_ 映画監督は映像のことを「絵」と呼ぶようだが、映画を作る動機も絵を描きたいという人が多いのではないか。小説家やシナリオ作家から映画監督になった人は筋やセリフを重視するのかもしれないが、画家であった人(例えば黒澤明)にとっては絵の連続が映画であるようだ。
_ 金正日がどちらのタイプか分からないが、今の情況を自分が監督する最後の映画と考えている可能性はある。
_ 現実と虚構を混同する芸術家は多い。中には現実を変えるほどの意志と実行力を持った人もいて、三島由起夫はその代表選手だ。そのタイプの芸術家が2000万の国民に対する絶対的な権力を持ち、核兵器とミサイルを手にしたと考えてみよう。
_ (続く)
_ 長いことに日記を書いていない。「ALWAYS 三丁目の夕日」の批評(酷評)を書いていたときコンピュータがフリーズし、ほとんど書き終わっていたものが消えてしまって書く意欲が減退してしまった。日本映画には何故こんなに駄作が多いのだろうと思っていたら、キネマ旬報の邦画のベスト1,2位が「パッチギ!」と「ALWAYS 三丁目の夕日」だと新聞にあった。「パッチギ!」はビデオで観たが、つまらないので途中で止めてしまった。「ALWAYS 三丁目の夕日」は不自然なストーリーが不愉快だった。「NANA」はベストテンに入っていない。
_ 長いこと映画を観てきて、最近やっと好きな映画はあっても(客観的に)優れた映画などない、ということが分かってきた。人との相性のようなもので、理由は説明できないが波長が合う人がいる。映画もそうだと思う。映画に点数や星をつけても、それは徒競走のタイムのように客観的なものではなく、好みを数値化したものでしかない。
_ 映画は、文学、絵画、音楽、実演等が合わさった複合芸術だから、ある映画のどの要素が人を感動させたのか、さだかでは無い。映像が素晴らしいと言う人が、音楽がつかない映像に感動するとは限らない。感動を与えたのは、幼少時に耳にしすでに忘却の彼方にある昔のヒット曲なのかもしれない。はたまた、主人公の後姿が別れた恋人に似ていたことが決定的だったのかもしれない。これらの要素は皆個人に属するもので、他人と共有することはできない。だから、映画を人に勧めるのは難しい。それは、自分でも分析できない、もやもやした感情の塊を人に手渡すようなものだ。人がそれをしっかりと受け止めてくれなかったり、ましてや、拒絶反応を示したりすると自分の存在を否定されたような気分になる。
_ まあ、そんなことを考えながら、これからも勝手なことを書いていくのだと思うけど。