_ 2007年8月7日の日記に「裁判で多重人格が問題となったことはほとんど無い」と書いたが、東京地裁は2008年5月28日の判決で短大生の妹を殺してバラバラにした兄を死体損壊については「解離性同一性障害(多重人格)で別人格に支配されていた可能性がある」として無罪にした。
_ この判決についてはその後新聞、雑誌等で何の論評もされていないようだ。中世の教会が地動説を認めたぐらい画期的な判決だと思うのだが。
_ 新聞報道だけで判決を読んでいないので詳しいことは分からないが、殺害時には主人格が支配していたがバラバラにした時は交代人格が支配していたというのだろう。しかし疑わしきは被告人の利益にという原則からすれば、殺害時も交代人格が支配していたとのではないかという合理的な疑いはあり両方無罪になるケースではないか。
_ これは事実認定の問題だから裁判官の判断によるとして、問題は、この一方を有罪として他方を無罪とすることが法律上許されないのではないかということだ。
_ 多重人格とは、物理的に一つの肉体を持った人に二つ以上の人格が共存するということだ。この判決は主人格のみを刑罰の対象と考えている。だから死体損壊のときは主人格は眠っていたので無罪、殺人のときは自分の判断でやったので有罪と判断した。では、殺害のとき交代人格は何をしていたのか。眠っていて殺害について知らなかったとしたら交代人格は無罪だろう。
_ シャム双生児について考えてみよう。シャム双生児の兄弟がいて、その兄の方が殺人を犯したがそのとき弟は眠っていて何も知らなかった。裁判所は兄を有罪とし懲役刑を科した。さてこの刑は執行することが出来るか。兄弟の身体を分離できないとすれば兄を収監することは無実の弟も収監することになる。
_ 多重人格についても同じことが言えるのではないか。人格は目に見えないから分かりにくいが個別の自意識を持った人格は頭が二つあるシャム双生児の兄弟と同じように保護されるべきだろう。
_ 刑法の問題としては、今まで自明とされてきた「人」をどう捉えるかが揺らいでくる。責任の主体である人格と身体が1対1で対応していないなら身体を対象とする刑罰は科すことが出来なくなる。
_ 最近の異常な事件は多重人格を疑わせるものが多い。今注目の江東区の女性不明事件にしても、犯人とされる男の平然とインタヴューに応じている姿は殺人者のそれには見えない。我々が常識として持っている人間の罪の意識のようなものが感じられない。
_ 異常な事件は氷山の一角でしかなく、多重人格者は日常的に存在するのかもしれない。そういう人とどうやって付き合っていくかは難しい問題だ。