_ 600ページを超える「三島由紀夫論」を読み終えた。期待して読んだががっかりした。
_ 平野啓一郎は京大法学部卒業のようだが、事案を分析して因果関係を発見する能力はあるようだ。三島は、東大法学部卒で、その点では平野はほかの文芸評論家より優っている。しかし、彼がやっているのは、巨象の鼻や、しっぽや、爪を観察して、剥製を作るような作業で、巨象の中身は空っぽだ。
_ 平野は、20年以上費やしてこの本を書いたとのことだが、それでこの程度なのは残念としか言えない。
_ 平野は、「天人五衰」について、
_ 「来世の本多は、宇宙の別の極にある本多であっても、なんら妨げがない。」ーこの宇宙的な想像は、飛躍的だが、「美しい星」のガン告知後の重一郎を思い出させる。
_ と言っている。ここで「飛躍的だが」と述べているのは、平野が三島について何も理解していないことを示している。
_ この部分は、私が、「滝川希花の冒険」で「卓上のビーズについて書かれた文章」と言っているところの一部だが、三島の世界解釈の到達点を示すものである。
_ 生物学者小林武彦の著書。ななめ読みした。
_ ほとんどの動物には老後はなく、ピンピンコロリで逝くという。ヒトに老後があるのは子育てのためで、老後を生きる遺伝子を持った個体が生き残った。
_ 小林は、子育てのほか、ヒトのシニアには調整力があるので集団の存続維持に貢献したという。確かに、古老は従来長年の経験知を集団のために生かすことができた。しかし、ITの社会においては、過去の知識経験はほとんど役に立たない。
_ ヒトの老人はヒトという種の維持には役に立たない。むしろ有害である。
_ 健康寿命と平均寿命との差の期間はコストのみありパーフォーマンスはない。その結果、本来子供を産み育てるための財が老人の延命に使われ、種は細っていく。
_ 三島由紀夫の思想は、夭折の美学を基本とする。ヒトは若く美しいうちに死ぬべきである。種の維持は問題ではない。美が存在すればいい。
_ 三島は、45歳が美しく死ねる限界の年齢だと言っていた。
_ 離婚した両親の母親の方と暮らしている11歳の娘ソフィが30歳の父親とトルコの海辺のリゾートで過ごすバケーション。何事も事件らしきものは起きず、楽しい日々が過ぎていく。しかし、別れは来るのでその予感が哀しみをもたらす。はっきり描かれなかったが、たぶん永遠の別れ。
_ 私は、まず家族と行ったバリ島を思い出した。次に、両親と妹と行ったロングアイランドの海を思い出した。この映画の状況とは違うかもしれないが、思い出に残るバケーションは何か悲しい気持ちにさせる。なぜか、当時の楽しんでいた最中から悲しい気持ちになっていたようにさえ思える。
_ この歳になると、過去が戻ってこないことは明確で、将来同様なことが繰り返さないだろうこともわかってくる。また会えると思って別れた人はすでにこの世におらず、いても元の人ではない。
_ この映画は、観る人によって全く違った印象を持つだろう。つまらないと思う人もいるだろう。しかし、そのような人も10年、20年たって観ると感動するかもしれない。映画とはそんなものだ。