_ JR西日本の社員43人が脱線事故の当日ボウリング大会に参加し、その後懇親会に行ったことが非難されている。彼らの弁護士を勝ってにやってみよう。
_ 先ず、そもそもJR西日本が悪いのか(JR西日本の故意過失が立証されていないのでJR西日本はあなたや私と同様に無罪の推定を受ける)という議論はあるが、とりあえずJR西日本は有責だとしよう。法人としてのJR西日本やその社長、運転手(過失があったとして)に責任があるとしても、上記43人には法的責任はない。でも、道義的責任はあるというのが世論なのだろう。なぜ?JR西日本の社員だから?
_ JR西日本は江戸時代の藩ではなく、宗教団体でもなく、株式会社である。その従業員は会社の一部ではなく、会社に隷属しているわけではなく、会社の思想なり信条を信奉しているわけでもなく、多分会社を愛しているわけでもなく、単に会社に労働を提供して賃金を得ている労働者である。43人は当日全員休暇をとっていたとのことで、その日は会社の拘束を受けていなかった。管理部門の社員に召集がかけられたとのことだが、その対象にもなっていなかった。
_ 彼らはその日、自由な個人だったのだ。あなたや私と同様に。あなたはその日悲惨な報道を見ながら酒を飲まなかったか。彼らを非難しているテレビ局は悲惨な事件の報道中頻繁に脳天気なコマーシャルをさしはさまなかったか。それは、人間として不謹慎ではないのか。ある会社にたまたま属していたということで人間としてするべきこと、してはいけないことが異なってくるのか。
_ こんどの事故は、一度に多くの人が亡くなったので注目されたが、もっと犠牲者の多い事故は日常的に起きている。日本だけに限っても、毎年一万人近い人が交通事故で死んでいる。その原因はほとんどが自動車だ。だとすれば、自動車会社には今回の事故の百倍の死について責任があることになる。法的責任は問えなくても道義的責任はあるのではないか。それならば、トヨタの社員などは毎日謹慎していなければならない。
_ というような議論はできる。マスコミの主張に同調するだけではなく、異なった見方ができないかと考えることは大切だ。