲なのかもしれない。はたまた、主人公の後姿が別れた恋人に似ていたことが決定的だったのかもしれない。これらの要素は皆個人に属するもので、他人と共有することはできない。だから、映画を人に勧めるのは難しい。それは、自分でも分析できない、もやもやした感情の塊を人に手渡すようなものだ。人がそれをしっかりと受け止めてくれなかったり、ましてや、拒絶反応を示したりすると自分の存在を否定されたような気分になる。
_ まあ、そんなことを考えながら、これからも勝手なことを書いていくのだと思うけど。
_ 3時間8分の長尺が短く感じられた。日本映画は大作になればなるほど、間延びして、不要なセリフや過剰な演技が目に付くが、彼我の違いは何だろう。ピーター・ジャクソンは、これでも入れたかった場面をいくつも切ったそうだが、それは観ていて分かる。不必要に長いのと、刈り込まれて長いのは全く違う。
_ この作品は、33年版のリメイクだが、私が33年版を観たのがいつだか定かでない。76年版は劇場で観たが、その時33年版と比べていたから、その前であることは確かだ。ひょっとしたら、子供の頃ニューヨークで観たのかもしれない。
_ 76年版でがっかりしたのは、時代が現代になっていて、最後の場面がエンパイアステートビルでなくてワールドトレードセンターになって、コングを攻撃するのが複葉機ではなく武装ヘリコプターになっていたことだった。こんどの作品はオリジナルのままだ。
_ 30年代のニューヨークは、超高層ビルが建ち始めたころで、CGで再現されたニューヨークは美しい。私は1957年のニューヨークは見ているのだが、今のようなガラス張りのビルはなく、重厚な佇まいだった。
_ そして、最後はニューヨークを見下ろす世界一のエンパイアステートビルの頂上での決戦となる。映画史に残る名場面だ。観る前からここで泣くなと思っていたが、ピーター・ジャクソンの思い入れはすさまじく、これでもかと感動の波状攻撃をかけてくる。高倉健の斬り込み場面のようだ。
_ エンパイアステートビルのてっぺんから見たニューヨークの朝焼けがきれいだった。
_ 最近の堀江報道を見ていると不愉快になる。
_ 例えば、民主党の岡田前代表との話し合いの際、堀江が「国民はバカだ」との発言を繰り返し、それを聞いた岡田は、このような人を民主党の候補者には出来ないと思ったとのこと。マスコミは岡田の判断を賞賛する。(そもそも、候補者選考の際のやりとりを公表するのは守秘義務違反だろう。それも、堀江が反論出来なくなってから公表する卑劣。民主党の一方的な主張をそれが争いのない真実であるがごとく報道するマスコミの欺瞞。)また、堀江の「人の心は金で買える」という言葉をあたかも堀江の全人格を象徴するかのように取り上げ非難する。
_ 悪人のように振る舞う「偽悪者」と呼ばれる人がいる。偽悪は偽善の反対語で、偽悪者はうわべだけの善人より悪人と見られた方が心地よいタイプの人間だ。人の心が金で買えるかといえば、社会道徳的には否である。しかし、現実をみると、そのような例が少なくない。国民がバカだということも、歴史をみれば、多くの該当するケースに当たる。かように、現実は単純ではないが、偽悪者は人間の悪の一面に光を当て、自分の視点を鮮明にする。偽悪者は往々にしてナイーブで、人を騙す偽善者になることを恐れ、自分が悪であるとの警告を発し、他人が不用意に近づいて傷つかないように配慮する。
_ 私は、堀江の本を読んだことはないが、時々テレビを見ていて、この人は正直な人だと思った。醜悪な偽善者ばかり登場するテレビの中では堀江の言葉は新鮮だった。
_ マスコミは今堀江を非難罵倒するが、彼を信じていた者にとって、今回の事件は裏切りではなかったはずだ。金が全てだと言って、法の隙を突こうとした者が、体制の反撃を受けることは当然予想されたことである。堀江が本物であるかは、彼のこれからの戦いで証明される。
_ さて、人の心は金で買えると言った堀江であるが、本当は金で買えない心を求めていたのではないか。無一文になった堀江が、金では買えなかった宝物を手に入れるというのは、ちょっとメルヘンチックな話だが、そんなことがあればいいと思う。
_ この原稿は昨日書いたが、今日の日経朝刊にコラムニストの田勢康弘氏が同旨のことを書いていてビックリした。