_ 昨日夜9時以降が空いたので映画を観ようと渋谷で探した。最近レイトが少なくこの映画しか適当なのが無かった。全く知らない作品なのでネットで調べたら、監督でこの映画がデビュー作である32歳の林田賢太氏が11月1日に亡くなったことを知った。
_ 監督死去のためか映画館は混んでいた。普通このような無名の監督、役者の映画のレイトショーは数人しか観客はいない。
_ 双子の姉妹、日名子と水那子の愛と別れを美しい自然を背景に描く。日名子には放火癖があり水那子は悪性の脳腫瘍で余命幾ばくもない。いわゆる難病ものになりやすい設定だが、感情は抑えられ、死は避けられないものとして受け入れられる。たびたび起こる火災と冬の荒々しい海が運命の過酷さを表現している。
_ 水那子は「生まれ変わって日名子の子供になりたい」と言う。「日名子におんぶされ抱っこされたくさん抱きしめられたい」と言う。
_ 現世では一緒になれない二人が来世では結ばれたいと思うのは自然なことだ。しかし来世があったとしても、そしてもう一度会えたとしても、やはり別れはやってくるだろう。水那子にとってのあらまほしき関係は母と赤子の関係だった。二人の間がもっとも緊密で一体となったその至福の時間が永遠に続くことを水那子は願ったのだろう。
_ このような来世は死に無限に近づいていく。赤子から羊水の中の胎児になり、やがて宇宙の中に溶け込んでいく。
_ 林田監督の最初で最後の作品は、新人の初々しさと同時に年齢にそぐわない悟りも感じさせる。林田監督はあと50年生きたら巨匠といわれるようになったかも知れない。でも50年後の最後の作品はこの最初の作品に回帰してくるような気がする。
_ 小泉毅容疑者は34年前に保健所に処分された愛犬チロの仇討ちが理由だと言っている。これは信じ難いという人が多い。
_ しかし犬の立場で考えたらどうだろう。私が理由無く殺される犬だったら小泉の行動は快挙であり涙なくして彼の決起の宣言は読めないだろう。小泉は犬の代理人だと考えると分かりやすい。
_ でも何故34年も待ったのだろう。それは多分彼の人間に対する憎悪と犬の仇討ちという観念が一つになるのにそれだけの時間を要したのだろう。
_ こんなことかもしれない。
_ 小泉は人間社会から阻害されている自分を感じ、それが社会に対する憎悪になり、人間全体を敵と見て攻撃を考える。ここまでは最近流行の無差別殺人犯と同じだ。違うのは、小泉は同姓の元首相と同じくロマンチストで自分の死を無駄な死とせず何かのための死にしたかった。そのためには大義が必要だった。大きな価値のために死ぬ、すなわち献身が彼の行動であり、その先の栄光ある死を担保する。
_ そこで34年間忘れることの無かったチロの死が彼の考える行動と結びつく。小泉はすでに人間社会を敵と見ていた。殺されたチロや同じ運命の多くの犬たちにとっても人間は敵である。しかし犬は人間に復讐することは出来ない。小泉は人類が犬と自分の共通の敵だと認識する。そして犬と違って自分には人間を攻撃する力がある。
_ そこまで来ると彼の心には一点の曇りもない。犬のための復讐という大義を達成するための行動あるのみだ。敵は人類だから別に厚生事務次官である必要も無かったが、打撃の効果を考えて相手を選ぶ。後はひたすら身体を鍛え、武器をそろえて機会を待つ。世俗的な代償を考えないという意味で、彼は純粋なテロリストであり殉教者だった。