_ 決勝打の前に、イチローは打席に入っている自分を実況していたと。イチローほどの達人になると無の境地で雑念などないかと思ったが、逆だったようだ。
_ 西野流呼吸法には対気という武道の組手に対応するものがある。相手と手を合わせて気の交流をするのだが、現象としては強い気が弱い気を飛ばすことになる。
_ 初心者は手で押すので、手を意識するようになり、指導員から丹田を意識するように注意される。しかし丹田を捉えるのは簡単ではない。
_ 私は、試行錯誤の結果、正中線(身体の中心線)と足芯(足の裏の中心)を意識して、身体全体をぼんやりと捉えることができるようになった。もっと上達すると身体自体を意識しなくなるようだが、想像を絶する。
_ 西野流では、集中と緊張は禁物で、身体が弛んでいないと気が出ない。
_ さて、イチローのことに戻るが、実況していたということは、自分を外側から見ていたことになる。ちょうど幽体離脱のように。
_ そのとき、打席にいるイチローは客体であり、自意識は持たない。身体に緊張をもたらし自然な動きを妨げるのは自意識の働きだから、イチローの「実況」は自意識から身体を解放する効果があるのかも知れない。
_ 2回観て希代の傑作だと思った。
_ 1回目はアニメを知らなかったので分からないところもあった。でも、後を引く映画で、すぐにまた観たくなった。
_ 2回目には、最初いいかげんに作られたように見えた部分もよく計算された結果だと分かった。役者だけでなく、美術、音楽、振り付け(特にダンス)など皆ベストの仕事をしていた。
_ 興行収入が4週間連続トップだったようだが、これだけの大衆的な支持を得るためには、骨組みがしっかりしている必要がある。現実離れした設定だが、これは古典的な恋愛映画だと気づいた。
_ ヤッターマン1号、2号とドロンジョの三角関係、ボヤッキーのドロンジョへの片思い、それを気遣うトンズラーの友情。昨今の映画、小説と違い、感情は抑えられ、「がまん」が強調される。恋愛場面には、演歌調の音楽が使われ、レトロな空気がかもし出される。
_ 恋愛感情は抑えられることで純化し、より激しくなる。エロスを表現するのは、人間に代わってヤッターワンやバージンローダーなどのキカイだ。連中は恥らうことなく情念をぶつけ合う。
_ 恋愛劇の中心になるのはドロンジョで、ドロボーの神様までもドロンジョが好きであることが判明する。
_ ドロンジョは、奔放と神聖を併せ持った女で、神をも惹きつける魅力を有する。それでいて、夢は平凡な主婦になることなのだ。最初は意外と思われた深田恭子がはまり役。