_ 「ボーン・アイデンティティー」の続編で、前回のヒロイン、マリーが冒頭で殺されてしまう。意表をついた展開だ。
_ マリーが殺されることにより、ジェイソン・ボーン(マット・デイモン)の行動は復讐になる。それと自分の中で封印された過去の解明が絡む。物語は前回以上に複雑になり面白い。これまでになかったヒーローである。最後の場面は感動的で、このようなアクションものにはめずらしく目頭が熱くなる。
_ マット・デイモンは全く笑わず、007シリーズにあるようなユーモアもない。まるで高倉健のようである。それが彼にはあっているようで、深い傷を負った人間の苦悩がにじみ出ている。
_ 敵は、CIAで、昔観た「コンドル」という作品を思い出した。これはロバート・レッドフォード主演で、彼がCIAの情報収集担当のエージェントに扮しCIA内部の組織と闘うという話だった。アメリカに留学していたときに観たので字幕はなく半分ぐらいしか理解できなかった。その時は映画を観終わっても何をめぐる争いだったのか分からないままだった。
_ 昨日、東京マラソン2011のテレビ中継の前に石原都知事のインタビューがあった。
_ 石原は今の日本に対する絶望的な思いを語り、「日本を蘇らせるにはクーデターが必要なんだ、これは三島さんの最後の言葉だよ」と言った。そして、誰かがクーデターをやってくれれば自分は一兵卒として参加すると言った。
_ 三島は、「反革命宣言」の中で、神風特攻隊の「あとにつづく者あるを信ず」の思想に言及したが、石原は、あとにつづく者としての自分をずっと意識していたのかも知れない。三島から後を託されたと感じていたのなら、40年間は長い。
_ 石原は、お国に対する最後のご奉公ということも言っていたが、それがクーデターでという形で現れるのかもしれない。
_ あまり期待しないで観たがよかった。
_ 主人公のヒュー・ジャクソンがショーを企画するがそれがフリークショーなのだ。小人やひげの太った女に声をかけショーは大当たりする。
_ パラリンピックが始まるが、小人は対象にならないのだろうか。小人のプロレスがあったが、パラリンピックの競技に加えてもいいのではないか。映画でも言っていたが、ジャクソンの魂胆は純粋ではなかったかもしれないが、少なくとも彼は社会から隔離され隠蔽されていた自分たちの存在を表に出してくれた。
_ 昔、白木みのるという小人がテレビに出て人気を博していた。今そんな役者はいない。小人をテレビに出すことが差別になるというのだろうか。おかしくないか。
_ スピルバーグ監督作品。
_ まあ面白かったが、前作ほどの感動はない。1961年には斬新だったことが、今は日常になっている。
_ スペイン語の会話が多くなっているが、最後のマリアの悲痛な訴えが全部英語なのは笑ってしまう。
_ 前作のジョージ・チャキリスは本当にかっこよかったな!
_ スペインのペドロ・アルモドバル監督作品。
_ 小説家であるマーサは、昔の親友イングリッドが末期がんであることを知り、見舞いに行ったが、あることを頼まれる。それは、自分は治療を拒否して死にたいと思うが、その時、マーサに隣の部屋にいてほしいというもの。二人は、森の中の瀟洒な家で最後の時間を過ごすことになる。
_ マーサも戦場ジャーナリストだったイングリッドも、裕福なようで、森の中の家は小さなホテルのようでプールまである。都会での生活も美術品に囲まれ、ゴージャスだ。
_ ここで描かれている死は、市井のみじめったらしいそれではなく、人生のフィナーレなのだ。イングリッドは自ら手に入れた毒薬で死ぬが、死に顔は眠っているようだった。実際はそんなわけはないだろう。これは、リアリティのない、あらまほしき死だ。
_ おかしな話だが、我々は、現代の死が、苦痛を長引かせる拷問のようなものだと知っている。医療の進歩がそれをもたらしている。しかし、自分だけはそのような一般的な苦痛に満ちた死ではなく、眠るような死に値すると思っている。
_ 誰もが、死を免れない。そして、現代の死は、9割が苦痛に満ちたものだ。そして、その苦痛から逃れようとしたときには、すでに自殺する体力がなくなっている。
_ そのようなみじめな最期を回避するためには、体力気力があるうちに死ぬべきなのだ。思想家西部邁は2018年に自殺したが、老齢で身体の自由が利かなくなっていて、自分の弟子二人に手伝ってもらって入水自殺を遂げた。二人は自殺ほう助で逮捕され執行猶予付きの判決を受けた。
_ 死は、人間に与えられた最後の自由のはずだ。