_ 北川悦束子監督、北乃きい、岡田将生主演。
_ キネ旬の4月下旬号で、映画評論家の江戸木氏が、「即興演技で映画を作ることの致命的な勘違い」、「映画における自然体とはきっちりと作りこむことで創造できるものだ」と言っている。
_ この映画のタイトルは、北乃きいが halfway を読み間違えた(演技ではなく)のをそのまま使っている。
_ 私は、この映画が好きだが、多分フィクションというよりドキュメンタリーとして好きなのだろう。作られたセリフは何回も繰り返せるが、アドリブは一回きりだ。
_ 北乃きいが halfway をハルフウェイと読み違えることは今後ないだろうから、あの場面は彼女の人生における唯一の瞬間を捉えたことになる。
_ 即興演技による映画が傑作になることは稀であり、そのためにはストーリーの登場人物と役者が近似していて、役にはまり込んで現実の自分と区別がつかなくなるほどの状況が必要だろう。
_ 映画における自然体がきっちりと作りこまれたものである必要があるかは、監督によって見解が異なると思う。黒澤明はそれを必要とし、大島渚は必要としないだろう。演技の新鮮さを重視する監督は作りこまれた完成度より勢いを取るようだ。
_ 「ハルフウェイ」は演出を放棄しているようで、実際は手のひらの上で二人の若い役者を動かしているという、奇跡的な作品だ。
_ 震災に関して、暴動や略奪が起きないことから、日本人の高い公徳心が賛美されている。先日もハーバード大学のサンデル教授が参加した番組がNHKであった。最初のみ見たが気持ちが悪い内容だったのでやめた。
_ 何故日本人には宗教を信じる人間が少ないのにこのように公徳心があるかについては議論がある。美意識が高いという人がいるがそうだろうか。
_ 私は、別に日本人が高い公徳心を持っているとは思わない。単に人の目を気にするから悪いことが出来ないだけだ。宗教は戒律で人を縛るが日本では世間の掟がその役目をする。その掟の内容は不明確なので日本人は常に人の目を気にする。
_ 阪神淡路の時も今回も、社会が崩壊したわけではない。だから世間の掟は有効に働く。誰も見ていないとしても、刷り込まれた世間の拘束は我欲を自由にさせない。
_ 世間がなくなったとしたら、日本人の公徳心はどうなるだろう。多分宗教の拘束がないぶん秩序を失うだろう。
_ 自分の周りの社会が存在しても、それと敵対する相手に対しては道徳的であれという指令は誰からも発せられない。戦争になれば日本兵はもっとも残酷だ。
_ 要するに日本人は自分の周りの世間だけを気にして生きているのだ。