_ 権力者が病気でもないのに引退するのは珍しい。
_ 権力の座は居心地がいいようで老害といわれても辞めないのが普通。その言い訳になるのが「まだやり残したことがある」という理由だ。でも、政治の世界で完全に目標を達成することなどありえない。仮にその意欲が本当だとしても、たいていの場合そのための能力がすでになくなっている。後進に道を譲った方がよほど世の中の為になる。
_ 小泉の引退を、安倍や福田の「放り出し」と同じように捉えている向きがあるがそれは間違っている。任期途中ではないし、やりかけの仕事あったわけでもない。
_ フランスの詩人アルチュール・ランボーは21才のときに文学を捨て放浪の旅に出て文学に戻ることは無かった。それを残念と思う人はいても無責任という人はいないだろう。
_ 今朝のテレビで福島瑞穂が面白いことを言っていた。「小泉さんと私は主義も主張も違うけど評価するところはある。小泉さんは命がけで遊んでいたので、それは私たちも学ばなければならない」という感じのことを言っていた。自民党の連中の言葉よりよほど正鵠を得た評価だ。
_ 「命がけで遊ぶ」というのは言いえて妙で、普通は一緒にならない異なった概念を小泉はその行動の中で融合していたのだろう。小泉劇場と人は言うが、それが単なる虚構だと感じられたらあれほどの興奮を巻き起こすことはなかっただろう。それは芝居であってもその中で本当に人が死ぬかもしれないという真剣な芝居だった。
_ 小泉はあれが芝居であり現実がそれはほどヤワではないと十分知っていたのだろう。今日の改革路線に対する批判も反動も予測の範囲内だったのだろう。でもそれを言ってしまったら歴史は動かないから彼は言葉で小泉ワールドを作り出し動かないはずのものを動かした。それはたしかに命がけの遊びだった。
_ 今彼は政治にはそれだけの情熱を傾けられないのだろう。ランボーが文学を捨てたのがなぜかは知らないが、文学に対する情熱が無くなればいい作品も出来ないだろうから新しく情熱の対象を探すのは自然なことだ。政治家だって情熱が無くなればいい仕事が出来なくなるだろうからそれが引退の理由で悪いわけはない。
_ 政治に情熱をもっていないのに権力にしがみつく多くの政治家は小泉を見習うべきだろう。