_ 決勝打の前に、イチローは打席に入っている自分を実況していたと。イチローほどの達人になると無の境地で雑念などないかと思ったが、逆だったようだ。
_ 西野流呼吸法には対気という武道の組手に対応するものがある。相手と手を合わせて気の交流をするのだが、現象としては強い気が弱い気を飛ばすことになる。
_ 初心者は手で押すので、手を意識するようになり、指導員から丹田を意識するように注意される。しかし丹田を捉えるのは簡単ではない。
_ 私は、試行錯誤の結果、正中線(身体の中心線)と足芯(足の裏の中心)を意識して、身体全体をぼんやりと捉えることができるようになった。もっと上達すると身体自体を意識しなくなるようだが、想像を絶する。
_ 西野流では、集中と緊張は禁物で、身体が弛んでいないと気が出ない。
_ さて、イチローのことに戻るが、実況していたということは、自分を外側から見ていたことになる。ちょうど幽体離脱のように。
_ そのとき、打席にいるイチローは客体であり、自意識は持たない。身体に緊張をもたらし自然な動きを妨げるのは自意識の働きだから、イチローの「実況」は自意識から身体を解放する効果があるのかも知れない。