_ そもそもエコではないだろう。火力を無駄に使うし、C0₂を排出する。
_ 土葬や鳥葬なら他の生命のためになるが、火葬は全くの無駄、有害でしかない。利点としては、限られた場所に骨を保管することができることか。
_ しかし、骨の何が大事なのか。火葬後の骨は炭素でしかなく、DNAも生命の痕跡もない。
_ 日本で一般的に行われている納骨の儀式はなんだ。故人の骨を遺族らに披露し、この骨はどこそこの骨だとか宣い、骨壺に押し詰める。
_ これはハラスメントではないか。誰も自分の骨を他人に見せたいとは思わないだろう。
_ このような儀式を嫌悪し、自分は絶対に拒否するといったんは思ったが、その価値はあるか。死後の自分の肉体は何か。それは、自分ではない。「物」ではあるが、自分の所有物ではない。なぜなら自分は死んでいて所有権の主体が存在しないからだ。
_ 自分の遺体は自分ではないし、自分の所有物でもない。それは、そこらの土や岩と同じ物質である。他人の骨と自分の骨を区別する理由はないし、自分の骨とそこらの岩を区別する理由もない。
_ 「滝川希花の冒険」に書いたように、死んで元素に戻った自分は、宇宙のどこにある元素とも同一で、死ぬ前に自分を構成していた元素が特別である理由もない。
_ そう考えると、自分の死後に自分であった物体の処分につてあれこれ悩むのは無駄なことがわかる。