_ 昨日吉祥寺で先日死んだ高校の同級生の追悼会をした。こじんまりと最近彼と会った三人で飲んだ。一人は医者なので気になっていたことを聞いた。肺がんで死ぬのは苦しいのではないかと。
_ 彼の専門は心臓内科でガンについては詳しくは無いが、自らが喘息の持病をもっているので興味深い話をしてくれた。彼は一度ひどい発作におそわれて死にかけたそうだ。そのとき呼吸困難の苦しみが過ぎると不思議なことに陶然とした気分になったとのこと。体内の炭酸ガス濃度が増して意識が低下したときの現象らしい。だから彼は呼吸が出来なくなって死ぬのは苦痛ではないと言った。
_ 本人はそのような状態でも身体は勝手に七転八倒しているのではたから見れば苦しんでいるように見える。本人の感覚と身体の外見が異なるというのは興味深い。
_ この反対の事例で思い出すのは、確か石原慎太郎の「弟」に書いてあったと思うが、裕次郎がハワイで療養していたとき、見舞いに来てくれた人に「腕を切り落としたくなるほどのだるさって分かるか」と言ったという。この場合ははたから見れば裕次郎はハワイの海を見ながらのんびり寝ていたのかもしれない。でもタフガイの裕次郎が弱音を吐くほどの苦痛(それも、だるさ!)が彼を苦しめていたのだ。
_ その医者に「自死という生き方」について聞いてみた。彼は、あえて早く死にたいとは思わないと言った。死ぬまでにはそれなりに面白いことがありそうだからと。これまで人の死をたくさん見てきた男が言うことなので、自然死も悪くないかなと思った。