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2006-11-15 いじめ自殺

_ 今日の日経の朝刊に、ある学長が次のように述べている。

「集団の中で自分の役割や行動が他者に及ぼす影響を自覚すれば相手の気持ちを考えることができるようになる。学校教育の中に集団活動や体験活動をもっと取り入れ、社会性と人間性を豊かにする教育を行うべきだ」

_ 全く反対である。日本の学校のいじめは過度の集団主義が原因なのだ。学校という大きな枠の中に、クラスがあり、その中にグループができる。横断的には部活がある。生徒はどこかの集団に属さなければ生きていけない。集団は排他的である。日本人は自我が希薄で個性がないから、集団の構成員は容易に同化し集団の個とでもいうべきものが出来上がる。でも集団にはそこに入れない異端が必ず存在する。集団にとって異端は異物であるから排除しようとする。異物を同化させるより排除する方が容易だ。だから、いじめで「死ね」というのは、人の痛みがわかっていないからの言葉ではなく本音なのだ。最近の例でも明らかなように、自殺者に対していじめた生徒は一つも罪悪感を感じていない。

_ だったら集団に属さなければいいだろうという意見がある。自殺するぐらいなら、学校を辞めてしまえという考えだ。しかし、これは引きこもりになれということで、自殺と大差ない。学校を辞めても社会には居場所がないのだ。今の日本で、子供の世界だけでなく、集団に属さないで生きていくのは難しい。私は中学高校の間一切部活をしなかった。これは結構きつかった。普通の人間は、本当は嫌でも、どこかの集団に自分を曲げて属してしまう。

_ いじめの対策があるとすれば、それは日本人の集団主義を変えるということしかないだろう。集団活動をするなら、仲良しの集団をつくるのではなく、必ず誰かを排除する集団を体験するべきだ。順番に全員が異端の立場に置かれる。そうすれば、異端の苦しさはわかるし、案外いいものだと思うかもしれない。あと、ディベートを授業に取り入れて、常に反対の立場が成り立つことを実感すればいい。

_ 最後にマスコミは、自らのいじめを止めて、反対意見を常に表明させる番組を作れ。


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