_ 米国ボルティモアで起きた原爆テロを機に米ロ間の全面核戦争が迫る。CIAの情報分析官ジャック・ライアンはこれがネオナチの犯行であることを察知し、戦争を阻止するために廃墟となったボルティモアを駆け回る。
_ 核を使ったテロの映画では、たいてい核爆発は事前に阻止される。シュワちゃんの映画でフロリダ沖の島で爆発するというのがあったが、大都会が破壊されるのは初めてではないか。爆風で車両が吹き飛ぶシーンなど迫力があった。出来れば、「アキラ」のように高層ビル街が崩壊する映像が見たかった。
_ 8月15日の朝日新聞の夕刊に品田雄吉氏の映画評が載っていた。氏はロシアとの開戦を米国高官が議論するシーンがリアルだと言うが、それに続けて次のように述べている。
_ 「ただ原爆描写は普通の爆弾テロとさほど変わらず、これがアメリカの原爆に対する一般的認識だとすれば、まことに腹立たしい」
_ ビル街が破壊されるところは予算の都合で撮れなかったのだろうが、他の描写からボルティモアの大半が消滅したことはわかり、その破壊力が普通の爆弾と違うことは明らかだ。では品田氏は何が違っているべきだと考えているのか。たぶん放射能による被害のことだろう。しかし放射能汚染は爆発直後に判明するものではなく、ライアンが核戦争阻止のために動く間は爆発による直接の被害しか映画は描けない。放射能の被害については、テロに関与した人間が被曝によって死に行く様を描写しており無関心なわけではない。それでも品田氏は「まことに腹立たしい」と言う。これは、アメリカ人は原爆については分からない、被爆国である日本人にしか分からない、という思い上がりではないか。
_ さらに品田氏は次のように言う。
_ 「それにしてもアメリカは、どうしてこれほど戦いたがるのだろう」
_ この映画はアメリカが一方的に核テロを受けたという話であり、別にアメリカが「戦いたがる」物語ではない。品田氏はこのような場合に攻撃された国はどうすればいいというのか。核の使用はいけませんと国際際世論に訴えるのか。
_ 映画は大統領と高官が核ミサイルのボタンを押すまでのシミュレーションを行っている場面から始まる。日本でも小泉首相は同じようなことをしているのだろうか。たとえば、北朝鮮との関係が緊迫する中で福岡市が原爆で消滅したら日本はどのように対応するのだろう。自然災害と違って守るだけでなく攻める必要があるから判断がより困難である。アメリカが好戦的だと言う前にわが国の備えにつき考えるべきではないか。