_ 「武蔵事件」は10月18日に上告棄却の決定があり終わった。以下、敗因を検討する。
_ 1.先ず、日本の著作権法が不利だった。著作権法は著作権の制限を限定列挙している。私的使用とか引用は許される。つまり、その限度で著作権は制限される。アメリカでは、これらはフェア・ユース(公正利用)になるか否かで判断される。日本のように許される場合が明記されている訳ではなく、具体的事情に照らして許されるか否かが決められていく。だから、日本の場合、一旦「類似」(翻案の場合)とされると、それが著作権侵害でないというためには著作権の制限規定のどれかに該当するといわなければならない。そこで困るのは、例えばパロディの場合だ。パロディが許されるとは著作権法のどこにも書いていない。だから、パロディを認めるためには、最初の段階で「類似でない」としなければならない。アメリカだったら、類似だけどパロディだから許される。また、同じくらい似ているけれどフリーライドだから許されない、と柔軟な判断が出来る。「武蔵」の場合、あの程度似ているものがパロディとして将来出てくることは考えられる。今回「武蔵」を違法としてしまうと、将来のパロディの出現を阻止することになってしまう。と、裁判所は考えたのだろう。現行法でも、解釈でパロディとフリーライドは区別できると主張したが、裁判所はメンドウなことになると考えてか、従来のやり方を維持した。
_ 2.次に不利だったのは、「七人の侍」が完全なオリジナル作品ではなかったことだ。「七人の侍」は、いくつかのシナリオ案が没になった後、橋本忍が思いついたアイディアに基づいて書かれた。没になったシナリオの中には、過去の剣豪の武勇伝を集めたオムニバスがあり、そこで集められたエピソードの多くが「七人の侍」の中で使われた。NHKはその調査力を駆使して、膨大な資料を提出した。「七人の侍」の原典探しとしては前代未聞の力作である。著作権は特許と違って新規性は保護の要件ではないが、先例があることは不利に違いない。NHKは「七人の侍」を真似たのではなく、「本朝武芸小伝」などを参考にしたと主張した。それは、11箇所も「七人の侍」と類似点があることから常識的にはありえないことだが、絶対に不可能とはいいきれない。裁判所は、NHKがウソをついているとまでは認定しなかった。
_ 3.最後に残念だったのは、裁判所に判例を作ろうという意欲がなかったことだ。特に、控訴審では、「七人の侍」が著名な作品であることから来る本件の特異性について詳細に主張したが、全く無視された。上告審では、コロッケの物まねの例をだして、有名人のマネと無名人のマネでは類似の判断の容易さが違うと主張したが、ダメだった。最高裁の裁判官はコロッケを知らないのかもしれない。
_ 何度も書いたことだが、腹が立つので。
_ 今朝テレビのワイドショーを見ていたら、中2の少女が自殺した件で、その生徒が通う中学の校長の発言が二転三転したことが問題にされていた。レポーターが、その校長を無責任だと非難すると、3人のコメンテーターは異口同音に賛成した。あるコメンテーターは言葉のいじめが肉体的な暴力より酷い場合があるといい、いじめの定義が必要だと言った。連中は自分たちがいじめる側にまわっていることに気づいていない。
_ いじめの定義は「多数が少数を攻撃すること」、それだけだ。攻撃の理由は問わないし、どちらが正しいという価値判断はしない。ひとりの校長を全マスコミが非難すれば、それは立派ないじめである。校長に非があったとしても然り。誰にでも何がしかの非はあるし、多分ほとんどのいじめは、いじめられる側にも何らかの問題がある。そして、いじめる側は、自分たちは正しいことをしていると思っていることが多い。
_ 日本の社会はいじめ社会だ。学校でも、会社でも、あらゆる集団でいじめが行われている。それは日本人が付和雷同の遺伝子を持っているからだ。自分の意見がなく、人の顔色を見て、多数派と思える方に付く。何か問題があれば、我先にと多数派に走り、取り残された者がいじめの対象になる。
_ 今朝の番組では、丸山弁護士が、自殺には色々原因が考えられ、いじめが原因と認定することは難しいとまともな意見を言いながら、結局はなし崩し的に校長を非難する側に付いた。ここで校長を弁護したら自分がテレビから干されると思ったのだろう。
_ 米国の弁護士がよく使う言葉で devil's advocate というものがある。文字通り訳せば悪魔の代理人だが、議論の際に故意に反対の立場をとる人、の意味だ。たとえば、原告側弁護団が議論をしているときに、一人の弁護士が、自分が被告側弁護士だったらこういう議論をすると被告側の主張を代弁する。こうすることによって原告側の弱点がわかる。一方の側からだけ考えていても真実は見えてこない。
_ テレビに出る弁護士は devil's advocate の役を買って出るべきだ。どちらの側でも議論ができるというのが弁護士のプロたる所以ではないか。
_ ハロウィーンで仮装してtrick or treatと言いながら子供が近所を回りお菓子をもらうという行事が始まったのは1950年代のアメリカだとのこと。
_ 私は1957年に10歳でニューヨークに住むようになり、ハロウィーンの行事に参加した。私は浴衣を着ておもちゃの刀を刺してサムライの仮装をしているつもりでお菓子をもらい、結構人気があった記憶がある。今日本ではやっているハロウィーンはそれとは随分違うようだ。
_ ゾンビーに扮するのが多いようだが、あまり好きではない。そもそもゾンビーは日本の風俗になじまない。映画でもゾンビーは人気だが、死者が怪物化して襲い掛かってくる。しかし、死ぬ前はその肉体は親しい人のものだったりする。そのことは忘れられゾンビーは物として破壊の対象になる。
_ ゾンビーは血や変色した肌の色で死者であることが分かるようになっているが、それがなかったらどうだろう。攻撃的な人格に変容した認知症患者とどう違うのだろう。欧米の文化はそれらを究極的には同一とみなすのだろう。ナチスは精神病患者もガス室に送っていた。