_ クリント・イーストウッドの監督主演作。
_ ウォルトは、頑固な老人で健康を害している。息子たちや孫たちとは不仲だ。一人暮らしの家の周りは白人が引っ越して出て行き、隣にはモン族の一家が越してきた。最初は不快に思っていたウォルトだったが、やがて一家と親しくなる。その一家の姉弟を守るためにウォルトは身を挺する。
_ 昔の東映ヤクザ映画を思い出したが、あまり感動しなかった。
_ ヤクザ映画のクライマックスが感動的になるのは、ヒーローがある価値のために他の価値を捨てるからだ。それは組のために女を捨てるというように義理と人情の関係で語られることが多い。
_ ウォルトの場合は、最初から人生に未練はなかった。むしろ自殺願望があるとさえ思える。無意味に死ぬことも出来ないと思っていたところに絶好の死に場所が用意された。だから彼の死には崇高さがない。
_ もう一つ感動を妨げるのは、ウォルトがモン族の一家と関わる理由が明確でないことだ。親しみを感じるようになったエピソードはあるが、人種差別主義者のウォルトが変身するだけのものか。
_ ヤクザ映画の場合は、ヒーローの行動は義務の履行でもある。それは組の責任ある立場というポジションであったり、恩を受けた人に対する義理だったりする。「ごくせん」などもそのパターンを踏襲していて、やんくみが窮地に陥った生徒を救いに現れたときに言うセリフは「私はお前らを決して見捨てはしない。だって私はお前らの先生だから」。それは義務であり義理でもあるが、あたたかい感情に裏打ちされたもので「先生だから」は「母親だから」と似た響きがある。
_ 「ごくせん」では、約束を守る、裏切らない、など信頼に基づく価値が熱く語られる。ヤクザの組とか、学校とか、緊密な人間関係が予想される社会における物語であれば、信頼が献身的な行動を引き起こすというストーリーが可能だ。「グラン・トリノ」はそれを異民族間で描こうとしたので無理があった。