_ 新潮が生誕100周年を記念して「よみがえる三島由紀夫」と題する特集をしている。
_ 40人余りが書いているが、三島と実際会ったことがあるのは、横尾忠則ぐらいだ。それだけの時間が経過したのだ。
_ 1970年11月25日は午後2時ごろ起床した。授業がない日はそんなものだった。テレビをつけると座談会をやっていた。たぶんNHKだ。司会者と3,4人の男性が話していた。年配の一人が司会者に詰問した。「あなたは、さっきから、三島、三島と呼び捨てにしているが、三島先生といいなさい。いつもそうしていたでしょう。」それに対して司会者は、「しかし、三島由紀夫は犯罪を犯したのです。ほかの犯罪者と同様に三島といいかありません。」
_ 1年半前に会ったときは、礼状に「美しく死んでください」と書いたのに、実際に実行されると狼狽した。
_ それ以来、三島由紀夫は私の「推し」になった。
_ 面白かった。
_ 香港が返還される前に存在した、高層貧民街ともいうべき巨大な建造物を舞台にした活劇。
_ 1980年代、この九龍城に紛れ込んだ密入国者の若者が、黒社会の中で奮闘していく様を描く。九龍城は、一つの社会で、飯屋はもとより、床屋や病院もある。この映画は、九龍城をセットで再現し、その中の生活を細かく描写する。
_ 格闘シーンは豊富で、変化があるので飽きさせない。最後のボスが、やたら強いが、説明では、気功の使い手だと。身体を硬化させると、刃物でも跳ね返す。いわゆる武道気功だが、香港のカンフー映画でもあまり登場しないと思う。
_ 私は、西野流呼吸法を30年間やっていたので、道場では西野先生が圧倒的に強いのはわかっていたが、道場の外でやはり強いのかは疑問だった。気は、感じない人にとっては存在しない。武道家同士だったら通用するという説はあるが、真偽のほどは不明。
_ 気については、オウム真理教事件の前は、書物などでもよく取り上げられていたが、最近は全く話題にならない。羹に懲りて膾を吹くということか。
_ 面白かった。
_ 原作筒井康隆、監督・脚本吉田大八。
_ 主人公渡辺儀助は、77歳のもと大学教授で専門はフランス演劇史。一人で築100年の屋敷に住んでいる。
_ インテリのプライドで貧乏くさい生活はしたくない。自分で毎食作るがこれがどれも美味しそう。ゆでたソバはちゃんと小ねぎを刻んでつける。焼き鳥は、レバーを切った後牛乳につけて臭みをとる。冷麺にはゆで卵をつける。
_ 朝食のフライドッグとハムが焼けるところが感動的で、カラーで観たように錯覚するが、この映画は全編白黒。
_ 儀助の人生計画は、年金と預金から毎日の生活費を控除し、残がなくなったら死ぬというものだ。これは合理的だ。世間では、老後資金が何千万必要と騒いでいるが、老後が10年なのか20年なのか、はたまた40年なのかがわからないと計算などできない。資金が決まれば年数が決まり、年数が決まれば必要な資金も計算できるのだ。
_ このような人生観だと、貧乏くさい生活などしなくていい。贅沢はしないが、ケチにはならず、食材もいいものを選ぶ。そう、QOLを大切にするのだ。
_ そんな儀助の生活も美女が絡むと不安定になり、予想外の金も使うことになる。そして、突然、敵が現れる。敵は、実在するのか、または儀助の夢なのか。さだかではない。
_ 2001年6月26日に会っている。
_ 当日は、ヨシダグループ会長の吉田潤喜氏から仕事の話で帝国ホテルのバーに呼び出された。午後の日の高い時間だった。吉田氏は、米国に不法移民として入国した後苦労して吉田ソースを開発し実業家として立志伝中の人物になった。空手家としても有名。
_ 仕事の話が終わったところで、吉田氏は、もう少し飲んでいかないか、と言い、同席の秘書に生島を呼べと言った。まもなく生島ヒロシがやってきた。彼は仕事とは何の関係もなく、余興の為に呼ばれたのだ。生島とどのような話をしたか覚えていないが、やたら腰が低い人だと思った。というか、完全に吉田会長の子分だった。
_ ネットによると、生島は空手をやっていて、昔は、不良と渡り合うなど武勇伝があると。なるほど、空手の関係だったのか。