_ 昨日の記者会見を見ていて面白かったのは、最後の質問に対する答え方だった。ある地方新聞の記者が「首相の退陣記者会見を聞いていても「ひとごと」のような印象がある」と言ったのに対して「「ひとごとのように」と言われたが、私は自分を客観的に見ることが出来る。あなたと違う」と答えた。
_ 福田はこの記者のことをそれほど知っていなかっただろうから、「あなたと違う」というのは根拠のない誹謗だろう。キレル福田の「面目躍如」たるものがある。
_ 切れるのは、必ずしも政治家として失格ということではない。切れるということは、その人の行動を予測困難にし、読めなくする。合理的な行動を取らない人間は怖い。キムジョンエルが怖いのは、何をするか分からないからだ。これまでの独裁者にはそのような怖さが必ず伴っていた。
_ 福田が党首討論で切れたのならまだ分からないことはない。戦術として評価できる場合もある。しかし、退陣の記者会見の最後で切れるのはあまりにもまずい。あの言葉で自分がどのように評価されるか福田は全く考えていなかった。他人が自分をどのように見るかを認識することがまさに客観的になることだから、福田は客観的なものの見方が出来ない自分を認めたことになる。
_ 安倍にしろ福田にしろ、日本の政治家の軟弱なことは嘆かわしい。国家はもっと厳しい試練に耐えなければならない場合が多々あるので、このような人間が指導者であっては困る。
_ 10年前のことだが当時のクリントン大統領がモニカ・ルウィンスキーとの「不適切な関係」で糾弾されていたときは、彼の強さに驚嘆した。立派な実績を上げている大統領が個人的な問題で弾劾裁判にかけられそれが全世界に報道された。家族との関係も破綻に瀕していた。その最中もアルカイダの攻撃等世界情勢は緊迫していた。クリントンはその間一度も切れることなく任務を全うして手を抜かなかった。それは今日高く評価されている。
_ 日本の政治家にはなぜこのような危機耐性がないのだろうか。