少数意見

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2003-04-22 麻原彰晃

_ 「レッド・ドラゴン」(2月10日)に対する反論をいただいたので、それに対する再反論ということではなく、多少補足したい。なお、個別にメールはしないので悪しからず。

_ さて、その反論というのは要約すれば、麻原のような死刑をまぬがれるために必死になっているような輩は、殺人者としてもダラハイドやハンニバル以下ではないか、というものだ。

_ たしかに、世間の評価は、麻原は誇りもプライドもなく、信じて従った弟子たちに対しても思いやりを示さない卑劣な男というところだろう。狂人の演技も死刑を免れようとする悪あがきだとする。

_ しかし、体制に対するアンチテーゼと考えると、狂気は有効な手段かもしれない。法廷は体制側の舞台であり、そこでの発言はすでに体制を是認してなされたとみなされ、いかなる意思表示も体制に取り込まれてしまう。麻原の狂気は体制を無視し、拘束されている自らの立場をも否定する。体制は麻原を死刑にすることはできるが、それは肉体を滅ぼすのみで、精神は無傷で残る。

_ 麻原が逮捕された後しばらくたって、週刊誌に土谷ノートというものが取り上げられた。それはサリン生成の責任者だった土谷正美が麻原の話を書き取ったとされる予言だった。正確には憶えていないが、麻原は自分が逮捕されることを予想していた。その前後に世界は細菌化学兵器が使われる戦争に突入し、理由は忘れたが麻原は解放され、世界の人口が10分の1になるような惨状のなかで彼は自らの王国を完成させる。

_ SARSが細菌兵器だという噂があるが、麻原の予言が気になる。


2005-04-22 三島由紀夫会見記補遺その2

_ なぜか「三島由紀夫会見記」に書かなかった面白い話がある。30年以上前のことなのであまり正確ではないかもしれないが。

_ 一つは、何からそういう話になったのか覚えていないが、創価学会の話になり、三島は「これからはミスティックなものが関心を集める時代になる」と言った。「ミスティック」という言葉が耳に残っている。創価学会の将来についての三島の予言が当たったかどうか分からないが、オウム真理教事件は三島の勘が鋭かったことを証明している。

_ もう一つは、多分SFの話をしていたときだったと思うが、私が「永遠と絶対を対象に出来るのはSFだけではないか」と言い、勉強している法律について、法律は永遠とも絶対とも関係がないからつまらない、という趣旨のことを言った。三島は一瞬考えて、「法律は相対的な絶対ではある」と言った。不変ではないが、その時代においては絶対的な力を持っているということだと思った。三島としては、法学部の学生の勉強意欲を削ぐようなことを言わないほうがいいと思ったのだろう。三島のコメントはそれほど意味があるものではないが、私の記憶に残っているのは、この発言の前に一瞬、多分10分の1秒ほど、の間があったことだ。三島の話にはいささかの淀みもなく、まるで決められたセリフのように言葉が出てくる。どんな頭にいい人間でも、考えるというプロセスがあってそれが相手にも分かるものだが、三島の場合は人間には感知できない速度の思考が行われているようだった。だから、一瞬の間が、三島が人間であることを感じさせてくれたという意味でとても印象に残っている。

_ 「私の履歴書」に書いた三島夫人、瑶子さんの仕事をしていたとき、プロデューサーの藤井浩明さんが瑶子さんに「三島さんにあるとき映画の批評をお願いしたんですよ。原稿用紙4枚ということで。三島さんはすぐペンをとって原稿用紙にさらさらと書き始めた。一気に書き上げて丸を打ったらそれが4枚目の原稿用紙の最後のマスだったんですよ。それも完璧な出来で」と話した。瑶子さんは「プロなんだからそのぐらい当たり前でしょう」と言っていたが、そうでもないだろう。いろんな人に会ったが、あんな人間は見たことがない。いや、本当に人間だったのか。


2009-04-22 毒物カレー事件最高裁判決

_ 最高裁は林真須美被告が犯人であることに合理的な疑いを差し挟む余地はないと言った。

_ 裁判員がこのような事件を判断する場合、この「合理的な疑いを差し挟む余地」があるかないかで悩むことになる。私が司法修習生だったとき、研修所の刑事裁判の教官に、何パーセントの確信があったら有罪の認定をしていいのかを訊いた。教官は100パーセントだと言った。

_ しかし、実際のところ、自分が体験したことであっても100パーセントの自信を持って言えることは少ない。例えば、昨日の会議で話されたことの半分は既にあいまいになっている。

_ 「合理的な疑いを差し挟む余地」にも幅があるはずだ。附属池田小学校児童殺傷事件の宅間守が犯人でない可能性はほとんどゼロだろう。それに比べて林真須美が犯人でない可能性はかなりありそうだ。

_ 犯人である確率に差がある二人が「合理的な疑いを差し挟む余地はない」というマジックワードで同じ評価を受け同じく死刑に処せられるのは納得がいかない。

_ 教官の言う100パーセントの確信からも分かるように、現在の刑事裁判では裁判官が絶対的な真実を認定できるという幻想が支配している。刑事裁判においては間違いはあってはならないという命題から、裁判官の認定した事実は疑いようがない真実であると言い切ってしまう。

_ これは権威による社会秩序の維持という目的のためには必要なフィクションかも知れないが、一般人である裁判員にとっては自分の認定した事実が真実であるという自信はないであろう。ここに葛藤が生まれる。

_ 一つの解決法は確率の概念の導入だ。有罪である確率を算定しそれを量刑と結びつける。例えば、林真須美が六割の確率で犯人だと認定したら刑は有期懲役刑にするというような方法だ。これで極端な誤審は防げ、社会正義もある程度達成できる。


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