_ クリント・イーストウッドの監督作品で彼の最高傑作とも言われはじめた映画である。
_ 11才のジミー、ショーン、デイブが路上でホッケーをして遊んでいる。そこを通りかかった2人の中年男がデイブを車に乗せて連れ去る。彼は4日後に逃げるが、人生を変えてしまうような体験をする。そして25年後、3人はある殺人事件を機に再会し、あの日の出来事が蘇る。
_ 我々はデイブと同じように「あの事件さえなかったら」、「あの時違う行動を取っていたら」など自分の過去に if を求めたがる。過去の1つのコマが違っていたら今の自分はこんなではなかったはずだ。多くの場合、この回想は悔恨を伴う。
_ しかし、本当にそうだろうか。デイブではなくジミーかショーンが車に乗ったという過去はありえたのだろうか。この映画はその疑問には答えない。
_ この映画は一見25年前の事件にこだわっているように見えるが、本当はそんなこだわりは無意味だといいたいのではないか。あの事件がなかったとしても、デイブは同じような人間になっていたのではないか。あの事件がなかったとしても別な事件が起き同様にデイブを支配したのではないか。ギリシャ悲劇のようにどのように逃げても運命はデイブを捉えたのではないか。
_ そして終章で運命はジミーをも捉える。錯誤により彼は取り返しのつかないことをしてしまう。彼は被害者でありながら心ならずも加害者になり、チェスのチェックメイトのように怒りによる行動もままならない窮地に追いこまれる。しかし、妻の言葉(それは悪魔の助言かもしれないが)によりジミーは復活する。彼は運命をまるごと肯定してしまったのだ。全てはなるようになったのだ。他に可能性はなかった。
_ 映画ははなやかなパレードを見るジミーの家族、ショーンの家族そしてパレードの中の息子を見守るデイブの妻を映して終る。
_ ニーチェの永劫回帰を思った。