_ 「ランボー・怒りの脱出」を久しぶりに観た。
_ 1985年、ベトナム戦争が終わって久しいのにベトナムにはまだ多くの米兵捕虜がいるという設定。捕虜の家族や世論に押されて米国政府は捕虜の調査に着手する。選ばれたのは前作で大暴れし採石場で強制労働させられているランボーだ。
_ ランボーは捕虜の存否を確認するだけという命令に背いて、捕虜1名を救出して集合場所に向かった。しかし、ランボーを脱出させるはずだったヘリは捕虜を見て引き返す。捕虜はいてはならなかったのだ。
_ この作戦は捕虜の不存在を確認するためのものだったが、手違いでランボーが向かった収容所には数日前から捕虜が戻っていた。米国政府に裏切られたランボーは鬼神のごとくたった一人の戦争を闘い抜く。
_ この作品では二つの立場が相克する。ベトナムとの再度の対決を避けるため捕虜の存在を否定しようとする作戦本部と米国のために戦った同志を救出しようとするランボー。ランボーは、無事捕虜を救出したあとで国を憎んでいるかと聞かれたのに対して、I can die for it と言い、さらに、
_ We want our country to love us as much as we love it. That's what I want.
_ と続ける。
_ 拉致問題が起きてからこの作品をもう一度観たいと思っていた。記憶が変容していたのか最後のランボーの演説はもっと長かったように思う。自分たちが命をかけたアメリカの価値に言及したように思ったが、それは今度観たDVDにはなかった。
_ 政治は四捨五入だから、この作品のように切り捨てられる人間は必ずいるだろう。それが長い目で見て国の利益になるということもあるだろう。しかし、そのような我慢が続くとやがて国民はランボーのような鬼神を欲するようになる。
_ 小泉首相は国交正常化を優先するためにある我慢を国民に強いた。それが半世紀余眠っていた休火山に火をつけることになるのかもしれない。