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2001-12-22 光の雨

_ 連合赤軍のリンチ殺人事件を映画製作現場とダブらせて描いたもので、秀作だった。製作者の意図としては、集団の中で弱い人間同士が虚勢をはり、殺られるまえに殺る、という図式で殺戮が繰り返されていった集団の狂気を、現代に通じるものとして描きたかったのであろう。私も見ているときは殺される側に共感していた。しかし、見終わってしばらくたつと、殺す側にも理由があるように思えてきた。

_ 私は弁護士になって2年目にアメリカに留学したが、留学中に日本の事務所の若い女性秘書が自殺した。私は彼女が古手の秘書たちにいじめられていたことを知っていたので、それが原因だと思った。日本からの情報でその確信を強めた私は、事務所にあてて便箋26枚の手紙を出した。そこで私は、仕事にかこつけたいじめとそれを許していた事務所の体質を糾弾した。その手紙は握りつぶされ、所員が読むことはなかった。

_ 職場でのいじめは必ずと言っていいほど仕事を理由になされ、それは「光の雨」における反革命的態度を理由として課される自己批判と似ている。30年前の私は、「仕事」がいじめる側の自己正当化のために使われていると思った。しかし、経営者になってみると、必ずしもそうではないと考えるようになった。

_ 「影武者」のメーキングのビデオの中に、黒澤明が顔を真っ赤にして唇を震わせながら怒鳴っているところがある。すごい迫力だった。完全主義者である黒澤が、いいかげんな仕事をする人間を許せない気持が今ではよくわかる。私は黒澤のように怒れないので、一人でファイルを床に叩きつけたりしている。私が古手の秘書のいじめとみたものも、そのような怒りだったのかもしれない。昨今の風潮は、いじめに厳しく、怠け者にやさしい社会を作り出しているいるように思える。

_ 権力と死闘を繰り返していた連合赤軍において、革命を純粋に信じる指導者が、やる気のない仲間に対して殺意を抱いたとしても不思議はない。それを肯定的に描く映画を誰か作らないものか。


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