_ DVDで観た。いわゆるハリウッド映画でご都合主義なストーリーには感動しないが、舞台となっているアフリカの抱えている問題には考えさせられる。
_ 最近、「ホテル・ルワンダ」、「ナイロビの蜂」などアフリカを舞台にした映画が多い。国は違っても内戦でほとんど意味もなく人が殺されるシーンが共通する。
_ 大量殺人という点では文明国の方が優るだろうが、そこでは様々な大義名分で人殺しの悪が隠されている。ナチスにしても、歴史的・科学的・生物学的な理由で殺人を正当化しようとした。人間的というか、やはり正面から殺人が好きだからやっているとは言えないのだろう。
_ アフリカの殺人にはそのような言い訳さえないように見える。ツチ族とフツ族とか、政府軍と反乱軍とか、自他の区別さえつけば殺戮が始まる。
_ 未開人に近代兵器を与えたのが間違いだという見方もあろうが、私はむしろアフリカが真の人間の姿であって、文明社会の「平和主義」はまやかしだと思う。今半世紀以上世界大戦が起きていないのは核兵器に対する恐怖によるもので、それが一回使われればタブーはなくなり、歯止めの無い殺戮が始まるのではないか。映画の中で言われていたように、アフリカが文明化するのではなく全世界がアフリカ化するのだ。
_ ネアンデルタール人とクロマニョン人は一時期共存していたが、ネアンデルタール人が亡びクロマニョン人が残ったのは、後者がより攻撃的な遺伝子を持っていたからだという説がある。人類は同一種内で徹底的に殺しあう珍しい種である。
_ 攻撃性は、今日の文明を作り上げる原動力になった競争心と表裏一体のものだ。人類は過剰な攻撃性をごまかしながら発展してきた。企業間の競争はよく戦争にたとえられる。野球やサッカーなどのスポーツも戦争を模している。それらは時に美化されるが、アフリカの現在を見ると、人間の攻撃性は、意味もなく人の腕を叩き切ったり、目玉をくり抜いたりする所までいかないと収まらないもののように思える。
_ 森本総理の差別的発言が問題になっている。
_ 女性が多いと会議が長くなるので、発言を制限すべきというようなもの。
_ これが、女性に対する侮辱的発言ととらえられている。そうかもしれないが、むしろ日本の会議の問題としてみたほうが面白い。
_ 森は、根回しの達人だそうだが、森にとって会議は、結論を確認する手続きでしかないのだろう。一般に、日本の会議は、取締役会だろうが、学者の会議だろうが、活発な議論が戦わされるものではない。
_ 会議が始まる前から、賛成派、反対派は明確になっていて、その他の無関心な人間は多数につく。無関心派に対しては、森のような積極的な人間が事前に根回しをして自分に賛成するように仕向ける。その際は、いろいろな圧力がかけられ、報酬が提示される。
_ 森が嫌がるのは、このような根回しに乗らない連中で、そういう輩が会議の席で突然発言し、会議が混乱する。要するに「わきまえない」連中だ。
_ このような日本の会議の作法については、女性は部外者とされることが多い。そもそも、この作法は男社会の貸し借りの方式で、女の存在を考慮していない。
_ だから、この問題は、女性蔑視の問題であるだけでなく、上記のような日本社会の意思決定手法の欠陥を露呈したものといえる。